脅迫と願望(雇われ魔王の喫茶店)

「我々はもしかしたら、貴女が知られたくない事を知っているやもしれませんよ」

 また後日が冗談であれば良いと、彼等の要求が嘘であれば良いと。密かな願いは木端微塵に砕けた。
 フレイヴ創業者が含みのある笑顔で放った台詞が、知らずにいて欲しかった彼等――アルバイトであるミモル、オリゼル、ウォルター――のいる空間に切り込みを入れる。

「……それは、脅しですか」

 怖々と、しかし先日のような震えはない。頭脳が冷静でいろと命じるまま、アイメリッタは据わった目で彼を見返す。こんな程度で折れはしない。この店は守らねばならないのだ。

「そうお取りになるのも無理はない。では、我々が調べ上げた事実をお教え致しましょう」

 開店10分前だというのに、喫茶店ソワレの厨房には身を凍らせようとする冷風があちこちを吹き抜ける。
 アイメリッタの足元を見るような発言の後、秘書が黒い手帳を開いて数ページ捲り、凛とした声を響かせる。

「我々はこの地に店を構えるにあたって、近隣の店を極秘調査して参りました。その中でも興味を惹かれたのは、言わずもがな此処、“ソワレ”様です」

 非常に穏やかな口調で、事態を呑み込めぬ店員達の心を引き寄せる。秘書は随分と話術に長けているようだ。
 店長以外でテオ一人が、彼女を気遣いつつも彼等への警戒を強める。これが、彼女が先日話していた店の関係者か。

「例えば、フレイヴが開店する前日。休業中にも関わらずウェラルト店長が店にいたのを発見し、私は密かに観察していたのですが」

 アイメリッタはその言葉に漸くハッとした。この秘書は何処か物陰からこちらの様子でも伺っていたのか。彼女の心情では、秘書のそれは監視にも思えた。
 感知し得なかった己を恥じるも状況と心理がその余裕を奪う。

「そこに一人の客人がやってきたのです。その姿は私達の国の」

 いずれ知られるのであれば、正しく今がその時か。だが彼女には言葉を止める術がない。
 実力行使などすれば彼等――フレイヴ側――も強硬姿勢を取るだろうし、かと言って不自然に割り込む事も却って彼等――ソワレ側――を怪しませる。
 ジレンマに締め付けられながら、アイメリッタは焦燥を抑えて一呼吸置かれた次を待つ。

「表情が、硬い……です、よ。店長……大丈夫ですか?」

 横並びにいた店員の一人、ミモルのソプラノに、紅茶に似た色の双眸が水面を弾くような瞬きを起こす。
 反射的にミモルを見下ろし、ぎこちない声で大丈夫と返して、アイメリッタはゆっくり秘書を見遣った。

「貴女に見られていたとは、思いませんでした。その……客人の、事も」
「こちらこそ。随分と我が国の王と親しそうになさっていて、私も大変驚き入りましたよ」

 衝撃。敢えてその音を具現化するとすれば、パキンと硝子が割れたようなもの。それは店員達の、置かれた状況、または雇用主である店長への疑念が生じた証。
 よく咀嚼できぬまま、意味が解らないと言いたげにアイメリッタに視線を送るはテオ除くアルバイト3人。

「そちらの方々はもうご存知でしょうか。我等フレイヴの本店が、何処にあるかを。……そこが我々の母国であり、貴方がたの店長が親しくなさっていた王の国です」

 黒縁の眼鏡をくいと調節し、秘書は淡々と彼等に告げる。そして更に、奥手にいたテオにも投げかけて。

「貴方の事も存じておりました。我等が国王の下で修業なさっていたテオさん。……まさかこの店の関係者とは気付きませんでしたが」
「……それは、どうも……」

 ちっとも笑えぬ瞳のまま、口角は自然と上がっていた。彼の作り笑いを見届けて、秘書の目は彼女に戻る。
 強張った表情にふっと一笑し、構えないで下さいと上辺の気遣いをした後、彼女の反応を想定までして。そこでフレイヴの創業者がゆったりと口を挟んだ。

「彼女がはっきりと名指ししなかった事に一喜一憂するのは早いですよ、アイメリッタ・ウェラルトさん。問題は山積みだ」

 両腕を背にやり、演説でもするかのように背筋を張って彼は言う。

「一つ、今秘書が言った内容を元手に我々に協力を迫られている。二つ、先程話した事実が外部へ漏れ出るという危惧。三つ、それが災いして魔王に被害が及ぶ事。四つ、更に貴女にも被害が及ぶ事。ざっとこんな物でしょうか?」

