12
頭、ふわふわして、身体、ぽかぽかして、でも、心臓がじくじくして、心が痛い。
仁介は薬で及ぼされる様々な感覚に目を閉じた。
*
仁介が幼い頃、生活していたボロアパートにヤクザが時々やって来た。
若いその男は、父親の借金取りだったと思われる。
両親が不在で、学校にも行っていない13歳の仁介は大抵の場合男を出迎えた。
男はいつも温かいたい焼きを土産に持ってきた。
『その髪、刈ってやろうか。前向きになれるぞ』
母親が、可愛らしい方が男受けがいいと言い、ふわりと伸びている髪に男が触れた。頭を雑に撫で回し、キッチンにあったハサミを手にした。
男は仁介が何をさせられているか知っていた。
この、子どもに手を出す気持ちの悪い大人たちがいる事も。
『好きにしていいよ』
仁介は人形のような無表情で男を見上げた。たい焼きにかじり付く子どもに、男も無表情のまま頷いた。
男は仁介の髪を切り、剃刀で丸坊主にした。
両親はすごく怒ったが、借金の利息を半分にすると言えば怒りもすぐに収まった。
カツラを被り、客の男を相手にしながら、それを何とも思わない様子の仁介。
男は仁介にケンカを教えた。拳の握り方。殴る部位。見るべき動き。身体の使い方。
教えられているのが喧嘩だとしても、仁介は嫌がらなかった。
それを哀れに見ながら、少しでも強くしてやろうと男は通う頻度が増えていった。
いざと言うとき、それが役に立てばと。
『自分を守るの自分だぞ。自分が失いたくないものも、だ』
『そんなの、ないよ。オジサンにはあるの?』
仁介は、この男の笑顔に憧れた。きっと、何か守りたいものがあるのだと分かった。
次第に自我が膨らみ、守りたいものが欲しくなる。あの男のように。
喋り方も、真似た。
喧嘩も上達し、父親の暴力や母親の精神的なイジメにも強く立ち向かえるようになった。
自分で金が欲しいとき、客を探すようになった。
それでも、仁介は暴力で金を奪おうとは思わなかった。
拳は守るときに使う。
*
2年も経つと、男は現れなくなった。
違う借金取りが来るようになり、仁介は同じように出迎えた。
『たい焼きのオッサンは?』
仁介の問いかけには答えず、メガネの七三分けの借金取りは両親がいないと分かると、すぐに帰った。
短く維持するようになった坊主頭を撫でて。
この借金取りは、なぜか仁介から親の借金を回収しようとはしなかった。
他の闇金連中は仁介からでも金を取ろうとする。客を取れと脅される。その、どれをも返り討ちにして来たが、死ぬと思った事は何度かあった。
闇金の人間がヤクザと繋がっている事は知っていた。だから、たい焼きの男や目の前のメガネの借金取り、つまりヤクザ本人が金を催促に来る事が仁介は不思議だと思っていた。
『優しい』と感じた。
週に一度、やって来るヤクザを待つくらいに。
『なあ、メガネのひと。たい焼きのオッサン死んじゃったのか?』
仁介が毎回、あまりに必死な眼差しを向けてくるため、メガネのヤクザは振り返った。
『死んだよ。オヤジを守ってな。お前の事を気にかけて欲しいと言われた』
『……そうなのか』
『面倒みて欲しいなら、俺と来い。ヤクザに向いてる。怖いもんねぇだろ』
『あるよ。……オッサンが死んだなんて、強いのに、何に負けたのか……怖い』
『ハジキには拳じゃあ勝てねぇからな』
『……はじき?』
『拳銃だ』
仁介は頷いた。
『俺と来い。アニキの頼みだ。ガキは嫌いだが、お前は聞き分けも良さそうだ』
メガネのヤクザは顎で『来い』と示したが、仁介は首を横に振った。
『俺、ここから遠くに行く。オッサンみたいに守りたいもの、探す』
『ガキがイキがって、どうせカラダ売ってクスリやって、野垂れ死ぬ』
『オッサンみたいに強くなる。金貸しする』
『死ぬ』
『後ろ向きだなあ』
『現実主義と言え』
『前向きなたい焼きのオッサンの友達のくせに』
『そういう人は早く死んじまうんだよ』
仁介は微かに口元に笑みを浮かべた。
『オッサンは守りたいもの、守ったんだな』
メガネのヤクザは、目をキラキラさせている仁介をバカなガキだと思ったが、慕っていた兄貴分を思い出して眉尻を下げた。
『まぁ、こんな親の所にいるよりはどこに行っても天国かもな。お前は根性ありそうだ』
『なあ、メガネのひと。お金貯まるまで少し付いて行ってもいい?』
あまりの図々しさに、メガネのヤクザは仁介の頭を叩いた。
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