二人の言い合い(悪魔と物書き)

「そう言えば、アイちゃんには何て言うたん? ウチの怪我」

 まさか父親に殺されかけたとは言えないだろう。第一、藍が悪魔だと知っているのは満だけだ。文机に向かって頭を捻る満に、藍が素朴な疑問をぶつける。彼はただ一言、屋根から転げ落ちたとだけ答えた。

「それでアイちゃん信じた?」
「ああ、滅茶苦茶驚いてた」
「そらそうやろな」

 満が今小説の題材を引っ張り出そうと唸っているのも、驚いた相野田が顔の広い洋食屋の大将や女将にかけあって仕事を持ってきたからだった。いらん気を使うなと注意したのに、まるきり聞かれていなかったようだ。

「……はっ、そうか!」

 今日の藍は珍しく縁側で家の外を観察していた。天気は曇りがちである。

「何かええ話浮かんだん?」
「うむ」

 湯呑のお茶を啜りながら尋ねると、力のこもった返事が来た。余程自信があるらしい。生き生きとしている満に藍はそれ以上話しかけなかった。そういう彼を見ているのは好きだし、何より仕事の邪魔はしたくない。

「頑張ってな、ミツ」

 心底からの笑顔で一生懸命筆を動かす満を一瞥し、藍は楽しそうに灰色の空を見上げた。

*************

「姫、手紙を持って来ましたえ」

 数日後。左近の二度目の訪問に、藍は勢いよく抱きついた。

「うわーん左近やー! 会いたかったー!」
「……一体どないしはったん?」

 傍に満がいない事と会いたかったの一言に喜びつつも、左近は首を傾げて尋ねる。藍は何故か頬を膨らませ、目を尖らせてぼやいた。

「満が忙しゅうて構ってくれん……」

 何かと思えば傍にいない家主の話題に苛立つも、至って相貌を崩さず優しい口調で諭す左近。

「仕事ならええやないですか。暇人よりはよっぽど」
「せやけどもう五日もやで? 暇や……」

 悲しそうに項垂れる藍を切なげに見下ろし、左近は突如閃いた。そこまで暇なら、同じように忙しくすれば良いのだ。本当はこれを期に連れ戻す案もあるのだが、断られるのは目に見えているので廃案とした。

「ほんなら姫も仕事をしたらどうです? そしたらお互い忙しゅうて丁度ええでしょう」
「でも、そんなん勝手にしてええんかな」
「気にしはることありません。あの男の友人に頼めばええんやから」

 藍がこちらにいる以上、最低限は満の周囲を調べてある。相野田という彼の友人が働く洋食屋でなら、藍も気兼ねなく信頼を置けるだろうし、こちらとしても管理がし易く安心である。

