1
閑話、島津優の1日。
*
四勤二休、交代制。島津優の仕事は見張りという名の忍耐力を養うこと。もう半年、マンションの一室の前が勤務場所となっている。休日以外は同マンションの一室を自由に使うことが出来るようになっていて、ある意味快適だった。
相棒の蔵元とはやんちゃしていた頃からの付き合いで、こういう仕事は息が合う方がいいから、と兄貴分の命令で共にやっていた。
「退屈だね」
「何言ってんだよ。そろそろ社長が出勤だ」
はいはい、と部屋の前にある椅子から立ち上がる蔵元を睨むようにする。蔵元はサラサラの黒髪を気にして、ワックスとスプレーが携帯電話並みに大切だった。
島津と違い、細身。ケンカは強くないが、口の回る男だった。
そんな蔵元は島津の睨みに慣れているので目を合わせずに腕時計を確認した。
「よーし、中野ちゃんが先か。社長が先か。5000円賭けよう」
「「中野」ちゃん」
二人そろった選択肢に、賭けになんねぇ!と笑うと、噂の中野が足早にエレベーターから登場した。サラサラの黒髪に黒縁眼鏡、ダサい膝丈スーツと洒落っ気のないシャツ。低いヒールがそれを引き立てる。
「いつものお二人さん、おはよう!社長はまだ中なの?」
ハキハキと話して部屋のドアの真ん前で仁王立ちをする中野は、一般人で新堂の臨時秘書をしている女だ。もとは新堂の会社で働いていたらしい。
化粧も薄くてあまり魅力的ではない中野を選んだ理由に誰もが首を傾げるが、島津には何となく分かっている。彼女は勇ましくハッキリしていて利口。誰かさんにそっくりだと思っていた。
島津を初めて見た人間は大抵目を逸らす。右の目の下から鼻、左目の下を通り、耳の傍まで横一筋に深い傷があり、目つきも悪くてあまり印象は良くない。
しかし彼女はそんな島津と初めて顔を合わせた時も、まじまじと島津を見てから『ズボン下げ過ぎじゃないかしら』と、言った。
「中野、もっと短いスカートはけよ。足は綺麗だし、尻もなかなか」
「『中野さん』でしょ。私はこのくらいの丈が好きなのよ。二人ともズボン上げなさい!パンツが見えそうだわ」
「中野ちゃんなら見てもいいよ〜。今日はブルガリだよ」
「『中野さん』よ。パンツは結構。毎日息子のパンツ干してて、見飽きてるのよ」
子持ち!?と二人が驚いていると、静かに開いた扉から新堂が表れる。玄関には想もいた。
「社長!有沢くん!おはようございます!」
「おはよう。今日も早いな」
『社長が遅いんですよ?』と眼鏡フレームを押し上げる中野に新堂が謝る。
『気をつけて』
ゆっくりと言葉を形で表して手を上げる想に頷いて、新堂と中野が廊下を行く。
想は部屋に戻っていった。
蔵元と島津が頭を下げていると、新堂が島津の肩に手を置いた。
「今日も想を連れ出してやってくれ。同じ時間帯を貸し切ってる。腕や脚なら骨の一、二本折れても滅多に死ぬことはないから、気にせずボコボコにしてやって」
「昨日はすみませんでした」
「気にするな。想は燃えてる」
エレベーターで待つ中野に呼ばれて、新堂はマンションを出て行った。
「社長、変わってるよな」
「んなことねぇだろ」
「普通、恋人を『ボコボコにしてやって』なんて言わなくね?実は変態とか?」
「……社長を馬鹿するとお前でもぶっ飛ばす」
えー?!と大袈裟に驚いた蔵元はそれ以上は言わずにポータブルゲーム機を取り出して遊び始めることで島津の視線から逃げた。
島津は携帯電話で時間を確認する。想との勝負まで二時間はあり、アラームをかけて椅子に座ると目を閉じた。
*
よく補導されていた未成年の頃、とは言ってもまだ二十歳の島津にはつい最近だが、致命的なミスを犯して少年院送りを覚悟した。
島津は車上荒らしや車やバイクを盗んで港まで運ぶ事に加担していた。国内は管理が徹底しているし、半端な組織では捌けない。解体して部品をアジアへ船で運ぶ、やくざ絡みの会社で使いパシりをして金を稼いでいた。
