悪魔の秘密(悪魔と物書き)

 彼女が突然異変を訴えたのはつい昨日。一日経てば治まるかと思ったそれは逆に酷くなったようで、今日ほどあの憎たらしい召使の来訪を待ち望む事はなかった。こういう時に人間である己では対処出来ないのが悔しい。

「姫、手紙を……何やお前か」
「昨日から様子がおかしい。今寝てる」

 その一言に何を察したのか、左近は堂々と家に上がり藍の様子を窺う。寝室に繋がる襖を開くと、毒気のないか細い寝息が繰り返されていた。

「血ぃ求めたんか」
「……ああ」

 振り向きもせずぽつりと言うものだから、自分に尋ねているのか、それに答えるべきか一瞬悩んでしまった。原因が解ったらしい左近は静々と彼女に近付く。
 昨夜は彼女を抑えるのに苦労した。理性の葛藤を本能が押さえ付けようとする様がとても痛ましかったのを覚えている。

「遂に来たか……さぞ辛いやろうな、姫」
「来たって何がだよ」
「嗚呼、お前は人間やから知らんのか。しゃあない、説明したる」

 あくまでも上から目線の態度を崩さない左近にむかつきつつ満はあぐらをかき向かい合う。紺色の着物を靡かせ遅れて左近も座った。

「悪魔はその生の内で最低でも二三度、血を欲する時がある。個人差やけど、そうなるとある程度の量を飲むまで治まらん」
「じゃあ、悪魔は何時か血を飲まなきゃならん時が来るってのは……」
「正しく不治の呪いとでも例うべきやな、これは」

 慈しみながら藍の髪を撫で、淡々と答える左近。

「お前が知ったとてどうする事も出来んやろけど。人間とでは下手すりゃ死ぬからなぁ」

 小馬鹿にしたその笑みに腹立つが、言っている内容は事実である。どうしようも出来ぬ己に歯噛みしたとて左近の思う壺。

「まぁ、何時かこうなるんは分かっとったし……さ、人間は下がれ。これは悪魔の問題や。何とかする」
「何とかって」
「無論、俺の血を飲ませるんや。どんな嫌でもこれは避けて通れん。さぁ、早う下がれ。姫に恥をかかす気か」

 そうして襖を閉められてしまうと、何故だか世界が完全に分かたれた気分になった。

*************

「姫、起きとくれやす」
「う、……さ、こん」

 腫れ物に触るように柔らかく起こし上体を抱えて首元に近付けると藍は力を込めて離れようとした。

「止めて、ウチ要らん。血ぃなんか……」
「あきません。こんな所で姫を死なす訳にいきまへんよ」
「でも、嫌や……」

 幼子のように泣きだす藍を宥め、左近は抱えた手で優しく肩を叩く。

「だって、左近が気ぃ失うたら? あ、あの時みたいに……っ」
「大丈夫。昔とは違うんやから、倒れはしまへん」

 静かに諭し続ける左近に、徐々にではあるが落ち着きを取り戻す藍。

「ホンマに? ホンマにそう思う?」
「ええ。何も怖い事ない。遠慮せんと好きなだけ、さぁ」

 止め処なく流れる涙を拭うように掬っては舐め、左近はまるで恋人を慰めるように接する。

「ごめん、ごめんな左近……」

 やがて意を決した藍が、おずおずと遠慮がちに彼の首に噛み付いた。

*************

 自宅でありながら異空間に放り出された気分のまま、満は中の様子を知ろうと聞き耳を立てていた。我ながら無粋な事をしているとは思う。だが気にならない訳がない。せめて会話でもと思った時には襖に顔を付けていた。

『だって、左近が気ぃ失うたら? あ、あの時みたいに……っ』
『大丈夫。もう昔とは違うんやから、倒れはしまへん』

「……あの親父が言ってた召使ってあいつの事なのか」

 それは少なからず満に衝撃を与えた。初めて藍が血を飲んだのが彼だとは。そんな事故に遭ったのに今尚仕えているとは。しかも年上の余裕と言うやつか藍を諭している。
 種族が違うのだから無理はないが、無知な己と正反対の召使に対してそこはかとなく口惜しい気持ちに陥る。この家で一番藍の傍にいるのは自分なのに、今回ばかりは左近がその役目を掻っ攫っていってしまった。

