拙き反抗(雇われ魔王の喫茶店)

 曇りがちの空が一段と暗い日。静かに佇む王宮に近付く一つの影。
 王位を乗っ取った不倶戴天の敵を貶めるべく乗り込んだ博覧会。そこで魔王に捕まった兄の奪還に乗り込む人物は、ただ怏々とした心持ちで。
 その存在を感知した魔王の従順な側近であるオールベルが、主に硬い声音で告げる。

「陛下。予定外の客人が参りました」

 対象である彼も既に察知していたらしい。無感動に立ち上がり、気怠げに背伸びなどして。

「……行ってくる」
「私もお供致します」

 咄嗟に出た言葉。フィリーは苦笑して返す。

「誰も来るな。黙っておけ」

 それ以上紡がずに戸口へ向かう背に、側近は諸々の感情を飲み込み冷静に。

「……承知致しました。ですが決して、ご無理はなさいませぬよう。貴方に何かあれば私は――」
「解ってるよ、“爺や”」

 己の身を気遣う悲痛さに、穏やかな笑みを浮かべる魔王は居室を後にする。

*************

 その向こうに牢塔が見える庭園の一角。開口一番ターチェスが言った。

「貴様、一体どんな手を使った」

 冷静な怒りを兄と同じ褐色の目に宿し、眼前の敵を睨み据えて。それを難なくいなし、魔王は答えた。

「あ? 何の話だ」

 いや、答えにはならない。こめかみにも眉間にも、めいいっぱいの皺を寄せ、発言の真意を問う。

「“偶然にも”今日、嘗ての使用人に遭い、酷い形相で逃げようとするのを捕まえて城がどうなっているか訊いた」

 そしたらどうだ。先代からの使用人は一人残らずクビにしたと言うじゃないか。

「僕が誘いをかけてやると、そいつは何て言ったと思う」

 あの方に恨みはない。持った所で無駄だと。

「よくもまあ、そんな嘘が言えたもんだ。皆お前を見下していた癖に」

 惨めな姿になってまで綺麗事か。とんだ頭だ。そう笑って彼は言う。

「ま、あんな奴等、兄上が王位を継承しても同じ結末になったろうがな」

 ご機嫌取りしか能のない庶民共。彼等は兄弟揃って、他人――使用人に対してそう評していた。
 フィリーが口を挟む。

「やけに喋るじゃねえか」
「……巧く黙らせているな。あいつ等に金でも積んだか?」

 何たる下世話な問い。呆れも沸いてこない。

「所詮貴様も只の人――どうせ使用人共に、辞める代わりに大金でもせしめられたんだろう? 悪評や怨恨を持たれたくなかったんだろう?」

 意地汚い貴様のやりそうな事だ。吐き捨ててターチェスはフィリーを睨める。臆する事なく魔王は返した。

「魔王の殺しに誘いかけるとはな。元王族が物騒なもんだ」
「せいぜい怯えてろ。我々が何処まで力を蓄えているか、必死になって嗅ぎ回っているようだがな!」

 とても兄を開放しろと嘆願する側の物腰ではない。まあ、何を言われようと彼等には興味などないし、使える所があれば使うだけだ。そう――例えば、今。

「それで? わざわざ城まで来て、お前は直々に愛しの兄上を返して貰いに来たんだろ」

 意図的に引っかかる言い方をするフィリーに、ターチェスは一瞬瞠目し、直後忌々しげに睨める。

「貴様……魔王に成り上がって精神が堕落したな」
「何とでも。さっさと取引を済ませようぜ」

 やろうとしているのは取引だなんて生温い物では決してないが。

「ふん、脅迫か? 相変わらず汚い手を使うな。……今すぐ兄上を解放しろ、この似非魔王」

 は、と口角は上がる。似非魔王ねェ。渾身のギャグのつもりか。

「それが人に――ましてや王に懇願する言葉か? 罪人を返して欲しいと頼む態度か?」

 鋭く尖った氷柱のよう。杏の瞳は急速に冷える。伊達に百数十年この国に君臨している訳ではない。マロンシェード王は、言外に威圧を含め問い質す。
 ターチェスの表情が強張った。こいつ、我が兄に対して今、何と宣った?

