ライバルはすぐそこに(雇われ魔王の喫茶店)

 過ぎてみればあっという間だった博覧会が終了して1週間。フィリーは遅れてアイメリッタが幼馴染みの元を離れたと知り、真相を訊こうと店に足を運んだ。
 当然のように勝手口に降り立つが、店内の静けさに今日は休みだったのかと悟る。だがしかし素直に引っ込むのも性に合わない。

「誰かいるかー」

 と問わずとも、扉があっさり開いた時点で、がっかりした気分は吹っ飛んだ。休業中にも関わらず当然のようにいた彼女に茶と菓子を用意され、すっかり定位置となったカウンターの端に座る。

「それで、何で出たんだ?」
「だって、長々とお世話になる訳にいきませんし。元々一人暮らしするつもりだったので、丁度良かったです」
「へえ……ヴァンも此処に来てないんだってな」

 特に差し障りのある話題ではなかったらしい。彼女は顔色を変えずに答えた。だが、邪魔が減って好都合などど思いながら紅茶を啜るフィリーの、何気なく放たれた最後の一言に手を止めるアイメリッタ。

「そうなんですよね……きちんと説明はしたつもりなんですけど……」

 納得出来てないのかなあ。しょんぼりする彼女をうっかり可愛いと思ってしまい。彼が項垂れる頭に手を伸ばした瞬間、弾かれたように顔を上げてアイメリッタが言う。

「そうだフィリーさん、この間はごめんなさい」
「はっ?」

 行き場のない手を浮かせたまま、アイメリッタの正しく自分が今飲んでいる紅茶と同じ色の瞳とかち合い、素っ頓狂な声を上げるフィリー。

「自分でも反省したんですけど、あの後テオさんにきつーいお叱りを頂きまして……」
「あ? あ、ああー、あれか。いや、確かに俺もビビったけど、まあ気にすんなよ」

 博覧会にて親しげに名を呼んだ事だと解り、許した勢いで頭をポンポンと撫でる。えへへ、と照れくさそうに不器用な笑いを浮かべるアイメリッタに満足し、フィリーは閃きを口にした。

「じゃあ俺が一言あいつに言ってきてやるよ。お礼はクッキーとマフィンな!」
「え? あ、はい、解りまし、た?」

 一言、何を伝える気か。思い立ったが吉日の行動に納得よりも不可解さを抱くが、お構いなしのフィリーは猪突猛進である。

「今から行ってくるから、約束な!」
「ええっ……って、もういない」

 言い出しっぺがいないのに考えてもしょうがない。黙ってお菓子を増やしておこう。

*************

「よおヴァン」

 扉を開いて飛び出てきたのは、幼馴染みでもある魔王の姿。脱力する。一瞬でもラルフローレンが新たな書類を持ってきたと考えた自分が愚かだった。

「……来るなら連絡しなさいと」
「良いじゃねえか幼馴染よ」
「はあ……一体何です」

 フィリーの過去を知ってから、彼に対して強く出れない事を此処で自覚する。必要がなければ話される事もないままだったそれは、他人であるヴァンシュタインの神経にちくりと痛みを残して。
 自然と下降していく心持ちにしっかと蓋をした時。彼が目的を言わんとする前に、ある事に気付く。

「あれフィリー。かなり色褪せたベストですね」

 元は灰色だろうかと推察しつつも、ヴァンシュタインはフィリーの衣服を指さす。
 プライベート故か、魔王としてはかなり気の抜けたコーディネートに思える。スーツが普段通りなだけに、余計に浮いて目立つ。

「ああ、これは母上が最後に編んだやつだ」

 酷くさっぱりと。無感動にそう返され、動揺するヴァンシュタイン。そんなつもりじゃなかった。まさか、彼の過去に関わっていただなんて。

「も、もしや服も……」
「ああ。当初はあいつらのお下がりをやるって案があったが、俺はあんな奴等の服を着るくらいなら裸のがマシ、あいつらはあいつらで俺なんかにやるくらいなら燃やしたほうがマシって反論してお流れになってな」

 あわあわと焦るヴァンシュタインの心根など知らず、当事者のフィリーは笑って話す。今まで秘していた事が嘘のように吹っ切れている。

「そんで爺やが時折街に出てポケットマネーで糸や生地を買って、母上は手先が器用なのを生かして色々と作ってた訳」

 あんな狭苦しい空間に日がな一日いて気が腐らなかったのは、そういう趣味が出来たからだろうな。
 柔らかい優しさすら滲ませるフィリーに対し、更に悲しみの色濃くするヴァンシュタイン。フィリーの眉が懐疑に歪む。何だその反応の悪さは。

「っておい、何勝手にしんみりしてんだ。こんな話をしに来たんじゃねえよ」

 お前とリッタの事だ。打って変わってきりりとした眉目が気弱い幼馴染みを射る。

「儂と……?」

 他人の昔に勝手に落ち込みつつも、空気が変わって己の話になった事に目を白黒させるヴァンシュタインの肩を、フィリーが荒々しく掴んだ。

「お前な、リッタが凹んでたぞ」
「は?」

 しょうがないから俺が一肌脱いでやる。言って説明を始めようとするフィリー。
 靄のかかったヴァンシュタインの思考が、此処で漸く晴れ間を見せた。ああ、あの事か。と覚悟はするも。

