彼等の日常(悪魔と物書き)

「あ、」

 昨日新しく買った洋書を読もうと本棚に手を伸ばした時、指にピリッと小さな痛みが走った。嗚呼またかと思いつつ手を離して確認すると案の定指の腹を割るように直線が刻まれており、残念な事に血が出ていた。とは言っても深刻になる必要は皆無な程僅かなもので、慣れているので放っておいても良いかと考えたのだが、つい先月からの居候と言うべき存在がいた事を思い出してニヤリと笑った。

「おい藍、こっちに来いよ」
「……何よ」

 満が縁側の日なたにいるのに対し、藍はその光を何処か憎らしげに見つめながら奥の方で佇んでいた。些か不機嫌気味の返答も、わざわざそちらに近付かなければならないのが億劫だからだろう。それでも無理にそうさせるのが満の意地悪い所である。

「指切って血が出た。舐めろ」
「はあ?」

 悪戯にそう言うと、彼女は文字通り目を丸くして叫んだ。

「悪魔は血を飲むって言ったのは何処の誰だよ」
「そやけどウチは好かんって言うたやろ!」

 余程日当たりを拒否したいのか一向に近付かないまま藍が反論する。埒があかないので、満は自分から歩み寄る事にした。本気でそうさせたいという訳ではないが、折角始めたからかいを無下にしたくはない。人差し指を藍の顔面にこれでもかと押し出す。

「ほら」
「いーやーやー!」

 顔を背けて全力で拒絶する藍に業を煮やしたのか、満は空いている手で彼女の肩をぐっと掴み、指を唇に押し付ける。心底嫌そうに呻くものの、諦めたのか藍は大人しくなった。それでも真一文字に結ばれた口は全く開かない。さてどうしようかと悩み始めた所で、玄関の引き戸が開く音が聞こえた。

「おーい、ミツー。いるかー」

 聞き慣れた一声に舌打ちと溜息が同時に起こった。それには気付かず、来訪者はずんずんと家に上がる。

「いるなら返事をしろよなぁミツ」

 両手に竹籠を抱えて居間に友人である相野田が現れても、満はさして出迎えるような態度は取らず。しれっとした表情をそちらに向けるだけ向けて、指は未だ藍の口に押し当てたまま。

「よぉ野田」
「ええトコに来たなアイちゃん!助かったぁ」
「……何、やってるんだお前」

 その反応は至極当然のものだろう。その内藍が満を押し退けて、相野田に抱きついてきた。引き剥がそうとする満の攻撃をするりと躱して、藍は籠の中の食材に目を輝かせる。

「アイちゃん今日は何作るん?」
「え、えーと……あ、そうだ。ほれミツ。菓子だぞ」

 躱された事にむくれつつ、満は差し出された両手にいっぱいの包みを受け取る。中は全て彼の好物である和菓子だ。

「じゃ、お勝手借りるぞ」
「おー」
「ウチも手伝うー」

 そして何時ものように相野田と藍は台所へ、満は縁側で一人和菓子を頬張るある日の昼の事。


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