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 『明後日帰る』
 似合わない絵文字付きのメールを読んだ想は仕事の入力を終わらせて席を立つ。若林が上海に行ってからもう一週間経っていた。
 お節介な男だが、いないと寂しいものだと思いながらスーツを羽織ると酒井がおつかれー、と手を振り、想も挨拶を返してオフィスを出た。
 上嶋に呼び止められて一緒に階段を降りていく。蛍光灯は少し暗くなりかけていた。

「有沢、たまには一杯どうかな」
「居酒屋ですか?」
「クラブだよ。はっちゃけようぜ!今日は金曜だろ?金持ち集まる店でナンパしたら小遣い稼ぎになるよ。三十路あたりのお姉さん狙ってさ。お前、ほとんどの日に向かいの花屋で花買ってくけど何?女に花って古くね?」

 気さくな上嶋は想の肩に腕を回して狭い階段を並んで降りる。何度か昼食を一緒にしたことはあるが、帰りがけの誘いは初めてだった。

「花は……お見舞です。でも、意外……上嶋さんは硬派だって勝手に決めつけてました」

 正直に話す想に苦笑いしながらも否定はせず、上嶋はタクシーをとめた。『行く』とは言っていないが、もう行くようだ。
 タクシーに乗せられ、中で新堂へメールを送る。別にどこに行くだの誰と居るだの報告を追求されたことはないが、それでもどんなに忙しくても殆ど毎日マンションに帰ってくる新堂が心配しないよう……という想なりの思いやりだった。

「最近の有沢は話しかけやすい雰囲気になって助かったよ。うちのオフィスって、人が少ないし酒井さんなんか誘えないし……本当は俺も建築現場行ければ仕事終わってからも仲間と付き合い易くていいんだけどさ」
「じゃ、本当は大工さん志望ですか……?高所恐怖とか?」

 図星、という顔をする上嶋を見て、それでは鳶職は無理だろうと想は思った。高い場所に登らすとも仕事はあるが、なんでも出来なければ自然とそこにいずらくなるものだ。

「俺、組員じゃないい頃、普通のカタギの仕事で一度高所から落ちたことあって、それからだめ。たまたま若林さんに世話になって、それで今はあの人を尊敬して付いてきてるわけ。けど、こんなオフィス仕事に当てられちゃってさぁ…」

 深く溜め息する上嶋を慰めながら車窓から外を見るとまだ外は明るい。だが直ぐに暗くなりそうだった。店の明かりが目に付くようになる。

「でも、どういう心境の変化なのよ。全然相手にしてくれなかったのにさ」
「……わかりません……でも、普通にこういう事に憧れてたんです。学校帰りみたいに、仕事帰りにどこかに行くとか……」

 『なんだそれ、可愛い奴!』と笑って、上嶋は想の頭をがしがしと撫で回した。
 他愛のない話を少ししていれば、すぐに目的地に着いて料金を払うと上嶋は先に車を降りた。
 想はただ上嶋の後ろを追って店に入ったが、中は意外と人が多く、暗くて爆音のウーハーが身体を揺らした。すれ違う数人の香水で鼻がおかしくなりそうな感覚に想は顔をしかめた。

「一杯飲んでからナンパに行こう」

 上嶋に背中を押されてバーカウンターへ辿り着くとウォッカ2つ、ロックで、と注文した上嶋を想が慌てて制するが、流されてしまった。

「俺、酒飲めないんで二杯飲んで下さいね」
「はぁ?成人してんだろ」
「あんまり飲んだ事なくて……」

 困ったように笑った想に、上嶋は肩をすくめてウーロンハイを追加した。

「ジュースなんて置いてないからなー」

 想は仕方なく自分の前に置かれたウーロンハイに口を付けたが、独特の味にあからさまな顔をする。
 すると、上嶋がツボにハマって笑っていた。遅れてウォッカが置かれ、バーテンダーが食べ物は如何ですか?と訊ねてきた。上嶋は断ってホールへ視線を向けて女性を探し始めたが、想はバーテンダーに釘付けになっていた。
 五十嵐真司だった。

「うそだろ……」

 大音量の音楽に想の呟きはかき消されたが、上嶋は目星をつけたのか何か言って、席を立って行ってしまった。
 残された想は、視線を手元に落として唇を引き結んだ。
 五十嵐真司を調べ始め、新堂の助けもあって五十嵐真司の新しい名前と顔写真が分かったが、住所不定で借金や女はなく所属している組などは見つからなかった。徹底して身を隠していたようだ。
 それが目の前にいる事実に想は視線を上げた。もう一度、と思い五十嵐真司を見ると、目があった。
 ぼってりとした身体に整形後の少し崩した顔は写真のままだった。相手も想を見て明らかに動揺が伺える。
 お互いを認識した。
 まずい。だが、五十嵐真司だ……と想は確信した。
 母を殺害して金を作る企てをしたのなら、もちろん有沢家の人間を徹底的に調べているはずで、想のことも知っていたはずだ。悲惨な事件当時、高校生だった想だが五年ほどでは顔はそこまで変わらない。もともと童顔な想は尚更だ。
 五十嵐真司は同僚にひと言告げ、バックヤードへ消えた。想がどうしようか考えていると上嶋が三人連れの女性と共に戻ってきた。

「有沢ー!綺麗なお姉さんたちが遊んでくれるってよ」
「上嶋さん!急用ができました!また誘って下さい!すみませんっ」

 呼び止めてくる上嶋に頭を下げると想は人をかき分けて店を出た。すぐに新堂へ電話をかけるがなかなか出ない。一旦電話を切るとすぐに着信が鳴って、想は新堂だと思ってすぐに出た。

「すみません!新堂さ……」

 新堂の声ではなかった為、慌ててディスプレイで確認すると相手は岡崎組組長、北川翔だった。

『なんじゃ、白城会のとおるんか?今すぐ来い。仕事の話しがある』

 場所を告げられ、二つ返事を返したところで、通話を切られた。想が戸惑いながら再び新堂へ連絡を入れたがやはり電話に出ない。
 想は少し心細く思いながらも忙しいことは分かっているため、北川に会うことになった事をメールした。丁度客を降ろしたばかりのタクシーを止める。
 行き先を告げながら、瞼を閉じた。五十嵐真司の姿が焼き付いて離れない。家族を殺した男……。

「…………」

 いや、違う。原因は五十嵐真司だが、父親を殺したのは自分だし、春を守れなかったのも自分。母に関しては何も知らないくらいに役に立たない存在だった。
 想は黒い何かにゆっくりと沈んでいく感覚に、ぎゅっと拳を握り締めた。









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