「リッタが此処を出てから、お前一度も店に行ってないだろ」

 ぎくり、肩が強張る。いや、それは――

「少し冷静になろうと思ってです……それに、魔王が近付くのも良くないでしょう」

 こんなところにいて政務はきちんと出来てるのか、あの店は魔王が居着いているが賄賂でも送っているのか、以前噂になったのはこの店長かなどなど。こちらを置き去りにした疑念が生まれていないだろうか。
 散々通っていて、やっと周囲の感情が想像出来ている始末。離れれば離れるほど、無邪気に過ごしていた過去がもどかしい。

 フィリーは黙っていた。物心ついた頃からそうだと思っている幼馴染の根暗な部分を見てしまい、段々と眉間に皺が寄る。
 阿呆らしい。一人で勝手に悩んでろ。

「面倒臭い奴だな。お節介終了だ」
「あ、ちょっと」

 痕でも残るんじゃないかという力に押さえられていた両肩の重みはなくなった。
 彼の気分屋な部分は腐るほど見てきたし判っているが、それにしても急速である。一体さっきの返答の何が鬱陶しかったろうか。

「余計な事して悪かったな」

 開いたままの執務室の扉から一陣の風が駆け抜ける。彼は消えた。

「一体何だったんでしょう……」

 と、一人ぽつんと呟いた所で誰も知る由はないのだが。

*************

 マロンシェード国魔王ご所望のココアクッキーとチョコチップマフィンが焼き上がった頃。甘い香りが充満する厨房に、癒されるとばかりに喜び勇んで飛び込む王その人。

「でだ、一応声はかけたが無理だった」
「そうなんですか……わざわざ有難う御座います。これ、どうぞ」

 結局何をしてくれたかは解らぬまま、お礼と称してそっと菓子を差し出す喫茶店店長。目を輝かせて喜ぶフィリーは、国を統べる者よりは、ただの子供だ。
 作り手として母親のようにその姿を微笑ましく思いながら、アイメリッタは尋ねた。

「前から思ってましたけど、フィリーさんて甘い物好きですよね」
「反動だな。昔は滅多に食えなかったから」
「そうなんですか? 食べ過ぎると虫歯になりますもんねー」

 まあ、私は苦手ですが。自分用にと分けて作ったジンジャークッキーをつまみながら彼女が言うと。

「こんだけ作れんのに?」

 意外だなと言いおいてクッキーとマフィンを交互に頬張るフィリーに、アイメリッタは甲斐甲斐しく新しい紅茶を用意する。
 作れるイコール好きとは限りませんよ。苦笑してカップにセイロンティーを注ぎ、フィリーはそこに角砂糖を一個沈ませる。

 ふと、裏口に気配を感じた。それを認識した時には既に遠ざかっていて、アイメリッタは手紙でも来たのだろうかと屋外へ向かう。
 すると彼女の推測通り、ポストからはみ出す紙が一枚。手にとってまじまじと見ると、そこには――

『明日開店! マロンシェードで大人気のチェーン店“フレイヴ”がテイルファーゲンにやってきた! 第1号店開店記念に、一週間だけ美味しいスイーツとパスタ全品半額!』
「へええ、新しいお店が出来るんだ」

 ――あまり近くじゃなければいいなあ。あれ、じゃあ、あそこで何やら準備していたのって……。
 同業者同士、仲良くはしたい。けれども売上が減るのは避けたい。向こうは異国にチェーン店を出すほど大きな店で、対するこちらは個人経営だ……とまで考えてハッとする。
 割を食う未来を勝手に見てしまい、弱気になるなと一喝。まだ何も始まってない。

「へーえ、あの店遂にこっちにも進出か」
「うわあっ! あーもう、フィリーさん脅かさないで下さいよ」

 アイメリッタ用に置かれていたジンジャークッキーにも手を出しながら、彼女の肩越しにチラシを見るマロンシェード国王。

「此処は確かに美味いぞ。俺も一度献上されたけど」
「そうなんですか」

 献上。流石に魔王である。そんな単語が出てくるとは。
 本国の魔王にこう言わしめるのだ。どんな味だろうか気になるのは当然。これは一度敵情視察に赴かねば。
 互いの顔が近い事など無関心に一人決意するアイメリッタを、横目でつまらなそうに一瞥するフィリー。そうだ、と今思い付いた悪戯を思い付いた瞬間に思い付いたように、さらりと行う。

