王女様と誘拐事件:Page.04

 脳の中で繰り返せば繰り返す程、込み上げる憤慨。そして悲しみ。アリ―ヌが心配して名を呼んでくれるが、とても応えられそうになかった。
 絨毯の敷かれた床に座り込み、偶然にも聞いてしまった護衛の言葉が、体を埋めて行く。余りに唐突で、そしてショッキングな話。
 辞める? あいつが、護衛を? 何故、どうして。

「エルナ!」

 びくりと効果音が聞こえそうな程、露骨に肩が跳ね上がる。左腕は動かせないので、どことなく不自然な感じだった。
 扉のすぐ向こうから耳朶に触れてくる音。それは間違いようのない、護衛の声。だけど今は聞きたくない。何を言われるかなんて知りたくない。きっと、あの事に違いないのだから。

「嫌! 誰も入らないで!」

 哀切極りない叫びが部屋中に響いていく。耐え難いこの痛みは、身体かそれとも心からか。
 返答は返らない。それどころか静かだった。少し離れた位置から、ドアノブを回す音がする。
 はっとしてエルナは、此処が護衛の部屋と繋がっている事を思い出した。瞬時に立ち上がり、ベランダへ駆ける。行き来出来るよう設置された扉はどちら側からも施錠可能な為、そこに立ち塞がって彼と張り合っても無意味だ。
 ――こうなったら、究極の手段に出るしかない。
 大窓を何とか片手で開き、風吹き荒ぶ夕暮れの世界へ飛び出す。窓を閉めてしまおうかと思ったが、流石にそれは止めておいた。

「エルナ」

 背後からジェラルドが声をかけるも、エルナが振り向く事はなく。

「来ないで」

 トーンダウンした彼女の声色は頗る悪かった。それと同時に、ジェラルドが静止した。
 そしてまた、エルナの中に怒りが生まれる。すぅ、と深呼吸し、彼女は棘のある瞳で護衛を見つめた。それでも表情の変わらない彼に、エルナはすぐに色をなした。

「ふざけんじゃないわよ! 何、辞めるって!」
「……すまない」

 ――謝罪なんかいらない。謝って欲しくて怒ってるんじゃない。

「私に何も言わずに勝手に決めて! 意味分かんない! 私が庇ったから? 黙ってあんたが傷付くのを見てれば良かったって言うの? あんな場面で何もしないでいるなんて、嫌よそんなの!」

 エルナは尚も叫ぶ。苦しそうに呼吸しているが、言葉の厳しさは変わらない。

「私の所為? 私が、いけないの……」

 悲愴ながらに激怒するその様は、ジェラルドにとっては非常に心が痛む光景だった。

「きらい、よ」

 途切れ途切れに肩を上下させ、エルナは俯いた。哀しく、空しい。胸がざわつく。立てた腹は治まらない。

「エルナ」
「来ないで!」

 考えの纏まらない頭で柵に足をかける。ジェラルドの顔色が変わろうと、もうどうでも良かった。

「止めろ、エルナ!」
「煩い! あんたなんかっ」

 眼下は木々が広がっている。落ちたって構わない。引き止めようと向かってくる護衛に、王女はありったけの怒気を込めた。

「大っ嫌いよ……!」

 がくん。視界が揺れた。支えを失った右手が、空中に放り出される。
 一面の緑が目に飛び込んできた。心臓がきゅっと縮まった気がしたが、恐怖感はない。

「エルナ!」

 声を辿ると、必死に腕を伸ばすジェラルドがいた。その切実な表情に安心感を抱き、ちくりと胸が痛くなる。
 不思議な安堵の後、エルナの意識はふつりと途絶えた。

*************

 ふわりと暖かさを感じたかと思うと、今度は柔らかい物に背中が当たる。朧気に意識が浮かび上がり、エルナは微かな呻きと共に目覚めた。

「う……」
「エルナ様!」

 真っ白な天蓋が映るより先に、護衛の友人であるウェルシュが覗きこむ。覚束ない頭を押さえながら起き上がろうとすると、いけないとやんわり窘められた。

「ご気分はどうですか?」

 問題ないと答え、怪我が完治するまで面倒を見ることになったと何故か嬉しそうに言う彼に苦笑しながら、もう一人の存在を探す。

「ジェラルドなら、あちらに」

 彷徨う視線に気づいたウェルシュが指し示した方向を追うように見ていく。本当にいるのかと浮かんだ疑念は、すぐに晴れた。
 ジェラルドは窓枠に凭れ、瞑目して所在なさげに佇んでいた。安心すると同時に、どう声をかけて良いか悩んだ。
 あれだけ盛大に「嫌い」と言っておいて、まさか笑顔で呼びかけるのは可笑しいだろう。しかし大っぴらに冷たい態度を取るのも気が引ける。
 うんうんと考え込んでいる王女に気が付いたのか、ジェラルドが改まった態度でこちらに進んできて、更に変に緊張してしまったエルナは、ついと目を逸らしてしまう。きっと今の自分は奇妙な表情になっているだろう。隠そうにも隠せないのが辛い。

「エルナ」

 発せられたテノールにすら、心臓が煩く鳴った。

「……お前はすぐ無茶をするな」
「なっ……」

 神妙な面持ちで何を言われるのかと思えば。真っ先にそれか、とエルナは心中で突っ込んだ。

「あんたがあんな事言うから」
「分かってる。……すまない」

 まただ。また、その言葉。
 あからさまに嫌悪感を露わにすると、ジェラルドは僅かに目を見張り、そして続けた。

「さっき、陛下にも言ったんだが……」

 言い難い事なのか、躊躇うように話を切る。それに合わせ台詞を聞き逃さまいと、エルナは神経を集中させた。

「あの進言は、取り消す事にした」

 身構えていたエルナの体から力が抜けた。その言葉は、己が心から望んでいたもの。彼がいなくならないーーそれだけで、こんなにも嬉しいなんて。

「ほ、本当に……?」
「……ああ」

 静かに、遠慮がちに頷くその表情に自然と破顔した。些か面喰った護衛の反応が面白く感じる。嗚呼、これで怪我の完治を待つのみだ、と思ったら。

「……聞きたい事があるんだが」

 何時もの真顔にぴたりと笑顔が止む。

「何故一人で助けに行こうとした」

 その問いに対する王女の声色は芳しくなかった。

「……どうして、も……?」

 話したくない、という気持ちが言外に表れているようで、護衛は首を横に振った。

「嫌なら、無理には聞かない」

 王女は瞼を閉じ、また開く。

「良いわ、話す」

 凛とした双眸には、一点の曇りもなかった。


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