8
那須川秋日の母親は厳しかった。
一日の時間割が決められ、友達と遊ぶことも出来ず勉強と習い事。
なんでも器用にこなせるが、人との付き合いが苦手に育った。
探すように言葉に間を空けて癖。何にも夢中になれない警戒心。次第に引き篭るようになった。
何をしても楽しみ方が分からない。魅力を感じる事が出来ない。毎日が無駄な気がして、那須川は死んでもいいのでは?と考えるほどだった。
*
「……なに?」
学校に行けば高校二年のある冬、那須川は深夜に目を覚ました。二階の自分の部屋まで聞こえる何かが軋む音。一階からだ。
那須川は警戒しながら一階へ降りた。音は父の寝室だった。
那須川は静かにドアを開け、隙間から覗いた。
ベッドで乱れ絡む二人の肉体が見える。
『げ。父親と母親のセックスかよ!』と内心驚いて自室に戻ろうとしたが、聞こえた声に身体が固まった。
「おぉっ……ケツが、イィっ……おおっ!」
「部長っぐちょぐちょ言ってますよぉ?可愛いんだからぁ」
父親の喘ぎ声。女が父親を猫撫で声で責め立てる。
那須川は状況が把握できずにその場に腰を抜かした。
その音に、父親と不倫相手の女が驚いて那須川を見た。
その時の二人の慌てぶりときたら、今思い出しても那須川の心を冷やす。
『汚い』。そう思った。毎朝、愛を囁き合っている夫婦。それが、ひそかにコレかと。
お泊まりで友達と旅行へ行った母親には黙っていて欲しいと懇願され、ペニスバンドを着けた若い女が気まずそうに那須川を見ていた。
「………………金、くれる?」
たっぷりの沈黙の後、那須川は隠すことを決めた。
上っ面の父親。引き篭りになった事を毎日罵る母親。
あの日から、興奮できない事にも戸惑った。元々、冷めている所はあったが、性器が反応しなくなっていた。
ますます、つまらない……。
那須川はうるさい母親から解放される為に大学受験を決めた。母親の望み通りそこそこ良い大学に受かり、父親から最後の大金をごっそり受け取り、ひとり上京。
だが、籠っていた部屋から出ても、大学生活も、那須川は楽しめなかった。
人付き合いはやはり苦手。ヘラヘラする人間ばかり。笑っているのに、目が笑っていない。思ってもいないのに、褒める。影で罵る。それが人付き合いだとしたら、那須川には到底出来そうになかった。人間としてダメなんだと再確認するだけだ。
中には普通の人間もいるが、那須川の情報ネットワークに引っ掛かるのはそう言う人間ばかりだ。合法ドラッグやフェイクIDを欲しがる人間のことだ。
こっそりと捌いていたが、存在感の薄い那須川はうまく隠れてやっていた。顔を合わせず、SNSの裏アカウントで取引。モノは直接渡す事をしない。
だが、ある日、二村と五藤にそれがバレた。そして、あのゲームを持ちかけられた。危ない事を楽しみたい……二村と五藤は興奮気味に那須川を誘った。那須川が普通ではない事を、彼らなりに嗅ぎ分けていたようだ。
ギラつくふたりの目を見て、那須川は自分もこんな風になれる?と、誘いに頷いていた。
ただ、那須川は彼らとは違う。人の輪に入りたくないし、騒ぐのも苦手で、性的に興奮できないため乱交などもしない。
一歩後ろから彼らを見ていて、那須川は日々思った。
『これ、違うな』と。
それでも辞められなかったのは、断る術が分からなかった。人との付き合いが苦手な那須川は、彼らへ『刺激』を提供することをずるずる続けてしまっていた。
*
「たぶん、父親の驚きの性的趣向を目撃した時……から、ダメ……かな」
「……ぶ、っ!アハハ!!まじウケる!」
真剣に打ち明けた話に、自分の膝に座り大笑いする仁介に那須川はポカンとした。
怒りも、悲しみもない。
『は?』と口から漏れた那須川の声は息のようだった。
「そんなの、絶対見られない超レア体験じゃねぇかよ!」
「……意味、不明……だよ」
「まぁ、気持ちは分かるよ?俺も母親とセックスさせられそうになって、『女ムリ』ってなったし」
那須川は言い返そうにも何も言う事はなく、目を伏せて黙った。
気にしている事を笑ってしまい、少し悪いと思ったのか、仁介は那須川の顔をのぞいた。
「俺なんて男のちんこ無しじゃ物足りなくなっちまったし、セーシ飲まされたって、かけられたって、『あ……なんかイイ』って思っちゃうくらい……汚ねぇよ?男なのに」
仁介は那須川の頭を抱き、がしがしと銀に染められた髪を撫で回した。
明るく言いながら、後半は少しトーンが落ち、次第に小さく、震え始めた。
「俺、何か出来たのかな。学校行っても、みんな迷惑そうに見る。分かるよ。風呂だってまともに入らせてもらえねぇし、飯も無ぇ。持ち物も用意できねぇし……」
自分の頭を抱く腕に力がこもり、那須川は自然と仁介の背中抱きしめていた。
「……まぁ、俺たちは全然違うけどさ。親から逃げたってところは似てるくねぇ?」
仁介は抱きしめられ、ほわっと胸が優しい気持ちになった。那須川も少しはほわっと出来たらいいのに……と顔を耳元に擦り付けた。
「じんのほうが……逞しい……かな?お金もないのに上京して……闇金、する……なんて」
『カッコ良すぎだね』と那須川は呆れたように口元を歪ませた。
そんな複雑表情の那須川を見た仁介は指先で彼の頬を押し上げた。
「そうか?この街はいい感じだ。俺をくだらねえ親から離そうとしてくれたのもヤクザだったし、この街に来てから声かけてくれたのもヤクザだった。それに、俺みたいなゴミを隠すにはゴミが多い方がいいんだって思った。……中にはゴミ拾うバカみたいな奴もいるしな」
「ポジティブ過ぎて……ダメ……かも」
げんなりした那須川とは逆に、仁介は目を細めてその背中を抱きしめた。
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