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あれから二ヶ月経ち、年を越していた。
新堂は予定通り白城会を継ぎ、北川が死んで岡崎組は若頭だった若林が継いだ。
まだ日が高い正午、今日も時間のある限り新堂は自宅へ足を運んでいた。手には凌雅の持たせた可愛らしいケーキの箱が二つビニール袋に入っている。
「社長、お疲れさまです」
「ご苦労様。はい、凌雅くんから。感想よろしくって」
部屋の前の廊下にいた蔵元と島津か立ち上がって頭下げた。蔵元にケーキを渡してコートに付いた雪を少し払う。
「今日は珍しく雪っすね。有沢さんは今日も…変わらずです」
頷いて部屋に入った新堂がコートと上着をリビングのソファへ置き、手を洗って紅茶をいれながら新聞に目を通した。
紅茶とケーキをトレーに乗せて寝室に入る。カーテンは閉めきっていて暗く、人の気配がない。ベッドのランプだけ点けて床にトレーを置いた。
「ただいま」
備え付けのクローゼットを開く。
三畳はあるそこに想が入っていてもなんら窮屈ではなかった。クローゼットの隅に毛布に包まる塊を見つけた。
「凌雅くんからからケーキ。毎日で申し訳ないけど少し食べないか。俺も昼はまだだ。一緒にいいか?」
最近、凌雅が忙しい仕事の合間に通っている洋菓子店のケーキは殆ど毎日だ。
何やら運命の出会いだとか。
クローゼットの前に座り込んでトレーを引き寄せる。紅茶のスプーンがお皿に当たって音が鳴る。
想が顔を出すと、新堂は座ったまま腕を広げて見せた。
少し戸惑うように視線を泳がせた後、想は新堂に背を預けるように座った。後ろから抱き込まれる形に、安心と恥ずかしさが混ざり合う。
想は七分丈のスウェットパンツに薄手のニットと、ラフな格好だった。
「外を見てみろ。雪、好きだろ?ケーキも」
新堂の膝に触れながら、カーテンの方へ視線をやった想は『だから今日は静かなんだ』とぼんやり思った。
続いて示されたお菓子と紅茶に、想の口元が微かに緩んだ。四角く小さなケーキは白く、様々なベリーが乗っていて可愛らしい。
「飯は?何か作るか」
新堂はポンポンと二回叩かれた自分の膝に乗る手を、重ねるように握って想のうなじに唇を当てた。叩く回数、一度は『イエス』二度なら『ノー』だ。
「先生が言ってたぞ。身体が悪い訳じゃないんだからなるべく動いた方がいい。ストレスが原因だからな。発散しろ。下の階にはジムもプールもあるんだから、使えよ。人がいて嫌なら時間を決めて貸し切ればいい」
少しの沈黙の後、想が曖昧に頷いた。ゆっくり振り向いて想が新堂を、見つめて、優しく唇を重ねた。
目を瞑って唇を割り、角度を変えて舌を差し出すと、新堂がそれに答えて舌を絡める。
想が向きを変えて向き合う形になり、新堂を押し倒した。腰に跨がったまま新堂のベルトを緩めよと手をかける。手が震えて上手く外せず、想が俯くと新堂のシャツに涙が落ちた。
やりたいようにさせていた新堂が想を引き寄せて抱き締める。
「ああ、俺も好きだ。愛してる」
震える肩と音になり損ねた嗚咽を、落ち着くまで背中を撫でてやることしか出来ずに新堂は目を閉じた。
あの日。あれからすぐ、病院で目覚めた想は普通に新堂や島津と言葉を交わし、医師とのやりとりもした。食欲もあり、あまりに普通過ぎて島津も凌雅も驚きながらも安心していた。
ところが、肉親である若林の帰省後、彼が想を抱き締めると思い出したように涙を溢れさせた。
春という双子の姉が亡くなった事実に蓋をして自分を騙していたが、限界だった。
周りも敢えて言わなかったが、それは雰囲気で分かることだった。
その日から想は声が詰まってしまう。脳も声帯も異常がないことから、それは精神的なものだと言う。すぐに戻る場合もあれば、無い場合も。様々だと言うが、二ヶ月経った今でも改善されていない。
あまり外に出ず、閉じこもることは良くないと言われたが、嫌がる想を無理やり連れ出す訳にもいかずにいた。
新堂はできる限り傍にいて、一緒の時間を多くしていた。
想は春の死を悔しさや寂しさは消せなくとも、受け入れていた。あまり塞ぎ込んでいる様子も、自棄になる風もなく、想自身も声が出なくなったことに驚いた。だが、外に出る事が怖かった。
たくさんの人間を傷つけ、時には始末した。手を汚してきたのは自分と春のためだった。でも、それを失った。
外に出れば、恨みを買った人間に捕まるかも知れない。そうすると若林や新堂が必死に探す事は今回よく分かった。
もう、誰にも利用されたくない。騙されたくない。重荷になりたくない。消えて無くなりたい。そんな気持ちが想の内側をめいっぱい満たしていた。
しかし、変化というと良い面もあった。
想は以前に増して新堂を求めた。不安そうに、必死に新堂に手を伸ばして声にならない愛を叫ぶ。
そんな姿にあまり新堂は悲観的にはならず、できる限り普通に接していた。しつこくならない程度に外出や運動を勧め、食事を摂らせる。想自身も頭では外に出られると思うのに、身体がそれを拒否してしまい困惑していた。これではダメだと、部屋では軽い筋トレや読書をして身体や頭を疲れさせ、夜は眠れるように努力している。
しかし、誘われるようにクローゼットに入るのは幼い頃からの癖の様なもので、先ほども中で暗闇を見つめていた。
幼い頃は、春と二人で。秘密基地のようで子供心をくすぐり、クッションを敷き詰めて眠っては父親に笑って呆れられていたことを思い出す。
想は自分の中の無くしていくものが少しずつ大きくなる恐怖に動けなくなる。
新堂と想が床で抱き締めあっていると、玄関から女性の声が届く。最近凌雅が忙しいので臨時の秘書だ。
想が身体を起こして新堂を見下ろした。
『いってらっしゃい』
微かに微笑み、口を大きめに動かして言う。涙はすでに無く、新堂が起きて目元にキスをして立ち上がった。一緒に立って新堂の後に続いてコートを持ち見送りに行く。
「有沢さんこんにちは!社長がちょくちょく帰りたがって困るの!喝いてれやってよ」
ハキハキと話す黒髪で30代の眼鏡の女性、中野が眼鏡を押し上げて想に言う。
新堂の後ろに居た想が背中をバチっと叩いて見せると彼女は笑った。
想も笑う。
新堂がお返しに想の尻を揉んで、髪にキスをすると耳元に優しい言葉を残して部屋を出て行った。
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