「罪人、だと……?」
「ほら見ろ。喚く奴は相手に突っ込まれると直ぐに黙る」

 続いてフィリーが侮蔑を口にすると、ターチェスの瞳がくわっと見開いて。

「煩い! 偉そうな口を! 貴様がさっさと平伏せばいい!」

 相変わらずの言動選択。随分と聞き飽きた台詞だ。

「まだ同じ事を宣うか。兄貴が死んでも良いんだな」

 しれっと危機を煽る嘘を混ぜてみるも。

「貴様にそんな事が出来るものか!」

 だろうな。想定内の解答だ。しかしこいつ、己が今誰の前に立っているのか解っているのだろうか。いや、間違いなく解ってやっているのだろう。

「兄弟揃って舐めてるな……俺に権限があるのが解らないのか」
「黙れ偽物! 兄上を返せ!」

 似非だの偽物だの。呆れは過去に通り越した。寧ろ冷ややかに彼を見下して。

「ならば死ね。それが出来れば一言詫びてやる」
「!?」

 脅しを一発込めれば、再度褐色眼が身開く。直ぐには飲み込めなかったらしい。

「咎を犯しておいて、見返りなしに許される訳がないだろ。世界は何処までもお前等の思い通りにはならねえよ」

 そう諭すも、反射的に「卑怯な!」の言葉が打ち消してしまう。ならば、無駄に高い誇りを崩すには。

「嗚呼そうか、お前にそんな覚悟はないんだな。所詮お前等は“取り巻き”がいなければ何も出来ないんだな」
「貴様……!」

 盛大な溜息と共に呆れてやれば、知らず魔力を発するターチェスの体。もう後戻りは不可能。ものともせずに、フィリーはただ睥睨するのみ。戦慄く彼を何とも思ってはいない。

「力で敵わないからと頭を使うのは結構だが、なけなしの知恵をプラスした所で俺はそれごと撥ね返すぞ」
「……っ!」

 魔王は仕上げに、実にこの国を統べるに相応しい威厳を携え尊大な態度で以てこう放った。

「王に刃向かうのだ。それ位の事は心得ていような? 精々足掻いて俺を愉しませろ」
「よくも……よくもさんざ我等を愚弄したな……断じて許さんぞフィリー!」

 遂に彼は実力行使に及び、眼前の憎き敵を砕いてやらんとばかりの衝撃波を放つ。兄との血の繋がりを示す褐色の瞳は、既に怒りに支配されていた。

 それが合図だったようだ。兄弟は、レジスタンス内の庶民の中でも余程の手練を集めていたらしい。彼等がこの展開を見越していたか、或いは知恵の廻る者が臨機応変に指示したか。
 博覧会襲撃に参加していたメンバーよりは力が優れている。温存していたのだろう。若しくはこちらを油断させる為に。更に考えられるのは襲撃時のメンバーが皆、どうなっても構わないと判断された“捨て駒”――本人達が周知していたかは判らないが――だったのかも知れない。

 魔力の解放により髪が僅かに逆立ち衣服を靡かせたターチェスの背後を後押しするように、共通して紅いスカーフを巻いている彼等も各々の持てる力最大限を稼働させる。
 そのような状況になっても尚、魔王は淡々と己を取り囲む彼等に統率力はあるようだなと僅かに感心し。

「お前等にしては纏まっているな――……気配を隠すなよ、リーナル」

 牢から逃げ出すとは。何処までも罪を重ねるつもりのようだ。――尤もそれは、“仕組まれていた事”だが。
 さあ、どうしようか。ただ一網打尽にするだけではつまらない。

「兄上!」

 弟が魔力を収め即座に解放された彼に駆け寄る。同時に捕まった仲間の一部もそこにいたが、一様に衰弱の気が見られた。
 これでより、多勢に無勢となる。望んだ通りのシナリオ運びに、当然だと思いつつも可笑しさが止まない。順調に進んでいる。何もかも。

「“罪人は何人も特別の許可無く牢から出てはいけない”――刑法にそう記述されているが……さて、お前は一体どうやってあの“堅牢な”留置所から出たのか?」

 にんまり。杏の双眸は堅く微笑まず、弧を描く唇は深く笑み。企みを含むその表情に兄弟の頭脳は揃って警鐘を鳴らす。防衛本能は正常のようだ。
 背筋に寒さを感じながらも、些か感情の落ち着いた弟が毅然と反論する。

「ふん、本来なら兄上が王になるんだ。何れ国を統べる者が法に縛られる道理はない」

 寧ろお前こそ己の身を心配したらどうなんだ。真っ先に牢送りにされるお前が! ――嘲笑う声は何処までも腑抜けていて、虚空を支配出来る筈もないのに。“公のルール”を勝手に潰し訳の解らぬ“個のルール”を押し付ける様に、以前よりも見窄らしさを感じてならない。まさか此処まで、それと気付かずに罠に嵌るとは。

「そう言う事は王になってから言ったらどうだ。王族ですらない今言ったとて、ただの妄言」
「黙れっ、誰が俺達をこうしたと!」
「さあ? 一体誰の所為だろうな」

 至極興味なさげに、しれっと。フィリーの――彼等にとって諸悪の根源である存在の発言は、火に油を注ぐ事を止めない。更に怒りへ引火し、それが力を呼び寄せる。誰に仕向けられているとも思わず。

