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『れん』
襖の開く音に新堂と若林が振り返る。変わらぬ様子で此方を見る想に二人が微笑んだ。
想は手招きして、入ってこいという。
話が終わったのだろう。若林が立ち上がり携帯灰皿に煙草を押し付ける。それを新堂に渡すと、先に襖を大きく開けた。想の頭を撫でて奥の部屋に入っていく。
「さてさて飲み直すかなぁ」
「大丈夫か?」
新堂がタバコを消して灰皿をポケットにしまいつつ想を伺うと、想は、なにが?とでも言うように新堂を見つめる。
「…いいんだ。帰るか?」
想が新堂の腰を二回優しく叩いて若林の背中を指差す。『ひとりにしたらかわいそう』とでも言いたげで、新堂は微かに笑って想と共に部屋に入ると、後ろ手にそっと襖を閉めた。
「昼間からどんだけ飲むつもりなんだアイツは」
呆れて言う新堂に想は同意を込めて笑った。
部屋に戻ると若林は既に食事を再開しており、立花全の姿はない。想がきょろきょろと部屋を見るが、気配もなかった。
「オヤジはこれから中国だとさ。好きに食って帰れとよ」
「ふうん」
大きな机の周りをあっちへこっちへ膝で歩きながら料理を物色している想はほうれん草の白和えをよそって新堂へ差し出した。
『たばこ』
禁煙を破ったから罰ということか、新堂が想へ向けていた視線を白和えへ移す。一瞬の間のあと、口を開いた新堂に慌てて想が箸で一掴み食べさせた。
「…まじ?新堂……嫌いじゃなかったか、ほうれん草。想はすげぇな。関心したわ」
自分だったら殴られていそうな状況を見て若林が感嘆の表情で言った。
無表情に、ほぼ飲み込む形で口を空にする新堂に想が大笑いする。
『そんなにきらいなの』
「あ?」
『きらい』
「ああ。嫌いだ」
言いながらお酒を流し込む新堂に、もう一口勧めた想が鼻を摘まれた。
想はよく笑い、新堂はよく喋る。
以前とは明らかに変わっている二人を見て若林が口端を緩めて、穏やかな視線を鯛の煮付けに移した。
*
「お迎えにきました」
「おーっ塩田ぁ!こっちこいよう!」
屋敷にいる立花全の部下に案内されて塩田が来たのは夕方だった。
若林はワイシャツを脱ぎ、ネクタイをぐるんぐるん振り回しながら塩田を呼ぶ。完全に酔っ払い、ご機嫌だった。
昨今のごたごたでストレスが溜まっていたに違いない。事実、久しぶりの休みが今日だった。
「カシラ……じゃねぇ、ま、いいか。行きますよ!」
若林が組長になっても呼び方に慣れていない様子の塩田が座敷に上がって新堂へ頭を下げ、想に軽く手をあげて挨拶をした。
新堂が塩田に若林の上着を投げ渡す。塩田が素肌に上着を着せていると、想が来て若林のネクタイを頭に巻く。
「やるな。随分ボキャブラリーが出てきた」
塩田がニヤりと笑って想の頭を潰れんばかりに撫でる。眉を寄せて、ぼさぼさになった頭を適当に直している想に、塩谷の肩に寄りかかる若林が手を拭った。
「しんどぉのことたのむぞぉ」
みっともない格好で連れられていく若林をヤクザの組長とは誰も思わないだろうと、想は呆れ気味に頷いた。
「想にまかせるぞーっ!!な、塩田ぁ!」
「えぇ、そうっすね。出来たらアンタのことも頼みたい」
塩田が重たそうな若林に肩を貸しながら部屋を出て行く姿を見送る。長い廊下を意外と速いスピードで引きずるように進んで行った。
『だいじょうぶかな』
微妙な表情で小さくなっていく二人の姿を見ていた想の肩に手が押かれた。新堂だ。
「凌雅君も来たそうだ。心配なら外まで手を貸してやれよ」
言われた想は走って塩田に追いついた。若林の半身を支えて一緒に運び始めた想は若林と並ぶと小柄に見える。案外力があるのかふらつきはしないが塩田が手を離せば、潰されされそうだった。
「もっと腰に力入れて立て」
『はいっ』
塩田のアドバイスを受けつつ、頭を掻き撫撫でられている想を、ゆっくりとした足取りで新堂は追った。
「カシラ……いびき掻いてやがる」
塩田が大きな溜め息と共に呆れた様子で言い、想も苦笑いしか出来ずに車まで若林を運んだ。運転手も手を貸して後部座席に押し込む。
「助かった。ありがとうな」
『よろしくおねかいします』
想が若林の肩を叩いて塩田に頭を下げる。車のドアを閉めた運転手が頭を下げてからエンジンを掛けた。車が行ったことを確認して、想が新堂の車に乗る。既に新堂は広い後部座席に座ってタブレットを操作していた。
「終わったか」
想が頷いて新堂の向かいのシートに座る。
それを見た新堂は眉を寄せた。隣を指先示す。
それを見て、照れたように笑った想が席を移った。肩を抱き寄せられた想が凌雅の存在を気にして視線を向けた。
バックミラーで視線が合い、頬を染めて眉尻を下げている想に凌雅はウインクして見せた。『分かってるから大丈夫』と微笑む。
「敵ばかりじゃねぇよ」
新堂は優しく言いながら想の髪に口付けた。再びタブレットで資料を見始めると、大きく頷いた凌雅がアクセルをゆったりと踏んだ。
*
若林の乗る車中、塩田は涎が垂れそうな顔で寝ている若林の肩を揺すった。
「カシラ」
「うんうん、わかってるってぇの……」
寝ぼけた返事をする彼に呆れる。酒に強い若林がぐでんぐでんになる程飲むことは珍しく、塩田は実家嫌いの若林かここまで酔っ払ったことに内心驚いていた。
久しぶりに会った甥の想や義兄弟の新堂とはそこまで心許せるものなのかと疑う。これからは青樹組の中でも大きな岡崎組のトップとしてもっとしっかりしてもらわなければ、と塩田は強い視線を若林に向けた。
腕っ節は強いし部下の信頼も厚く采配も悪くない。敵には容赦ないが仲間が関わると情に熱く感情的になりやすいところが良くない。世話の焼ける上司に、塩田は額を押さえた。
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