両親は真面目に開業医として働いていたが、忙しい分、島津は放任されていて悪い仲間が多かった。家にも帰らず高校は中退、母親は口うるさく心配をしていたが、近い警察では顔馴染みになるほど補導されていた。
「今回ばっかりはなぁ……現場にお前の血痕。その場にいたんだろ?」
「いたよ。さっさとぶち込めばいいんじゃねぇの」
呆れる刑事に、島津は投げやりに応えた。
たまたま車を盗みに入った駐車場で、男女の揉み合いに遭遇して島津が止めに入った。
男は有名な暴走族の男で、顔見知りだった。危ない人間との噂通り大ぶりのナイフを持っていて、島津は顔を切られて意識を失った。凶器は残され、気を失った島津と既に失血のショックから息絶えた女性が現場に残された。
気が付いて途方に暮れていると、通りかかった人間に通報されたという流れだった。
一通り手当てをされてここに座らされている。まるで顔面ミイラ状態だった。
「誰にはめられたんだ。お前はワルじゃけんど、人を殺すとは思えんよ。まだ決まったわけじゃぁないし、怪我人だから此処に居られるが、このままじゃあすぐに出られん場所に移されるぞ」
「知るか」
「刑事さん、その包帯小僧は殺していません。……被害者。そして新堂さんの車を盗もうとしたヤツです」
「おおっ!新堂くんのとこの部下か……早かったな」
「はい。これ映像です。で、そこのお前はどうして社長の車を盗もうとしたんだ。理由によっては……地獄を見るぞ」
「…………」
「その子、持ってって良いから余所でやってー」
渡された封筒を持って上機嫌に手を振る刑事は島津を助ける気はないらしい。
ヤクザ屋だとハッキリわかる風貌の男に連れられて、死を覚悟したことを思い出した所でアラームが時間を告げた。
*
「島津、タイマー鳴ってるよ」
「おう」
椅子から立ち上がり部屋の扉を上ける。玄関まで。それが立ち入り可能な場所だった。
「ありさわー!早くこい!」
今日はすぐに出てきた想に島津が満足そうに頷いた。
想の足取りは軽く表情も生き生きしていて、島津は隣を歩く存在に少しホッとした。微かに顔が緩む。
ジムに入ると、昨日と同じくグローブを投げ渡したが想はそれを外に放った。
「使わないでいいのかよ」
頷いて拳を握る想に、島津は口端を上げた。
本気、そんな言葉が当てはまる気がして、島津も想を見据えた。
お互いに睨み合っているのに、わくわくして唇が笑う。
「遠慮しねぇからなっ!」
島津が距離を詰めて左下から打ち上げる。きっと避けると予測して右の準備をした島津だが、当たるより先に自ら左拳を腕で受けた想が島津の腕を掴んで引っ張る。
身体のバネ利用して床を蹴り付け、宙を舞った想の姿を視界の端に捉えた島津だが、次の瞬間には床に押さえ込まれていた。腕を捻るようにして床へ押し付けられる。
あっと言う間に首に足が絡まり、腹這いの形で床に押さえつけられ、腕を取られたまま首を締める足に力がこもる。
逃げ出せるか、島津が奮起して右腕で起きあがろうとするが、想は全力で締め上げる。
捻れた腕が悲鳴を上げて起きあがれずに諦めた。降参の姿勢で右手を挙げると拘束が解かれる。
島津が悔しそうに仰向けに転がると、想が上に乗っかって見下ろすように笑顔を向けた。
「てめぇ……そんな嬉しいかよ」
得意気に頷く想にムカついて、島津は手のひらで想の顔を押さえて上から退かした。なぜか島津の顔にも笑みが生まれた。
「もう一回。次はそうはいかねはぇからな」
パーカーを脱ぎ捨てて睨む島津は楽しそうに笑っていた。
*
島津が床に座って水を飲む横で、息を切らした想が仰向けに寝たまま、島津の左腕をつついた。
シャツに隠れているが、左の首元から肘上までトライバルが存在感たっぷりに主張している。
「あ?」
『いたい』
「痛くねぇよ。入れてるときは多少はあんじゃね?部位にもよるしよ」
新堂の背中は濃紺と紅で、何かで見たことがあるような仏神がある。
島津の刺青は何か柄の連なりのような模様り全く雰囲気が違う。彫り物に詳しくない想はさっぱり分からないが、島津のは動物、虎の様に見えた。