「いい加減にしろ悪魔! 貴様さえ居なければ……お前などこの世に要らなかったのに!」

 こうして己の生を否定されるのは久しぶりだ。幼少期に散々“聴こえてしまった”ので、慣れというか驚きはない。
 あの王宮でフィリーを認めていたのは母であるエルコーヴと、直接仕えていたオールベルのみ。それが狭い世界での真実だった。
 フィリーは本能の儘に燃やし尽くそうとする兄弟と、その魔力にあてられたレジスタンス達の厭に高揚とした空気にただ無表情。余裕がある、と言うよりは、別段“怖くもない”からだが。

「覚悟しろフィリー……必ず貴様を玉座から引きずり殺してやる」

 据わった褐色の双眸が睨めるも、魔王はそれを受け止めて。

「――やれるもんならやってみな」

 ありがちな煽り文句にて応戦。直後、我先にと攻撃を放ったのは兄弟ではなく取り巻き達だった。一人が始めれば周囲もそれに続き、やがて弾き出された荒れる風や火や雷が反発する事なく混ざり合い威力を増幅させ。
 皆その両の手も目も、今は同じ人物に集中している。敵である国の主に覆い被さるような力の動きに、フィリーは瞬間的なものではあるが城の一般兵にも劣らぬと感心していた。

「ふはは面白い! どんどん追い詰めて丸焼きにしてしまえ!」

 無力で無能な駒共――皆元は貧民である――が王を呑み込まんとする様に、僅かな意外性と余興的な楽しみを見出したリーナルが都合良く空間を煽る。
 こちらが余計な力を使う必要はない。愚民が何処まで魔王に対抗出来るか、一つ見物といこうじゃないか。致命傷を負わせた所で、止めを刺すのは我等が出番。

「とても無様でいい気味だ……苦しみ抜くがいいフィリー」

 此処で恨みが晴らせると確定したかのような言葉。疑う必要を微塵も感じぬ弟。酷く滑稽で、哀れ。
 さて、茶番も終わりにするか。

「よお、お前等一体誰に歯向かってるんだ?」

 くすくす。無邪気なようでいてその実見下した笑みが降る。フィリーを痛め付ける事しか頭にない配下達はキャパシティ以上の魔力放出に専念しており、変化に気付けたのは手を汚さずにいる兄弟のみ。
 文字通り呆然と見上げるリーナルとターチェス。何故――何故あいつは“無傷”でいる? 確かに呑まれていた筈だ……庶民とは言え束になった彼等の必死を、努力を、全て喰らって――

「精一杯の反抗ご苦労。次は俺が“お仕置き”する番だ」
「!?」

 何時の間に上空に、などと考える暇はなかった。にい、と纏わり付くような弧を描く唇が頭から離れない。リーナルは咄嗟に風を喚んだが。

「兄上! 大丈夫ですか!」

 壁になった訳ではない。フィリーは最初からリーナルのみを狙っていた。そこまでは感知し得なかったのだろう。兄が己を“庇った”と勘違いした従順な弟は、足元に蹲る身体を支えようとする。 
 疑いなき行動に、は、と漏れる呼吸。杏の瞳が冷酷に輝いていた。

「麗しい兄弟愛とやらか。――下らん」

 心底からの軽蔑の視線。怯まぬは弟。あの頃より成長はしたらしい。戦慄いているのは怒りの為か。魔王に楯突く者としては、些か頼りない。

「今この国の王は俺だ。ごちゃごちゃ寝言吐かしてないで、黙って従え」
「貴様、よくも兄上を……!」

 暴走。その名がぴったりと当て嵌まっていた。血を別けた兄ですら変わり様に恐ろしさを抱く程。精根尽き果て疲弊し置いてけぼりの配下達。遍くそれらを見下ろす魔王。形勢逆転。

「こんな弱い庶民共に任せたのが間違いだ。やはり僕が手を下すべきだった!」

 本音をぶちまけるターチェス。放たれた声に遅れて反応する者がちらほら。今、あの方は何と仰った――?
 湧き上がった一つの疑念に揺らぎ出す、皆を指揮する存在に“弱い”と吐き捨てられた配下。

「止めろターチェス! 治まれ!」
「許さない、フィリー……絶対に」

 弟の予想外の勝手な行動と、それに因って齎された避けるべき瓦解の訪れを暗示する、背後に散らばる庶民達の目。ただ一人リーナルのみが焦っていた。
 これでは台無しだ。全てが水泡に帰す。直前まで仇敵を追い詰めていたのに。狂った。何もかも。捕まっていた間に立て直した計画が、脆くも崩れてしまう。
 持ち堪えねばならない。例え己だけでも。そうだ――もう他人など宛にするものか。唯一の肉親であろうと、誰も力にはならない。己の為になるのは己のみ――

