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 朝、七時半に中野は新堂のマンションに訪れる。
 運転手とは殆ど会話をしないが、お互いにそれで良い様子だった。
 広くて綺麗なエントランスを抜けてエレベーターに乗る。小さな鏡で身だしなみを整えた頃、到着を告げる音と共に扉が開いた。
 この階は新堂しかおらず、全室空室。部下が仮眠に使っていたり、客人へホテルの様に貸したりしていた。

「おはよう!」
「「はよーっす」」

 島津、蔵元コンビではなく、もう少し年上の二人が部屋の外で雑誌を読んでいた。

「社長はまだ中?」
「いや、もう出るよ。おはよう、中野さん」

 中野の問いに答えたのは部屋から出てきた新堂だった。外の男たちが爽やかに腰を曲げた。

「「おはようございます!」」
『おはよ』
「……!有沢くん!出かけるの?」

 スーツを着て新堂の後ろに立つ想に、嬉しそうに笑った中野に新堂が頷く。

「下まで送ってくれるそうだ」
「わざわざスーツ着なくてもいいじゃない?」

 その通りなので、想は恥ずかしくて新堂に隠れる。いくらか新堂の方が大きいが、隠れられるほどの体格差はないので、なんとなく見えてしまうが。

「まあ、そう言わず。これが想の鎧だからしょうがないよな」

 新堂に背中を押されて隣に立つ。
 何度か頷く想に、中野が微笑みエレベーターへ促した。

「スーツ姿、素敵ね。すらっとしてるから似合うわ。こうして見ると以外と大きくて驚いた。今度、ネクタイ選ばせて?」

 いつもドアの隙間や玄関先でしか顔を合わせたことがなかった中野が想を誉める。
 想は照れたように笑ってから俯いた。
 なごやかな様子に新堂も小さく笑って、着信を知らせる携帯電話を手に取った。メッセージがきたようで、さっと目を通す。

「中野さん、少し遠回りして行く。時間なんとかなるかな」
「……まぁ、社長の頑張り次第ですかね。社員にやらせればいいのに、何でも自分でやりたがるんだから、自業自得ってことですよ」
「頑張るよ」
『いそがしい』

 想が新堂に訊ねたが、『そんなことないよ』と笑顔で答えられる。
 いつだったか、『働くことが好き』と言っていたことを思い出して想も笑顔を返した。

「私にもっと仕事下さい。ね?」
「わかった。お願いします」

 エレベーターから降りてエントランスを抜け、外に出ると米産の黒いSUVから運転手が降りてきてドアを開けた。

「おはようございます」
「おはよう」

 新堂は先に中野を乗せ、後に続いた。

『はたらきすぎ』
「想までそんなこと言うのか」

 苦笑いして想の頬に触れて、別れる。
 運転手がドアを閉めて想に頭を下げると車はすぐに行った。
 想がそれを見えなくなるまで見送り、マンションに足早に戻った。エレベーターに乗って深く息を吐く。久しぶりの外の風は心地良く、想の心を弾ませた。
 新堂の言う通り、スーツが想の鎧だった。怖がっている自分の部分を隠す感覚で『以前の自分』になるようにする。
 『大丈夫だったじゃん』と自分を励まし、ネクタイを緩めた。エレベーターが部屋の階に着くと、廊下ですれ違った新堂の部下は想を好奇の目で見ていた。
 想は気にせず部屋に入って玄関にしゃがみ込んで胸を押さえた。
 ほっとして立ち上がり、スーツを掛ける。明日はもう少し出られる。そう言い聞かせるように決めて、ジムで身体を動かすために着替え始めた。









 新堂の乗る車が道路脇に停車し、素早く一人が後部座席に乗った。若林だ。内装は変わっていて、向き合う形で座る広いシートが乗っている。
 若林は新堂の向かいに座って、ひと息ついてから顔を上げた。無精髭が生えていて、忙しさが分かる。

「何の用だ」
「想のこと!どんな様子だ」

 身を乗り出して新堂の肩を揺さぶる。その表情は心から想を案じていて、親心の様に深くて温かい。

「元気だよ。オヤジに伝えてくれ。今週中には行く」
「マジか……よかった……!外に出たくないって聞いてたしよ……医者は追い詰めないほうがいいっつーしよう……ホント……あいつが死にたがってたら、って思うと泣けて泣けて……!!」

 鼻水を啜る若林に、中野がポケットティッシュを差し出した。ヤクザ相手にも怯えることのない中野の優しさに、若林が会釈してそれを受け取る。

「あいつは頑張ってる。無理矢理自分を奮い立たせてる感じはあるが、それでもいいと思ってる」

 若林が頷く。
 新堂の想への愛情は『対等』であり、男同士として向き合っている。
 対して若林は『慈しみ』のような、親が子供に向けるものだった。
 どちらも変わりなく、大きく、想を思う気持ちだった。





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