喫茶博覧会(雇われ魔王の喫茶店)

 喫茶博覧会、開催初日。つい前日まで轟いていた風の唸りと不機嫌な空は既に嘘も同然となった。
 5つある会場の内の一つ、開催国であるマロンシェード会場に現れたるは主催者のマロンシェード国王、フィリー。一国に一つの会場を割り当て、これより全5日間の博覧会が行われる。

 開会式を終え、ホールの上階にある本部に戻る。常駐スタッフは今朝から多忙を極めていた。
 フィリーは奥に用意されたデスクに寄りかかり、彼等の報告に指示を出す。かと思えばすぐにその場を離れ、自国の会場に向かっている筈の彼に悪態をつく。

「おい、此処は関係者以外立入禁止だぞ」
「毎度ながら大盛況だね」

 極自然に忠告を受け流し無関係な感想を宣ったアルセールに「当たり前だ」と鼻を鳴らし、階下へ移動する。勿論、部外者をこの場から剥がす為。

「ヴァンシュタインは?」
「さあな。どっかの誰かと違って真っ直ぐ自国の会場に行ったんだろ」

 余り芳しくない表情で式の後にこちらと目を合わせる事なく消えた魔王仲間について尋ねるも、呆気なく一蹴。素っ気ない反応をまたも流れるように無視し、己が彼女について指摘した時の反応を思い出す。彼はそこまで思い悩んでいるのだろうか?

「何処に向かうんだい」
「俺の勝手だ」

 深く追及せず、さらりと話題を変える。案の定反応は冷たいが、寧ろこれが普通であった。

「アイメリッタの所かい? 依怙贔屓は止めた方が良い」

 足取りの向かう先を憶測で判断し、同時に嘆息して呆れてみれば、フィリーはアルセールの思惑通りに振り向かざるを得ない。

「……何の話だ」
「彼女も此処に来ているだろう。立場上、興味がない訳がない」
「だから?」

 直前に対する意趣返しか理由を言わせようとする魂胆に、アルセールは観念したわけでもなく渋々答えた。

「解っているのなら良いが、念の為に釘を刺しておこう。こういう場で特定の一般人に対して必要以上に親しく接するのは魔王として望ましくない行動だ。間違っても彼女にしないでくれ」

 偉そうに。内心で毒づいても、言うだけ言い捨てて自国の会場へと向かうアルセールには届かない。

*************

 博覧会が行われる敷地の北東には、今回はテイルファーゲン国が宛てがわれていた。マロンシェード会場は斜め四方にある各国会場を見渡すように、一段高い中央のホールと開催当初より決まっている。

「一つ、良いですか」

 会場の賑々しい姿を見下ろしながら、場に相応しくない神妙な声は問う。それを受け止める言葉もまた、トーンを落としたものだった。

「何で御座いましょう」
「何故あの時、彼女が城を出た事を儂に知らせたのです」

 何かと思えば今更ではないか。側近は主がそう問うに至った経緯を考えはせず、親切に答える。

「彼女は、成り行きとは言え城に滞在する事を許された。ならば出て行く時は、家主に一言申すのが礼儀。それすらせず勝手に飛び出した故」
「ならば、その後の滞在に反論しなかったのは」
「サービスですよ、陛下と彼女への」

 年の功が生み出す余裕を感じさせる笑み。魔王になって未だ百数十年の青年には、それは立派な挑発にも取れた。

「一度目の無礼は不問にし、次は常識を弁えるだろうという彼女への期待。残りは貴方の喜びを潰さないでおこうという老婆心です」

 おちゃらけるかと思っていたが、予想だにしない――そもそも予想などしていないが――生真面目な返答に、どういう感情を抱くべきか逡巡するヴァンシュタイン。一気に冷静になり、瞬間的に沸いた怒りは影を潜めた。

「では今回特に何もなかったのは、期待通りだったから、ですか」
「ええ勿論――そうそう、これは余談ですが。もし彼女が前回私に事前連絡でもしていれば、貴方に知らせる事はしなかったかもしれませんよ」

 再び神妙に戻る表情。納得し一度すっきりした感情に、灰色が混ざる。様々な言葉が側近を射抜こうとするが、彼の喉は奮わない。美しい水色から光がなくなる。

「……そう、ですか……」

 会場の角で繰り広げられていた問答など知らず、テイルファーゲン会場へ辿り着いたフィリーは、いるだろう腐れ縁を探す。
 中央に設けられた高台に佇みながら、側近を控え眼下を観察する彼を見付けると瞬時に移動。現れた姿に、まずはラルフローレンが会釈した。