 感情を剥き出しにフィリーと攻防を繰り広げる、嘗て“弟”と思っていた“他人”。リーナルは無言で立ち上がり、そして吹き飛ばす。「邪魔だ」の一言と共に。

「!」

 すっかり外野と化していた配下の庶民達が一斉に顔を引き攣らせた。またしても予想外の行動。今度は統率者が。
 しかし誰より事態が解らずにいたのは、逆らう事なく叩き落とされた――彼。

「……?」

 これには流石のフィリーも意図を掴みかねた。こいつ今、俺じゃなく弟に。何故。
 理解する間もなく、地を這う者に地を這う低音が命じた。

「もういい。お前はそこで這い蹲っていろ」

 お前のする事は何もない。それが己に突き刺された台詞と知ったは、脳で数十回は反芻した後。
 見上げた先では、己のいた位置に兄が陣取っていた。相変わらずフィリーは飄々と、受け止めたかと思えばいなしたり、同じ対応を何度か繰り返して。

「どういう風の吹き回しだ。高みの見物は止めたのか?」
「貴様には関係ない……黙って死ね!」

 未だ緩みもしない王のネクタイに苛立ちを募らせながら、リーナルはならばと首に手を伸ばす。撥ね退けられるが懲りずに狙う。

「ははーん、形振り構っていられなくなったか」
「黙れ外道! 殺してやる!」

 図星を突く程余裕綽々としている。生意気で曲がりなりにも“義弟”だった者の態度は何時だって横柄だ。憎い事この上ない。早く死んでしまえと祈りすら起こった瞬間、やっと首根っこを手中に収めた。

「……止めましょう。リーナル様」

 刹那。誰もが声の主を探す。芯の通った響くテノールが、それまでの空気を壊した。動きを止めた手の中で、喉仏が窮屈だとばかりに唸る。
 反射的に弟――ターチェスの方を一瞥し、呆けている表情に読みが外れた事を悟る。彼でなければ一体誰が。

「もう良いでしょう」

 一人が若干ふらつきつつ、両足で大地を踏み締める。そして上空を視界に入れたかと思うと――

「なっ……」

 魔力を具現化した小さな光がリーナルの右手を射る。パァンと撥ねられたように鮮血が溢れ、フィリーは解放された。その口角は上がっている。

「良くやったオールベル。褒めて遣わす」
「!?」

 途端、ざわつく空気。他の配下達は誰だ誰だと騒ぐだけだが、リーナルとターチェスはその名に記憶を掘り起こす。聞き覚えのある人物名。
 まさか――?

「陛下、お怪我は」
「大丈夫だ。それより魔法を解いて良いぞ。疲れたろ」
「……では失礼して」

 結果は単純な、変化の魔法。背格好も声も雰囲気も何もかもが一変する。展開の速さに脳がついていかない、レジスタンス陣営。

「という訳で種明かしの時間。オールベルをあの姿と偽名で、お前達の組織に潜り込ませた。極秘の内部調査ってやつだ。判り易い“あらぬ噂”を吹き込んだりもしたな。例えば――この組織について嗅ぎ回っている犬がいる、とか」
「な、ん……?」

 声にならない声。唐突に物語が収束した違和感。余りの情けなさに自責の念すら零れるリーナル。
 何だと言うのだ。つまりは、つまりはこれは。この状況は。

「思ったよりも馴染み過ぎてて俺も驚いたがな。中々の演技派らしい」
「余り私をからかうのはお止し下さい陛下。貴方様の為に、一肌脱いだまで」

 あの時から、計算されていた。落とし穴に嵌められたのは――紛れもなく、こちら側。何たる事。

「何たる事だ……まさか、嗚呼まさか……!」

 へたり込み絶望に染まる褐色の目4つ。最早力も出ない。

「そういう訳。――ここまで暴れてくれたんだ、きっちり裁いてやるから安心しろ」
「あ、あ……ああ、あ……」
「如何に己が身の程知らずか骨身に沁みたな? リーナル、ターチェス。所詮お前達が集って俺に敵対した所で、無様に負けるのが落ちだ」

 くすくす。今度笑ったのは、先程まで仲間の振りをしていた魔王の側近。控えめに笑み、それはすぐ顔色を変えた。

「衛兵、この者達を一人残らず捕らえなさい。決して逃してはなりませんよ」
「各々の詳細な裁きは後で定める。取り敢えずは基本刑を科しておけ」
「御意」

 ――斯くしてフィリー王の捕物帖は、一応の終焉をみたのである。



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