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「…ただいま」

 新堂が部屋に入ると、想が廊下に出てきて走り寄ってきた。
 普通に仕事をこなし、国内最大級とうたわれる青樹組の組長であり、想の祖父で若林の父、自分の育ての親の立花全に呼び出され色々と気疲れしていた新堂だが、思わず笑った。

「その様子だと島津に勝ったな」

 新堂のコートを受け取り頷く想の唇を奪う。がぶりと噛みついて、逃げそうな想の腰を引き寄せて口腔を犯す。舌を絡めて、吸うと鼻に抜けるような甘い息の音が漏れる。唇を解放して想を見ると、ほんのり顔を赤くして固まっている。

「我慢できなかった」
『おどろいた』

 思わず口にしたが、想のそれは音にはならず新堂にも分からない。しかし、想はもう一度触れるだけよキスを自分からして、リビングへ新堂を引っ張るように連れて行く。

「今日は?」
『さかな』

 グリルを指差してツボダイを取り出してお皿に載せる。味噌汁をよそっていると、手を洗って来た新堂が何も言わずそれらを運んだ。

「いただきます。かなり料理が出来るようになったな」

 広くはないローテーブルに向かい合って座る。
 凝ったものは出来ないが、もともと器用で要領もよかった想は、大抵のことは並にこなした。
 誉められると更に。
 想はまったく料理をした事がなかったし、興味さえなかったが、食べることは好きだった。それは母が料理好きで、裕福な家庭だった故に毎日美味しい食事を当たり前にしてきた。ただ、一人暮らしをしても料理はする事がなかった。というより、料理が分からなかった。
 新堂は何も言わないが、ありきたりな味で大丈夫かと心配になる。それでも残さず食べてもらえることは嬉しいことだった。

「オヤジ……想のジイさんが、春ちゃんに会いにおいで、と仰っていたよ。想にも会いたいと」

 綺麗な箸使いで魚を食べる新堂を見ていた想が俯く。
 会いに来い、とは線香をあげろとか、そう言うことだろう。想は葬式にも出ていなかった。ずっとこの部屋にいる。無理強いはされないという甘い環境から、なかなか踏ん切りが付かない。

「無理に行く必要はねぇけど、一応伝えとく。行く気になったらいつでもいいから」 

 優しく言った新堂は箸を進める。
 想は逆に止まってしまった。

『かえってこれるよね』

 しばらくの沈黙の後、想が真剣に訊ねる。
 不安そうな想の言葉を探るように新堂が見つめている。新堂も100%唇の形で言葉が分かるわけではない。
 声が出ないと分かってから言葉を感情的に伝えられない事の難しさを想ら強く感じていた。

『ここにかえってこれるよなっ!』

 必死に音にならない言葉で何度も訊ねる。伝わらない声に悔しくて膝の上で箸を握り締める。
 そんな想を見て、新堂が身を乗り出して頬に手を伸ばしてそっと撫でた。

「心配するな。俺がいるから。必ず帰れる」
『やくそく』

 想はテーブルを周り、新堂の横に移動すると、しがみつく様に抱き付いて目を閉じる。箸を置いてきつく抱き締める新堂の腕を感じて、想は滲む視界をさらにきつく閉じた。

「……今度は約束を破らない。絶対」

 想を抱く腕に力がこもった。
 春を守れなかったことを言っているのだと分かり、想が首を横に振る。新堂の所為ではない。守れなかったのは想自身。いつでも新堂はやれる限りを尽くしてくれている。自分はどうだ。今も部屋から出たくなくて泣きそうだ。
 想は自分に嘲笑した。

『かっこわるすぎる』

 誰に聞こえなくとも、想には自分の大きく響いた。今朝、人に認められるような人間になりたいと思ったはずなのに……。
 暫くの間、想は新堂の腕の中で悔しさに歯を噛み締めた。









 すっかり冷めた夕食も新堂は綺麗に食べた。新堂がシャワーを浴びている間に片付けを終えた想はクローゼットを開いていつものスペースに座った。膝を抱えて丸くなり、目を瞑る。数秒間そうしていたが、不意に立ち上がって自分のスーツを確認する。何着か新堂が用意したものだ。想は安いリクルートスーツばかり着てきたが、触っただけで何かが違うと感じさせる。
 どれも暗い、ブラック、ダークグレー、ダークブルー。一番黒い闇色のスーツを出して身に着けた。身体にピッタリ。
 スーツを着ると、自分も社会の一部になれるような気がした。全部を隠してくれる、その他大勢のひとりとして。
 懐かしく感じるスーツの感じに、ふと手のひらを見た。相変わらず血に濡れ薄汚れて見える。それを隠すように拳を握った。人を殺して楽しいわけはないが、もう最近は何も感じない。それが最善と思えば虫を殺す感覚だ。
 北川は『殺しの才能だ。それが楽しみなキチガイでサドなヤツが時々いる。お前もそういう素質がある』と言っていた。想は北川の言葉を反芻して、握っている指先が冷えるのを感じた。人間として、大丈夫なのだろうか……自分はおかしいのではないかと心配がよぎる。
 想は拳を見つめたまま立ち尽くしていた。
 すると突然、突っ立っていた想に新堂が声をかけた。

「似合ってる。想は若いし暗い色が映えるよ」
『ありがと』

 想は暗い考えを捨てて新堂に微笑んだ。


 



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