33
しん……とした部屋を見渡して寝室に戻ると、出しっぱなしだった紅茶とケーキを持ってキッチンへ入る。置かれたままの新聞を眺めながらケーキを口へ運んだ。ヨーグルトとベリーが甘さと酸味のバランスを引き立てて、いくらでも食べられそうだった。
新堂の分を冷蔵庫へしまい、食器を洗って新聞を持ってソファで読み始める。
しばらくして、うとうとし始めた。普段はあまり眠くならない。部屋に籠もっているだけなのだから当たり前だったが、誘われるまま想は目を閉じた。
*
夢の中なのか分からないが隣によく知る存在を感じる。想はその自分より少し小柄な存在に寄りかかった。
隣の存在が想の頭を撫でる。小さな手が髪を弄った。
「春、俺たちなんでバラバラに生まれたんだろ。一つだったらよかったのに」
答えはないが、想は呟くように続ける。
「漣とキスしてもエッチしても…どんだけ抱き締めても一つになれない。好きになればなるほど、いつかなくなるって思うと怖いし、ここから出たら帰れなくなりそうで怖い……」
そうか……帰れなくなりそうで外に出たくないのか……と想が自分の独白に納得していると、優しい音色の可愛い笑い声が聞こえた気がして、はっと隣を見た。だが、すでにそこには何もなかった。
*
息が詰まるような感覚に夢から引き戻され、しばらく空間をただ眺めていた。
だが、だらだらしてはダメだと新聞を畳んで立とうとしたとき、玄関が開く音にドキっとして身を固くした。
「有沢ぁ!ちょっと付き合えよ!!」
島津だ。
想が玄関を覗くと相変わらずの強面で睨むように立っている。外の人間が中に入ることはほとんどない。恐らく新堂に何か言われたに違いない。
『どうした』と口を動かす想に島津がドアを更に大きく開けて外に出るように促す。
想は一歩下がった。
「大丈夫だ。野外に行くんじゃねぇ。ジムに行くから付き合えっつーこと。鈍るぞ。早く準備しろよノロマ。貸し切り時間が終わっちまうだろーが」
島津が手を差し出すと、少し躊躇ってからその手を想がら掴む。
靴を履いて部屋を出ると、ホテルの廊下のようになっている絨毯の感覚をひさしぶりに踏んだ。
蔵元が驚いて想を見つめる。
「か……変わってないっすね!どんなにやつれちゃったかと心配してたっすけど……あ、いってらっしゃい!」
島津に引きずられるように二つ下の階にあるスポーツ施設に入る。
受付と警備を兼ねたカウンターにいたスタッフが頭を下げる。硝子扉を通って入ると、様々なトレーニング器具の奥に広いスペースがあり、道具も揃っていた。
「っ……!」
下ばかり見ていた想は島津の背中にぶつかった。
「前見ろボケ。本当に鈍ったな」
『きゅうにとまるな!デカいんだから』
グローブだけを投げて想に渡すと島津自身もはめた。
「はめといた方が手、痛めねぇんじゃねぇ?にしても、お前の言葉にイライラしないで済むな。それさえなきゃ最高にいいやつだし」
グローブで想の胸を押してにやりと笑うと、距離を置いて構える。
ボクシングなどしたことがない想に島津は距離を詰めて下から右拳を当てにくる。想は反射的にかわして横から島津の手首を狙って打った。想の一発は狙い通りに入ったが、島津はふらつきもせず二打目は左拳を顎目掛けて打った。
想がギリギリで身を屈めて防いだが、最後に来た左足の蹴りを受けて転がった。
「感覚が戻るまで付き合ってやるよ」
鼻で笑われて、想はむっとして立ち上がる。力では適わないがそこまでの差はないはずだ。
「俺のが強いって思いしらせてやる」
『どうかな』
自信満々の島津の様子を見て、想は舌を出して挑発した。
次の瞬間、ルール無用の喧嘩が始まり、警備を兼ねているスタッフはハラハラと様子を見ていた。
『手出しも口出しもいらない』と言われているため、見守る事しか出来ず流血沙汰は勘弁してほしいと思ってボールペンをカチカチと鳴らしていた。
← →
text top