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「シャワー浴びる?」
内田の声が奥から聞こえた。
その声に弾かれるように半分開けていた扉を放して智也は走り出した。後ろでアパートの鉄製のドアがうるさく閉まったが、気にする余裕もない。
しばらく走りつづけて立ち止まる。汗でシャツが身体に纏わりつく感触が気持ち悪い。心臓がばくばく鳴っていて、息もうるさかった。
智也はコンクリ塀に手を付いて体を支えながら涙を耐える。
なんで?どうして?どんなに自分に問うても答えなど無い。智也は胸の痛みにしゃがみ込んだ。
「…俺が浮気相手なのかな…」
まさかまだ高校生の自分が体験するなんて、と微かに笑みを浮かべた。
智也の中には答えのない質問がぐるぐる回り、薄暗くなって来たことに今頃気づいて時計を見ると20時になっていた。
バイトが終わったのは17時だったことを思い出して、いつまでもふらふらしてはいられないと頭を空にして帰路に着いた。
*
智也の両親は共働きだが家には母方の祖父母がおり、円満で不自由ない一般的に幸せな家庭だ。
祖父母たちは夕方までバイトだと知っているから、連絡もなしに帰宅がこんな時間では心配しているかもしれない。
家に近くなり冷静になると、ますます内田の事が頭を埋める。向き合って話せばいいだけ、と分かっているのに怖いという思いが微かにあった。
「あ…」
「智也先輩!遅すぎでしょ!」
考え事をしていて気付かなかった智也が顔を上げて家を視界に確認すると、家の前にはバイト先の後輩、江崎理玖がいた。真夏だと言うのにワイシャツのボタンを一番上まで留め、裾もきちんとしまっている。ボタンは全て解放され、中のビビッドカラーのTシャツが丸出しの智也とは大違いだ。
遅すぎ、と言うのはどう言うことか考えて、自分を待っていたのか?と智也が首を傾げる。
「なんでいるんだ?てか…家、知ってんの?」
理玖は頷いて斜め向かいのアパートを指差す。
「俺ん家あそこですから、よく見かけてました」
「…まじか…知らんかった…」
予想外すぎるご近所さんに智也は思わず笑った。
理玖は少し笑顔を見せてから、頭を下げた。
「さっきは失礼なことばっかり、スミマセンでした。最近先輩が元気なくて、なんか思わず…先輩の気持ちも考えてずに、ホント…」
「別にいいよ。付き合うとか考えらんないけど、江崎がよかったら、こんなご近所だし、俺は暇だから時々遊ぼうぜ。ほら、スマホ出せって。俺が登録すっから教えて」
智也は理玖の謝罪を遮って一方的に連絡先を聞き出した。
理玖は戸惑いながらも嫌がることはなく連絡先を口頭で告げた。後で連絡するから。という智也に、待っていますと軽く頭を下げて理玖はアパートの方に消えた。
理玖の姿をぼんやりと見送ってから智也は家に入って祖父母に挨拶を済ませる。そのまま自分の部屋に入るとベッドに飛び込んだ。
重いため息のあと、ポケットから携帯電話を取り出してぼんやりと眺める。
内田は夏休みに連絡を寄越すことはないだろうと思うと、智也はまた胸が痛くなる。
誤魔化すように理玖に連絡を入れた。
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