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 ベッド脇の床に毛布を敷いて寝ていたガドは、血の匂いを感じて一気に目が覚めた。
 パッと開いた金の瞳が暗い部屋を一瞬で見渡し、考える間もなく小屋を飛び出した。
 その音にケリーも目を覚ました。猛スピードで走り去るガドの背中を視界に捉えたが、声をかける間もなく視界から消えていた。
 
「おや、ティエルも…?」

 ケリーはあくびをひとつしながら小屋を出た。微かに感じる血の匂いにガドが慌てていた事を察して、目を細めた。それからすぐに、ぞぞぞっと地に這うように獣化した。
 大蛇のケリーは足の速さに自信があったものの、人型のガドに追いつけないほど彼は早かった。そして静かだった。
 だんだんと血の匂いが増し、ガドがティエルをずっと先に見つけた。長耳にナイフを当てている。

「ティエルだめだ!!!!」

 ガドはありったけの声で30メートルは先のティエルに声を飛ばした。
 驚いたティエルが振り返り、大きく開かれた青い瞳が遠いガドの影を捉えた。
 ふたりの視線がぶつかるように合った瞬間、ガドは獣化して10メートル強を跳んだ。
 一瞬で目の前までやってきたトラに、ティエルは息を呑んむ。着地したガドのせいでぶわっと風が舞い、短くなった髪が頬を撫でた。

「…ガド…」

 ティエルは右耳を洋服の袖で押さえたまま、ガドの金の目を見つめた。
 初めて会った時も、突然目の前に現れて、その姿に見惚れた。月明かりの暗がりでも、美しい毛並みが分かる。思わず、ナイフを落として手を伸ばす。途中、血に濡れている事に気が付いてティエルが止まった。
 しかしガドの方からその手に顔を寄せると、甘えるように喉を鳴らしながら顔をティエルの胸元に押し付けた。
 
「ガド…ッ」

 ティエルはその頭をぐいっと押し返した。
 トラが大きく首を傾げて再び身を寄せようと一歩踏み出した。
 だが、それをティエルは制して一歩引いた。

「来るな」
「…ティエル…怪我してる、なんでそんな…」

 ふわっと人型に戻ったガドが、一歩踏み出して震える声で尋ねた。
 ガドの一歩に、ティエルは二歩下がる。

「…もう、一緒にいたくない。ガドには…感謝してる。…助けられたし、初めての事をたくさん教えてもらった…でも、もう…………好きじゃ…ない」

 ティエルは震えてだんだんと小さく、消えそうな声で言った。ひとりがいいと思ったはずなのに、ガドを目の前にして言葉にすると、なぜか涙が溢れそうになって息を止めて耐えた。

「…俺はひとりで行く…ガドも、好きに、していいから」
 
 ティエルは俯いた。落ちたナイフが視界の端で血に濡れている。そっと手を伸ばして拾った。
 その手をガドが優しく止める。

「どうしてそんな事言うの?俺、心配させたから?」
「そうだ」
「ティエルの事、好きだよ」
「…そういうの、いいから」
「ティエルも俺を好きじゃん」
「っ…勝手に、匂いを感じるな!」
「…ごめん。…心配させて。でも、一緒にいたいよ」
「俺はもう、ひとりがいい」
「嘘だ。そんな事思ってないでしょ!」
「ガドの事ばかり考えてる自分が嫌だ!何かあったらって、俺のせいで…その火傷も酷いじゃないか!何が大丈夫だよッ…ひとりでいれば何も感じなくていいんだから!」

 ティエルは叫ぶように言った。じくじくと痛む耳をぎゅっと押さえ、ガドに背を向けて歩き出す。走ろうとしてつまづき、膝を着いた。

「ティエル!」

 ガドはふらつきながら立ち上がるティエルを呼んだ。それを無視して振り返らない彼に苛立ち、ガドは大きく一歩踏み出して背中から抱き寄せた。ティエルは少し抵抗したが、傷が痛み力なくガドの腕に収まって動かなくなった。

「明日も、一緒にいて欲しいよ。ティエル…」

 ティエルは俯き、肩を震わせて声を殺して泣いている。
 ガドはその細い身体を優しく抱き、溢れ出る匂いを感じて目を閉じた。『好き』がたくさん溢れ出ているのに、『好きじゃない』と言ったり、『離れたくない』と全身で言っているのに『一緒に居たくない』と感情を剥き出しにするティエル。ガドは彼の気持ちが分からずに眉尻を下げた。

「ティエルは思ってない事、言う…」
「…言葉にしないと、ガドに伝わらないから…」
「でも嘘なんてやだよ」
「放っておいて欲しいんだ…」

 ティエルはぐすっと鼻を啜り、獣化して千切れ飛んだ包帯の下に、酷い火傷痕を見た。あふれる涙を出し切ろうとするようにキツく目を閉じる。

「ガドに傷ついて欲しくない…側にいたい…けど、俺はエルフだし…イリカラみたいに捕まったら、きっとガドは助けに来る。そしたら、また傷つく…そういうのが、嫌なんだ。…だから…ひとりにして欲しい…」
「好きな人の力になりたいんだ。ティエルも俺が利用されそうになった時、助けてくれただろ?一緒にいようよ。ひとりなんていやだ。俺、ティエルが大好きだよ。ティエルがエルフだから出会えたでしょ?神様に感謝してる」
「…はは…ガドは強くて真っ直ぐで…ホント、嫌だ…」
「ほら、また嘘ついた」
「…だって、頭の中も心の中もぐちゃぐちゃだ…!…矛盾だらけで苦しいッ…!」
「難しいのは分からないけど…悩むのも悪くないよ。一緒に考える。ティエル、いいでしょ?」
「ガド、いつも良い方に考えるから…俺の気持ちなんて分かんないくせに」
「分かってるよ。怪我しないで欲しいって事でしょ?」
「は?!省きすぎだ!」

 背中から抱きしめていたティエルをガドはひょいと抱き上げた。横抱きにしても、細くて軽い。それでも確かに腕の中にいる温もりに、ガドは鼻先を寄せた。濡れて冷えた頬に口付け、身を寄せるようにぎゅっと力を込める。
 ティエルはガドの襟足に左手を添えた。
 導かれるように唇が触れ合い、お互いの体温が少し上がるように感じた。

「短い髪も素敵だね」

 思ってもいなかったガドの囁きに、ティエルは微かに笑った。こんなに苦しい思いをしても手放すことの出来ない感情を、持ち続ける事が出来るだろうかと、胸がきゅっと痛んだ。ティエルは考えながら、痛む耳を押さえてガドの身体に身を寄せた。
 温かく、日向の匂いがする。
 この温もりは、ティエルがどれだけ捻くれて考えていても、それを覆うような答えで優しく包むように丸めてしまうだろう。そう思うと、今は考えるのをやめられそうだった。








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