「そっか、そやな。アイちゃんの店で働いたらええんや」
「そうです。明日にでも頼まはったら?」
「うん、ウチ頑張る! おおきに左近!」
「応援してますえ、姫」

 最初の不機嫌は何処へやら、左近の提案に藍はすっかりやる気になり、勇ましく握り拳を作ると高々と掲げた。

*************

 翌日、言われた通りに藍は相野田の働く洋食屋へと向かった。相変わらず机に向かいっきりの満には何も告げずに。

「あ、アイちゃん!」
「よー藍、どうしたんだこんな所で」

 偶然にも道端で目的の人物に出会い、嬉々として藍は用件を話しだす。

「今からアイちゃんの店に行こと思て」
「何で? 飯なら今から作りに」
「違う違う! アイちゃんと同じとこで働く事にしたんよ。やから、そのお願いにな」

 相野田は目を見張り、え、と絶句した。いや、働く事は別に構わない、構わないのだが。

「怪我は大丈夫なのか? あいつよく許したな」
「あー、ミツには言うてへんねん……今忙しそうやし……」

 申し訳なさそうに付け加えると、更に目を見張って相野田が驚き、即座に藍の頼みを却下する。

「何で! ええやん働きたい! 家におっても暇なんやもん!」
「駄目だ。家主の許可なしに勤めるのは良くないぞ」
「何やのいけず! 折角決心したんにー!」

 ぎゃあぎゃあと喚く藍を引っ張って家に向かう途中、通り掛かった女性が相野田に控え目に声をかけた。

「もし、先程満さんが女の子を探しておりましたよ。藍とはこの子の事でしょう?」

 藍がびくりと肩を震わせると、女性はそれを肯定と取ったのか微笑んで続け。

「満さん、かなり心配しておりましたよ」

 駄目押しとばかりにそう言われると藍は渋々礼を告げ、素直に自分の足で戻る。

 扉が開きっ放しの玄関に恐る恐る足を踏み入れると、壁に凭れて腕を組んだ満が厳しい目で藍を見下ろす。これの何処が心配していると言うのか。

「何処行ってた」
「……アイちゃんの店」

 余りに棘々しい声音にびくつきながら、藍は顔を伏せて答えた。空気の息苦しさに冷や汗が浮かぶ。

「何で勝手に出てった」
「だってあんた忙しいし、邪魔したらあかんと思て……」

何時まで経っても一緒に来た筈の相野田は来ない。このままでは居堪れぬ思いで胸が潰れそうである。

「じゃあ何の為に」

 それはと言いかけて、藍はどう言うべきか口を止めた。
 抑々満には内緒で決めた話だけに、気軽には言えない。だが言わなければ、状況はより悪くなる。

「……アイちゃんの店で、働こと思て」
「俺の許可なしにか」
「う……ご、ごめんなさい……」

 精一杯の回答にあからさまに溜息を吐かれ、藍はむっとして顔を上げた。

「何やのその溜息! 確かにウチも悪いけどあんたかて構ってくれへんかったやないの! そら仕事やししゃあないけど、同じ家におって五日も会話せぇへんとか普通寂しいと思うやろ! そやから仕事で忙しいならウチも仕事して忙しくしたらつり合い取れるって、そう、思て……」

 言いながら悲しくなって、息が切れそうだった。此処数日分の鬱憤を一気に晴らした気がする。そのまま何も言わず俯いていると、両手が飛んできて頬をぱちんと叩かれた。

「な、何するん痛いやんか! 離せ!」
「文句言うな。勝手にあれこれした罰だ」

 もうあの棘々した雰囲気は何処にもなく、若干開き直ったように満が言う。

「用があるなら話しかけりゃ良かったろ。つまんねえ気使って馬鹿な奴」
「煩いな! ウチかて無神経と違う! あんだけ真剣にやってたら割り込み出来ひんわ!」
「……本当にお前って馬鹿」
「うわーん馬鹿馬鹿言うなこのアホ! 開き直りよってからに!」

 こっそりと彼等のやりとりを塀の影から窺っていた相野田が、何時も通りの二人に戻った所でそっと遠慮がちに近付いていく。

「で、そんな入れ知恵をしたのはどいつだ」
「左近やけど」

 しれっとしたその答えに見る見るうちに満の表情が険しくなる。また何か小言を言われるのかと思いきや、その怒りは藍に向けてではなかった。

「……あの野郎、ぶっ殺す……」
「な、何で? 左近は相談に乗ってくれたんやで、そんな事言わんでよ!」

 藍が必死になって召使を庇うと、ガラの悪い目つきがこれでもかと睨む。

「お前もあんな奴の入れ知恵に従うな! ちょっとは疑えこの馬鹿!」
「幼馴染の言う事聞いたらあかんの!? 左近は関係ないやんか!」
「はぁ? あいつただの召使じゃねえのかよ!」
「幼馴染の召使じゃミツのアホ! それが何なん悪いんか!」

 周りの存在――主に相野田――の事を忘れ、ああだこうだと飽きもせず玄関で言い争いを続ける二人に、相野田は割り込む機会を見逃し続けるしかなかった。


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