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 骨のぶつかる鈍い音と共に想の掌底が大瀧の顎にめり込んだ。
 掴まれていた手が離れ、想は脱兎のように大瀧から逃げ出す。
 倒れている若者を肩に担ごうとしたが、叶わずに強かに床に全身を打ちつけた。
 落ちなかった大瀧に今度は左の足首を掴まれて、転んだのだ。
 しつこい!と想は悔しさから床を殴りつけた。
 大瀧は口内を切ったのか唇に血が付着しているが相変わらず穏やかな声だった。目は笑っていない。

「急いでいるって言ったよなぁ、ガキ」

 大瀧の言葉など聞く気もなく、手放した携帯電話へ腕を伸ばすが、あと20センチは足りない。
 大瀧は想の両足首を抑えつけて暴れにくくしたあと、気を失っている若者の頭、数センチ横をもっていた小型の拳銃で撃ち抜いた。
 発砲音に、想が身を強ばらせる。

「こんな銃でも頭ァ撃てば確実に死ぬぜ。言うこと聞くか」

 少し語気を強めた大瀧に、想から抵抗の力が抜ける。
 大瀧は想の足をはなして、携帯電話で連絡を取り始めた。
 想は床に座ったまま大瀧を見上げる。従いたくないのに、逆らえば若者は撃たれる。想は逃げ場のない状態に恐怖を感じた。
 自分が殺される事より、周りに危害か及ぶことが怖かった。想は春を失って、何かを守る自信を失っていた。こうやって、脅されても抗うことが出来ないことが恐ろしい。

「……はい、やっと。……分かりました。すぐ」

 大瀧が電話をしながら想を立たせ、背中に冷たい銃口を押し当てる。
 想は背中の銃口に恐怖はなかった。他人を拷問し始めた頃から、自分はいつ殺されても仕方ないと思うようになっていた。自ら死を望むことはなくても、死は突然やってくる事をよく分かっていた。
 大人しく大瀧に従ってジムを出てエレベーターに乗った。ちらりと時計を見ると、まだ島津達はやってこない。それにホッとして想はエレベーターが下に着くまで目を瞑った。
 新堂に知られたら怒るだろうか。どうしてやったのか問いつめられるだろうか。素直に打ち明ければ優しく抱き締めて安心させてくれるだろうか。いつものように。
 想は目先のことを飛ばして、現実から逃げるように新堂の腕を思い浮かべて胸を押さえた。
 名前を呼んで、腕の中で眠りたい。

「よし、行け。通りの向かいに車がある。見えるな」

 エレベーターから降りて足早にロビーを抜けたが、想は外に出る一歩前で立ち止まった。
 大瀧が疑問に思いながらも背中を強く押した。
 想は奥歯を噛み締めて半ば押し出される形でマンションから外へ出た。車に乗せられることが嫌だったが、何を言っても無駄だと分かる。車に着いたときには想は手のひらが汗塗れだった。車の横に連れてこられた想に、後部座席の窓が空いて記憶に新しい顔が覗いた。立花全だ。

「乗れ」

 想が息を詰めると、変わらぬ上辺の気持ち悪い笑顔で扉を開けるように指示される。

「じいちゃんの車に乗れんか。大瀧、乗せろ」

 扉を開いた大瀧に、またも押し込まれる形で車に乗せられた想は、立花全の隣に座り、彼を見つめた。
 中には運転手と立花全。助手席に大瀧が乗って四人だった。

「大瀧から話を聞いたがよ、抵抗はよくねぇなあ。まぁ、今は急ぎだから多目にみてやるがよ」

 タバコに火をつけた全がどっしりと背中をシートに預けながら想の膝に手をおいた。ビクッと身を固める想に立花全が少し笑った。

「怖がるなって。仕事を頼みたいだけだっつったろう。今回、コレが成功したらもう頼まんと誓う。お前にも見返りがあるぞ」
『みかえり』

 ひとり心の中で呟いた想の頭を立花全が撫でる。肉に覆われた大きな手が存在感たっぷりに頭に乗った。

「白城会の岩戸田、あいつァ漣に跡目負けして相当アタマにきてる。北川殺しを疑うほどな。それがバレれば漣もタダじゃあ済まんし、敵が増えるだろうよ」

 依頼分の額で立花全が岩戸田を抑える、との提案だった。しかし新堂も分かっているはずだし、手は打っているはずだ。
 想が何をしなくても上手くやるに違いない。
 想がなかなか首を縦に振らないことに焦れた立花全がタバコの煙を想に吹きかけた。
 静かに目を瞑る想の頬を立花全の手が撫でる。

「やらねぇっつーなら、こっちも容赦はしねぇ。これは交換条件だ。お前の周りに手をださねぇかわりに仕事をしろ!」

 優しい手つきとは変わって、言葉は強い。立花全の怒鳴り声に想が睨むように見返すと、立花全は歯を見せてにやりと笑った。
 視線が絡んでも、想は怯まず視線を強めた。

「花そっくりだ。あいつァ天使の顔して中身は武士だった。謙太よりも心の底から俺を嫌ってたなァ。お前ら家族を守るために俺に……腎臓をよこしたよ」

 立花全の手が頬から腰あたりに移動し、ぎゅっと掴まれる。
 
『かあさん』

 そんなことをしていたなんて、信じられない……という表情で想が息を飲む姿に、立花全は脂肪たっぷりの身体で想を抱き締めた。

「くっくっ、自分の守りてぇもんは自分で守らねぇとな」

 立花全の言葉が想に重たくのし掛かる。俯く想の背中を労るように撫でながら立花全が低く声を落として囁くように耳元に付け加えた。

「上手く行けば俺からお前に接触しねぇようにしよう。その上、漣の力になれる。失敗すればまた俺はお前に会いに来る。シンプルじゃ」

 身体を離した立花全が俯いたままの想の顔を顎を掴んで上げさせる。されるがまま上を向いた想と立花全の視線が交わるが、想に先程のような反抗的な色は無く暗い瞳が無感情に立花全を映した。
 何かのスイッチが入ったように、大きく暗い、黒い瞳が立花全を捕らえて離さない。
 ゾクッとしたモノを感じて、立花全は満足げに笑みを浮かべた。

「なぁ……想、やはり俺のところに来い。悪いようにはせん」

 数秒の間の後、想が立花全の懐に手を伸ばして携帯を抜き取ると、メモアプリに自分の言い分を打ち込んで全へ返す。

「ほぉ、俺を殺すか……いい度胸だ!立花全の孫ならそれくらいでないとなァ!!」

 文面に目を通した全が満足そうに笑い想の頭を撫でる。
 運転手と大瀧は二人のやり取りに聞き耳を立てていたが、機嫌の良さそうなボスの様子に小さなため息をそれぞれが吐いた。
 すぐに想と大瀧は車を降ろされた。別れ際に立花全は想を見たが、想は彼を見ることなく大瀧と共に別の車で目的の場所へ向かった。








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