「……いけ好かねぇ奴だ」

 元々好きではない(寧ろ嫌っている)左近が益々憎らしい。

「早く帰んねぇかな、あいつ」

*************

 本能のままに藍は血を貪った。衝動を抑えている苦しさから解放され、文字通り遠慮なく摂取する。だが自分のペースというものを知らぬからか時折零し、生温く喉を流れていく血に噎せ返る事もあった。紅色に染まる白い肌と、身体を占拠する鉄の味と香りが薄暗い部屋に広がる。
 この場に満がいなくて本当に良かった。こんな所を見られずに済んで、それだけが幸いだった。

「満足しはりました? 姫」
「……左近こそ、大丈夫……?」

 大量の血を味わったのは五歳の時以来。気を失う事なくこちらを真っ直ぐ見詰める召使の瞳に藍は安堵する。気遣うように見上げる双眸に微笑み、左近は赤く染まった唇をゆっくりと塞いだ。

「ん……っ」

 触れた後名残惜しげに離れていくそれに切なさを覚えつつ、藍は酔いそうな思考を正し左近に再度感謝する。

「あの、有難うな、左近……」
「だから大丈夫や言うたでしょう? 嗚呼、何や眠くなって来たし、一緒に寝ましょ。昔みたいに」

 そう言って藍の肩を抱えたまま畳へ寝転がると、左近はすぐにも眠りについた。

*************

 物音ひとつしなくなったのを不審に思い、満はそろりと襖を開け覗く。二人は仲良くくっ付いて横になっており複雑な想いに駆られる。
 中へ進もうと片膝を入れた所で藍がこちらの動きに気がついた。血を飲んだ筈のその唇は少し赤みが強い程度で、血色に不自然さはなく。

「ミツ、何してんの」

 夢の中であろう左近を慮って小声で話しかける彼女に合わせ、こちらも小声で応酬する。

「お前の様子を見ようと思ったんだよ……悪いか」

 不貞腐れてそう言うと、藍は軽く笑って「そんな事ない」と返す。求めてはいけないと言いつつも血を強要した悪魔らしさは何処を探しても見当たらなかった。

「何だ、すっかり元気だな」

 気が抜けて苦笑すると、申し訳なさそうに藍が謝る。

「昨日はごめんなミツ……自分でもびっくりしたわ。ホンマ、左近がおってくれて良かった……」

 心底嬉しそうに目を細めてそう言う彼女に、ちょっとした悪戯心が湧いた。それは子供のように単純なからかい。

「何だよ、俺はいちゃ良くないってか?」
「そんな事あらへん! ……でも、迷惑かけてしもたな、とは思う……」
「気にすんなよ。もう終わった事だろ」

 笑ってぽんぽんと頭に手を遣ると、満は顔を近付け額に軽く口づける。何の前触れもない因果不明なその行動に目を点にして硬直する藍。口を動かすも言葉は出てこない。

「驚いたろ? 驚いたなその間抜け面は」
「……っ、だ、だってあんたっ! て、間抜け面て何や!」

 さりげなく馬鹿にされた事に藍が突っ込むと、満は堪らず大笑いした。ひとしきり笑って落ち着くと、藍の背後からどす黒い言葉が満を突き刺す。

「アホの間抜け面はお前や。姫を馬鹿にすんな」

 カチンと来るその言動に不平を垂れる前に、藍が彼を支えて心配する。

「左近! 起きても大丈夫なん? それとも煩かった?」
「もう十分寝ました。姫こそ」
「けっ、お目覚めか。さっさと帰れ腹黒野郎」

 悔しさを滲ませた苛立ちを包み隠さず露にするが、不敵な笑みで以てそれを受け止める左近。この二人はどうあってもお互いに歩み寄る気はないらしい。

「もー、火花散らすんはそこまで! 左近、これ手紙」
「承りました姫。大事に預からせて頂きます」

 母宛にしたためた白い封筒を渡すと左近はそれを恭しく受け取り懐にしまう。一礼しすっくと立ち上がると、さよならを言う隙もなく彼は去ってしまった。

「……静かになったなぁ……」
「飯食うか。腹減ったわ」
「あ、ウチも食べるー!」
「へーへー。用意すっから大人しく待ってろよ」

 何時も通りののんびりとした空気が舞い戻り、ほっと吐息を零して藍は居間の縁側へと向かった。


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