そういえば若林は朱い鳥だった気がする、と思い出して、みんな入れているのかと錯覚してしまう。
「社長もある?有沢も興味あんの?」
頷いて、目を細めて合掌してみせる想がおかしくて島津は笑った。
「あー、社長は和風?きっとすげぇんだろうな…手彫りのやつかな。多分、有沢が刺青とか社長は許さねぇと思う」
想の考えをなんとなく理解して、島津が言った。
想も新堂は嫌がりそうな気がして諦めたように頷いた。
*
夜、22時を回った頃、交代の二人がやって来て島津と蔵元がマンションを出る。明日と明後日は休みだ。
「明日はどっちが有沢さんの相手するんだろうね?」
「あの二人じゃやられるな。有沢だって雑魚じゃねぇ」
「そっかー。もー、仲良しじゃん。つかさ、今日フーゾクいかね?金ある?ナンパしてもいいけど、ヤるとこまでつめるのめんどいしさ。って、おーい島津……シカトでしゅか……ひどぉい」
蔵元が構って構って!とちょっかいを出したが、島津は駅までの道中ずっと今日の敗北を思い出して拳を握り締めた。
ああいった身軽で柔軟性のある動きは自分は出来ない。そう思うと悔しさがある。動きを止めてこちらのペースにしなければ、と次の事を考えて蔵元の話など聞き流していた。
*
「ちょっと!ちゃんと料金持ってきなさいよ!」
「うっせー!高いんだよ!こんなちゃっちぃタトゥっ……ひぃっ」
「今すぐ決まった金払って帰れよクソ野郎。あ゙ぁ?なんなら金貸し紹介してやろうか。いいとこ知ってンだ」
店先で揉めていた金髪を盛った若い男の胸倉を掴んで島津が凄むと、ビビって財布から札をあるだけ出す。数えて必要な分を金庫に締まった女性が余りを男に返した。痛み止めの処方箋もジーンズのポケットへ押し込んでやる。
島津が手を離すと、逃げるように走っていった。
「おかん、飯まだある?」
「やだ、優!ご飯ほしいならメールしなさいよ…何もないって」
『あっそ』と店の奥のドアを開けて居住スペースに入る。カップラーメンを取り出してポットのお湯を注しだ。
母親は店の鍵を掛けてエクステで盛った髪を結い上げると、島津に抱きつく。両親は二人で皮膚科を開業していたが、若かりし頃ヤンキーだった母は今は彫り師として独立し、機械を使ったタトゥー専門の店を持っている。島津がヤクザになると分かった頃から父は絶縁状態だ。
「母さんのカップラーメンにもお湯入れてちょーだい」
「自分でやれよ」
意地悪!と頬を膨らませてお湯を入れる母親を振り返る。
「何よ」
「御守りにすんなら何のタトゥー?」
島津はドカッと居間の畳に座り込み、テレビを点けながら視線は母に残す。
「え〜?いろいろあるけど。どういったものよ?」
カップラーメンを持って島津の傍に来た母は職人の顔で訊ねた。
「……んだろなぁ……引きこもりだからさ。勇気が出そうなやつ?」
「……なぜに疑問系?優が入れるわけじゃないの?子供には彫らないわよ」
「ダチが興味あるみてぇだから。同じくらいの年」
時間が経ち、蓋を取ってぐるぐるとかき混ぜてからラーメンを啜る。安い味だが、うまいと感じるいつもの味。慣れ親しんだものだ。母親は料理が下手くそだった。
島津はそれでも、母の頑張る姿には評価をしていた。
「そだなぁ……男よね?女の子?」
少し考えながら母は閃いたように笑う。こそこそと耳打ちしてやると、島津が思い浮かべるように目をつむり、頷いた。
「あー、それ、そいつに似合うかもしんねぇ。さすがおかん」
母の提案に同感して、島津は想に次に会うときに勧めてやろうと決め、残ったスープを飲み干した。
「お風呂は沸いてるわよ」
「お先」
台所でカップを軽くすすいで、風呂場に消える姿を見送る。やくざがバックにいるのは怖いけれど、今の仕事に就いてからはちゃんと帰宅し、盗みも警察沙汰のケンカもしない。
母は『成長したわ』と呟いて息子の後ろ姿を思い出すように目を瞑った。
閑話、島津優の1日。
← →
text top