 アイメリッタを除くソワレ側に新たな現実が突き付けられた。テオが店員を代表するかのようにフレイヴに言い寄る。

「ちょっと待って下さい。一体何時そんな話が」
「おや、聞かされていませんでしたか。先日、挨拶ついでにこちらにお邪魔して、少し話をさせて頂いたのです」

 チェーン店化と、それが出来ない時は此処を立ち退いてもらう、とね。渋くもなく少年ぽさもない、青年くらいかと思わせる声が淡々と告げる。

「店長、それ……マジ、なんすか?」

 窺うのはウォルターで、見ればミモルもオリゼルもそれに追随して。こくりと頷けば、皆目を見張る。オリゼルが声高にアイメリッタへ詰め寄る。

「じゃあ、あたし等クビって事!?」
「ご心配なく。貴方がたは引き続きフレイヴの店員として雇用致します。……無論、店長含め、ね」

 給与形態も今より良くなりますよ。その分沢山働いて頂きますが。
 にっこりと微笑むその顔を恐る恐る、或いは怪訝に見つめる複数の視線。

「どうです。悪くはないでしょう」
「お断り、します」
「……おや、そうですか」

 即答に唇をへの字に曲げ、彼――フレイヴは、いたく残念な顔。

「では、先程の情報を世に広めても?」

 既にその眼には甘さがなかった。何なら今すぐにでも、そんな意思が見えた。秘書も同じように、屈しろと訴える。フレイヴを受け入れた方が身の為と言わんばかりに。
 そうして瞳を細め、アイメリッタを視界の中心に留めたフレイヴの低音が彼女から逃げ場を奪おうとして。負けじと睨み据える彼女に、若き創業者ルーラが距離を縮める。最早完全なる脅迫だった。

 と、一触即発の様相を呈する二人のやり取りを崩すように、オリゼルが勿体振って片手を上げた。

「あたし別に、此処は此処のままで良いと思う」

 がらりと変わった空気に内心面食らった秘書が「どういう意味です」と投げかければ、当の本人は気怠そうに。

「正直さあ、時給が良いってのはかなり嬉しいけど、忙しくなんのがイヤ」

 バッサリとそう切り捨てる。あたし等、学生だし。余りにも正直な意見に、フレイヴが成程と頷く。

「それに、この店好きだし。超個人的に」

 臆面もなくそう言う様に、アイメリッタは酷く安堵した。己を救う光さえ感じて、打ち震える。

「ふうん……そうですか。それならそれで」

 ――策を講じるまで。

「お忙しい時間に失礼致しました。では」

 存外あっさりと、一アルバイトの意見に身を引いたフレイヴ等を見送れば、彼等は誰からともなく脱力し。

「はー、つっかれたー!」
「朝っぱらから変な汗かいたし。最悪」
「何とかなって良かったです……」

 しかし、その後各人は共通した後味を口にして。
 ――彼は怪しい。あからさまに、だ。腑に落ちない終わり方が、撃退した安心感を曇らせる。
 一悶着あるかも知れないと思った。そうぽつりと零すミモルに、テオが同意。

「しかし今の段階じゃ、警戒するしかないだろうね。何かするのかしないのかすら判らない」

 厨房を出てフロアの先を見れば、すっかり常連となった客が開店を待っている。それを見遣って彼は言った。

「とにかく、この事は一旦忘れよう。仕事が先だ」

 放心状態のアイメリッタに代わり指揮を取るテオに、店員達は無言で従った。

*************

「何をお悩みです、ヴァンシュタイン様」

 今日も今日とて感情を表に出さない壮年の声が、手を動かしつつ意識が他に向かっている主を気遣う。珍しく、昔の如く丁寧に彼の名を呼んで。

「……貴方に話してもね……」

 眉目が判りやすく呆れる。盛大な溜息付きだ。

「おや、私では信用に足りませんかな?」

 足る足らないの話ではない。
 からかうように言う側近ラルフローレンに対しては、執務に関してのみ信頼している。出来る部下は上司として非常に有難い。
 だが個人的には、それ以外――仕事の絡まない時の飄々としている彼が苦手であった。いや、飄々としているのは何時もの事か。

 今、脳の隙間を通り抜ける悩みとも言えぬ悶々とした感情が、プライベートな物――アイメリッタ絡み――であると知っていて問い質した。側近の事だ、きっとそうなのだろう。だから言わない。
 ヴァンシュタインは言葉を選んでラルフローレンに返した――訂正、釘を刺した。

「覗き見は悪趣味ですよ、ラルフ」
「おや失礼な。お言葉は選んでくださいませ」

 はいはい、それはどうも。投げやりに返答して、テイルファーゲン魔王は視界を書類に戻す。
 ――それに、話した所でラルフローレンに解決する気はないだろう。“命令”でもない限りは。

 別に気にかける必要はない。彼女には支える人が別にいる。わざわざ行って、迷惑にならなくても良いのだ。
 儂が出来るのは、時折心で思い出す事。それだけだ。

「全く……あれはフィリーらしくない気遣いでしたね……」

 漏れるのは苦笑。そして溜息。腐れ縁の魔王に、ただ呆れながら。

*************

 彼はもう迎えに来ない。決意して城を出た日から。
 幾日が経ったろう。今日は久しぶりに、帰宅時間に彼を思い出した。

「やっぱり怒ってるのかな」

 しんみりとした声。
 あの人は普段優しいから、怒ったら怖そうだな。そう言ったら、驚くだろうか。

「来てくれても、良いんだけどな」

 そんなの我儘だ。即座に思考の何処かが言う。それをそうだね、と受け入れる。
 世話になって、出て行った身で偉そうに言える事じゃない。彼は魔王だ。この国の。私の生まれ育った国の。

「……まずは、フレイヴさん達に気を付けないと」

 どうせこんなごたごたの後では、いざ彼が来てもきちんと迎えられないのは解りきった事。
 目を閉じてリセットして、さあ、帰ろう。小さな我が家が待っている。



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