「!」

 アイメリッタの左頬に何かが当たった、と気付いた頃には離れていた。そして意識すらしなかった客人との距離に、身を盛大に仰け反らせて。

「……っ、フィリーさ……っ」
「今頃気付いたのかよ。……だったらもっと悪戯しても良かったかもな」

 息がかかるほど傍にいて、そんなに存在感なかったか。予想し得なかった事実に僅かに凹むも、却って面白いと唇を歪ませるフィリーに。

「へぇっ!? い、いいいやそんなあのごごごごごごめんなさっ」

 顔を美しい茜色の髪と同じに染め、明らかに動揺する様。心底可愛いと惚気ながら、一生懸命にチラシで見られまいと隠すその細腕を掴んで、 悪魔の笑みを浮かべれば――。

「逃げんなよ?」
「ちょっ、離して下さいー!」

 魔王に遠く及ばない力で必死の抵抗を試みるアイメリッタ。初々しい反応に満足し、さっと身を離してフィリーは言った。

「とまあ、冗談は此処までにしてだ」

 冗談!? それにしては質が悪い。緊張と焦りで変な汗をかきましたよ!
 ああだこうだと言いたいが行動が伴わず、ぐしゃりと圧縮してしまったチラシを照れを誤魔化さんとしてせっせと広げる。

「じゃ、お菓子は貰って帰るからなー」
「あっ、はい。どうも」

 余ったクッキー達を入っている籠ごと抱え当然のように去る姿は、彼女にとっては拍子抜けであった。
 こちらの事務的な挨拶を前に消えてしまった気配をぼんやり見つめ、シワだらけになってしまった告知チラシを折り畳む。
 帰ってテオにでも話してみよう。引越しをしていて助かった。

*************

 翌日の大通りは普段より盛況だった。開店前だというのに、あの店には既に数百人の列が出来ている。
 今日が休みであればリッタも真っ直ぐそれに連なっていただろうが、生憎そうはいかない。例え勝手口の扉が業者でも店員でもない者に開かれていたとしても。

「……ん?」

 我が目を疑う光景、とは言い過ぎか。ともかくも、何やら見知らぬ人が二人――一人は笑顔を浮かべ、もう一人は固く口を閉じている――現れ、毅然と戸口に立っている。
 誰だ。どういう状況だ。押し売りか、勧誘か。刹那沸いた妄想はどれも自分に益があるとは思えないものばかり。
 身構えているリッタに、後方に控えていた眼鏡の女性が落ち着いた、と言うよりは感情の読めない声で開口一番に。

「初めまして。喫茶店ソワレの店長、アイメリッタ・ウェラルト様」
「!?」

 何故、初対面の筈の彼等がリッタのフルネームを臆面もなく言えるのだろうか。もしや何処かで知り合っていただろうか。

「私共は本日開店致しますフレイヴの者です。以後、お見知り置きを」
「ああ、そうだったんですか……どうも、アイメリッタです」

 妙に納得してしまったが、それを気にかけられる間もなく彼女――服装からして秘書だろうか――が場の主導権を男に譲る。

「私はフレイヴ創業者のルーラ・フレイヴ。お近くの同業者という事で、ご挨拶に伺いました」
「それは、わざわざ有難う御座います」
「お邪魔でなければ、少し話をして宜しいでしょうか?」

 あくまでも低姿勢。アイメリッタの警戒を解くには危なげない方法だろう。訝りつつも、彼女は耳を傾ける。

「実は……我々はこの店に助力を請いに来たのです」
「助力……?」
「ええ。我々はまだこの地に来て日が浅く、認知度も低い。社員を割いて情報収集してはいますが、それも完全ではない」

 そこからは彼等が主役であった。最初こそ相槌を打てていたアイメリッタも、次第に濃くなっていく要求に言葉を挟む事すら儘ならぬ。彼等の要望とはこのような内容だった。

『テイルファーゲンでの認知度が低いため集客方法や受けやすいメニュー、小売業者などの情報開示』
『知名度を上げるため店ごとグループに加入してもらいチェーン店化したい。勿論、店員達はそのまま雇う』
『それに同意出来ない場合は店の土地とノウハウをもらい立ち退いてもらう』

 社長が話した事をまとめ、秘書がこちらの割り込む隙間なくつらつらと述べる。そして一瞬の沈黙。
 徐々に敵対心を抱いたアイメリッタが断りを入れるべく口を開いた、正に絶妙のタイミング。

「では、我々はこれにて。失礼致します」

 彼女の意思を聞かず、二人の客人は去っていった。取り残された気さえする空間には、ただ一人。 

「………………」

 言い返してやろうと頭を駆け巡っていた文句は全て水泡に帰し、残るは灰黒の靄ばかり。アイメリッタは途端に言いようのない冷たさに覆われた。それは焦りを引き連れ、光のない思考を取り巻く。
 どうすべきかは解っている。情報提供は100歩譲って良いとして、あんな提案、拒否する以外にないだろう。僅かに震える足で咄嗟に外に飛び出してみたが、そこにはもうテオがいて。

「お早うリッタ。どうしたの?」
「え、あ、いや、何、も」

 口をついて出るのは誤魔化しで、直前の出来事を話す気が削がれてしまう。引き下がれなくなったアイメリッタは、それを自分の意思とした。落ち着いて、整理してから相談しよう。それからでも遅くはない。遅くはない筈だ。


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