悪魔の力(悪魔と物書き)

 働いている洋食屋が今日は休みだという相野田の誘いを受けて、二人は花見に出かけることになった。子供のようにはしゃぎまわる藍が約束の時間よりも早く行こうとせがむので、満は渋々腰を上げた。

 家から北に進むと小さな川があり、両端に沿うようにして桜が植えられている。徒歩でも十分程なので、やはり待ち合わせまで時間があった。暇を潰すにも、体の良い喫茶店がある訳ではない。
 人がいないのが幸いだ。土手に座り込み、持ってきた読みかけの小説を開く。あちこち動き回る藍は無視する事にして。

 最初こそ賑やかな声も聞こえたものの、ふと顔を上げて周囲を見渡すと辺りはとても静かだった。上手い具合に相野田の姿が映り、本を閉じてそれを迎えた。

「あれ、藍は?」

 開口一番に連れ立ってきた彼女の名が飛び出す。だが満は特に表情を変えずに答えた。

「さぁ、俺も知らねえ。気付いたらいなかった」
「……こんな時まで本と向き合ってるからだろ」

 もっと気を使えよと呆れられたが、立ち上がった満は土手から離れ周辺をうろうろする。一応気になってはいるらしい。

「探してこいよ。待ってるから」
「おー、すまんな」

 そうは言ってくれたものの、思い当たる場所がない。待っていれば戻ってくる可能性も無きにしも非ず。あまり動き回りたくないというのが本音だった。

「全くこれだから子供ってのは……」

 ぶつぶつと文句をのたまいながら気怠そうに下駄を鳴らして歩く。あっちの角を曲がり、こっちの道を進み……それを幾度か繰り返した後、草野球をするには持って来いの広場を見つけた。
 それだけではない。そこには二つの人影があった。そしてその内の一人は確実に満が探している少女である。
 何故こんな所までと不思議に思いつつ名を呼ぼうとするが、彼女はもう一人の人間と何か言い合いをしていた。

「誰だ? あいつ」

 ぽつりと疑問を漏らしても彼女には届かない。面倒ながらに彼等に近付く。後半ばの所で、向き合う二人がこちらに一斉に視線を送ってきた。

「ミツ! あんた何で」
「お前が勝手にどっか行くからだろ。手間かけんじゃねえよ」
「……っとにかく、こっちに来たらあかん! 下がっとれ!」

 切羽詰まった声音に首を傾げるも歩みを止めない満に、耳慣れぬ男の――藍が対峙している中年男性の声がする。

「ほー。お前か、ウチの娘が世話になってるちゅうんは」
「……はぁ?」

 今、何て言った? 藍を、“娘”?

「うわー、悪魔二人目か。最悪だな」
「最悪って何やオラー! ウチと出会ったんは不幸って事かぁ!」

 正直な感想を満が述べると、すかさず藍が突っ込む。直後に場の空気は一変した。
 男が見えぬ圧力をかけると、対応しきれない満の身体が崩折れる。

「まぁええわ。観客がおったとてそう変わらん。かかって来ぃ」
「……ミツに手ぇ出したら許さへんからな」

 砂煙を立ち込ませ、低い声で父を睨みながら親指を噛む。血が流れ出すと同時、舞い上がってそれは剣の形となった。その柄を握るや否や、藍は人間の比ではない速さで父親に斬りかかる。

「はぁっ!」

 斬りかかると言うよりは、振りかぶるの方が正しいだろう。鉄扇で口を覆い優雅に笑う彼女の父が、幻滅したように言った。

「全然使いこなせてへんなぁ。何の為に家出したん? 成長がまるでない」
「う、煩い! ウチにはこんなん必要あらへんのに、無理に覚えさしたん誰や!」
「さぁ、そんなん知らんなぁ。誰やろなぁ」

 藍の父は彼女の攻撃を躱すか嫌味を零すだけで何もしない。藍は剣にも言葉にも振り回され、次第に動きが鈍くなっていった。

 端からそれを狙っていたのか、鉄扇を閉じた父が藍の剣を浮かせて取り上げ、圧力から解放された部外者である満に向かって投げつけた。

「! ミツ……!」

 途端に必死の形相で藍が追い付彼を庇う。
 満が閉じた視界を開いた頃には、目の前に血溜まりが出来ていた。そして、やけにゆっくりと倒れていく彼女。

「藍!」
「ちぃとやりすぎたか……」

 地上に降りて白々しく娘の無事を確かめる父親に、か細い吐息が止めようとするのも聞かず満は激昂した。こんなに怒りが沸き起こるのは、もう何年振りか。

「ふざけんなてめえ、それでも親か!」
「親やけど何か? 言うとくけど、この位で悪魔は死なんで。そう怒りなや」
「怒らずにいられるかってんだ!」

 血で汚れるのも構わず藍を抱き抱え、満は彼女の父を見据えた。相変わらず口元を隠したまま、楽しそうにひらひらと手を振って彼はすたすたと進む。

「ほな、わしは先にお前ん家に行くで。ゆっくり来ぃ」
「はぁ!? 家にまで来んのかよ!」

 更に文句を言おうとするも、彼はあっさりとそこから消え去った。怒りが治まらぬまま、花見の事など忘れ満も負けじと早足で向かう。

「……ごめん、な……ミツ……」

 か弱い囁きを残して、藍は気を失った。怪我人は黙っていろと言葉を返す必要がなかった事に、満は不思議と安堵して帰路についた。


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