「問題はないみたいだな」

 その挨拶に応えたのはヴァンシュタイン。お陰様での一言を笑みで受け止め、フィリーは続けざまに言う。

「リッタには会ったのか」

 陰りを孕んだままの水色の瞳が瞬く。無言の返答に、周知の事実だと疑わずにいたフィリーが意外だ、と返し。

「知らないのか? あいつの店、参加してんだぞ」

 想像出来た筈の彼女の参加を今頃知らされ、若干仰け反るヴァン。そして背後で我関せずの如く佇んでいる側近を睨み。

「……黙っていましたね」
「陛下がお尋ねになりませんでしたので」

 主の詰問をいけしゃあしゃあといなすラルフローレン。やり取りを他人事のように眺め、幼馴染の不憫さを密かに嘲笑うフィリー。

「まあ、どっちでも俺には関係ないが……あいつが煩かったからな」

 あいつ、という単語に、それは誰かと疑問符を浮かべる彼の心情を無視し、フィリーは更に告げる。

「それはともかく、気をつけろよ。外にも気を配った方が良い」

 彼らしからぬ真剣さを帯びた口調に、眉を顰める二人。良い知らせでないのを即座に理解する。

「何故私達が」
「悪い。俺の不手際だ」

 側近が問うと、謝罪がぽつり。大人しく反省を零すフィリーを宥めるでもなく、ラルフローレンは顎を捻る。

「……今までそのような忠告は受けていませんが、今回は違うようですね」
「ああ。万が一の時は民の安全を」

 当然だとばかりに、「解っております」と即答するヴァンシュタイン。頼り甲斐のある言葉に満足気に頷いて背を向けるフィリーを制止させんとするも。

「もしや、側近が傍にいないのもそれと関わりが?」
「じゃあな。他の奴等にも言ってくるわ」

 答えぬまま急いで消えた彼に、疑問の解決を諦め周囲を見遣る。透き通る水色に僅かな異変すら見逃さぬ意思を宿して。

*************

 全会場を廻り警告を終えたフィリーが、自国の会場へ戻ろうとした折。テイルファーゲン会場の東方に異常なうねりを察知した彼は、実害が出る前にと一人向かう。
 そこには既に同じ衣装を身に纏った者が十ほどいた。目をグラスで、且つ顔の殆どをマスクで覆った“連中”が、対象のお早いご登場に驚嘆と歓喜を混ぜ合わせる。

「先に来るのが魔王陛下直々とはな。余程自分の悪評を広めたくないらしい」

 威勢良く嫌味を放つは、先頭に立つ一際背の高い人物。その低音の声にはフィリーに対する侮蔑が含まれていた。

「そんなに俺の足を引っ張りたいか」

 己を揶揄する男に眉間に皺一つ寄せず、フィリーが薄ら笑いを浮かべて尋ねる。こちらの感情を煽る色強い魔王の態度に、努めて冷静に対処し、男が冗長なる演説を始めた。

「お前が発案したこの一大イベントで死傷者でも出れば、間違いなくお前は為政者としての能力を疑われる。例え未然に防げたとしても騒ぎがあったとなれば、不穏分子の一つも潰せない体たらくを罵られるだろう。そうなればこちらの勝ちだ。……必ず貴様を王座から引きずり下ろしてやる」

 長台詞が終わると同時、急速な魔力の練りが生まれ、目に見えてうねるそれは術者の翳した手と同じく真っ直ぐにフィリーを捉える。直後、うねりは彼の周囲を抉るように囲んで爆鳴を上げた。
 轟音を物ともせず、と言うよりは届いていない会場は、僅かな地の揺れなど何事もなく盛り上がっており。その中で異変に気付いたのはテイルファーゲン国魔王と側近のみだった。

「貴方は此処に残っていなさい。くれぐれも警戒を緩めないよう」
「御意」

 幼い頃からの腐れ縁を放ってはおけないと指示するヴァンシュタインに、甘い方だと密かに呆れながら従うラルフローレン。その優しさに昔から一番世話になっているのは、言わずもがな――彼の辿り着いた先にいる。

「生憎なあ、俺も対策を立てずに今日を迎えた訳じゃねえ。抑々、毎回警備は強化しているしな。どんなにネズミが紛れ込もうと無駄だ」

 嗚呼、砂が入ったじゃねえかと、丁寧に設えられている紺色のスーツを払いながら文句を垂れるフィリー。鼻を鳴らして忌々しげに見遣る男は、あの程度の攻撃で魔王が倒れる筈はないと解りきっているようだ。

「何とでも吠えるが良い。我々はどんなに時がかかろうとも、お前を――」
「バカの一つ覚えだな。同じ事しか言えねえのか」

 何時か誰かに、暖かな陽光を集めたようだと評された杏色の双眸はもう魔王ではなく、獣かと疑う程の鋭さを以て彼等を威圧した。

「黙れ! 運良くその立場を手に入れただけの貴様が!」

 タイミングを図ったように一斉に飛びかかる魔法。或いは火、或いは氷、或いは風、或いは拳、或いは武器――しかしそれらは何一つ、彼等が敵対する魔王フィリーに触れはしない。
 流石に予想を超えていたらしい。リーダーが苦虫を噛み潰した顔で言葉に詰まる。力を束ねても、浅い傷すらその身に刻めないとは。

「舐めるなよ。気を逸らしたつもりだろうが、子供騙しは通用しない」

 歩み寄り彼等に近付くは、恐怖の魔王として申し分なき黒さを纏うフィリー。男は堪らず、一歩足を下げる。

「いっ、一般市民に手を上げる気か!」
「お望みならそうしてやろうか? ……都合良く弱者ぶるなよ、下衆」

 全てが刺々しく怒る。ありったけの軽蔑で男を見下す杏には、全てを焼き尽くさんとする炎があった。ゆらめきは徐々に増大し――更に彼等を萎縮させ。

「そんなに俺が気に食わないと喚くなら、お前がなるか? 魔王に」

 ふつふつと沸く憎悪そのまま、ニヤリと笑むフィリーに怖気づく男。助け舟を出す事すらしない――いや、出来ない彼の仲間は、直接睨まれた訳でもないのに蛇に睨まれた蛙そのものだった。

「せっ、責任放棄か! 見苦しいぞ!」

 恐れを抱こうとも口だけは廻るらしい。いっそ尊敬の念すら覚えても良いくらいの彼に、フィリーの瞳が僅かに緩み、お前は無理だがなと嘲笑する。男が魔力を爆発させるには十二分以上の威力を発揮した。

「貴様ぁ! よくも……!」

 フィリーを倒そうと息巻く男は肩を怒らせ腕を戦慄かせ。そこに唐突に現れる別の存在に気付くのに遅れたのも無理はない。

「大事ないですか、フィリー」

 驚く連中を尻目に友人の身を案ずるヴァンシュタイン。フィリーがげんなりした表情で出迎えた。

「ったく、危ないから客人は来るなって」
「かと言って無視も出来ませんから。手出しはしませんよ」

 強大な力を有する魔王の一人が、敵視する彼の助太刀に来た訳ではない事を知った男はほくそ笑む。瞬時に仲間に目配せし彼に狙いを定めさせるが、しかし――

「止まれ! お前たちは包囲されている!」

 何処に潜んでいたやら、一気に数十人の博覧会警備隊が彼等を取り囲み。そんな筈はと睨むも時既に遅し。フィリーの冷笑に野心をこれでもかと踏みにじられ、男とその仲間は皆、魔力を封じる鎖で捕らえられた。

「身柄は拘留所に送れ」

 隊長等に命じて場を引き返すフィリーを引き止め、ヴァンシュタインは声をかける。

「訊きたい事があります」

 何を、などという問いは無粋なだけ。有無を言わさぬ意思に早々に根負けし、「後でな」とだけ答えて会場方向に去る。

*************

 テイルファーゲンの会場へ足を運ぶと、特に異常はないらしく繁華そのものだった。安堵するフィリーに人影が近付く。

「ご無事で何より。問題は解決したようで」
「お前なあ……主の手綱はしっかり握れよ」

 残っていたらしい側近を遠まわしに咎める。思わず苦笑が漏れるのを厭わず、ラルフローレンは頭を下げた。

「申し訳御座いません、フィリー様。以後、気をつけます」

 主によく注意しといてくれ。ラルフローレンが見送る中、人混みを抜けある店へと向かうフィリー。ざわつく来場者達を物ともせず、しかし己の立場と現状に感情を落として。

「すまないが、水をくれないか」

 公に適した、抑揚の少ない固い口調が手を伸ばした先には――
 此処は、彼が立ち止まった場所は、紛れもなく愛しいと思う彼女の店のブース。彼を見つめるは来場者や他の参加者だけでない。無論アイメリッタも、そしてテオと数人の店員も。
 年長者であるテオが真っ先に状況を理解した。他人行儀に視線を合わせず、静かに硝子のコップを手に取り水を注ぐ。それを入り口にいたアイメリッタに渡すものの、彼女は普段の――プライベートでの接し方が抜けず、水を渡した後、つい彼の薄汚れた衣服について尋ねる。

「フィリーさん、どうしたんですか?」

 嗚呼、やってしまった。天を仰ぐとまではいかず、手で顔を覆うテオ。“フィリーさん”と親しげに呼んだその一言に更に目を見開き、明らかにざわつくフィリーを含めた周囲。魔王が特定の店に向かった事だけでも驚いていた彼等は、ひそひそと小声を立て始める。
 自体を急速に収束させねば。フィリーは誰とも視線を合わせず、コップを持ったまま「後で必ず返す」とだけ言い残して足早に消えた。

 己の質問に答えず去っていった彼を気にかけるも、出来上がったギャラリーのこちらを異様な目で見るのに気付くと、変な事をしてしまったらしいと思い至り。今更己のとった態度に羞恥心を抱くアイメリッタ。
 自分が渡せば良かったと悔やみながら、テオが今の応対は間違っていると静かに窘める前に、ミモル達が尋ねた。

「店長、今のって……」

 どう説明したものか。どう言い繕えばと頭を悩ませる。結果碌なアイデアは浮かばず、彼女は目一杯の明るさを湛えて言った。

「気にしないで! さっ、仕事仕事!」

 やる気を見せて押し切ると、訊いてはいけないと悟ったか、それとも興味を失ったか。彼女等の探求心はどうにか治められたようだった。奥ではテオが衆目に晒されたこの店を憂い、項垂れていたが。


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