39
夕食のクリームスープの香りがガドの腹の虫を刺激する頃、ティエルは起き上がれるまでに回復した。飲ませた薬湯との相性が良かったとケリーは自慢げに笑った。
腹を空かせたガドがエリの横で料理を観察している間、イリカラはティエルとの再会に笑顔が溢れた。
イリカラは焼ける森を追われてしばらくひとりで森を転々としていたが、罠にかかった鹿を助けようとしたところ、人間に捕まったと始まりを話した。得るものは何もない、屈辱の毎日だったと俯く彼に、ティエルはガドとの出会いを話した。
「ティエルが俺を見つけられたのも、ガドくんのおかげなんだね」
「そうかもな」
「他のエルフも、ひっそりひとりで森に身を隠したりしてるのかなぁ」
「だとしたら、まだいいけれど…人間は賞金をかけてるから、イリカラもこの先気をつけた方がいいかもしれない」
一緒に行くか?と問われたイリカラは、ティエルとの会話を興味津々と聞いていたケリーへ視線を向けた。
ケリーは『ん?』と目で尋ね返す。
「ケリー。俺、もう少しこの森に居てもいい…?やっぱり森が好きだ。ここ、安心する」
少し控えめに、イリカラは笑った。
ずっと狭い売春宿のひと部屋に閉じ込められ、重い空気と薄れる事のない欲に塗れた場所にいた。イリカラは裸足で森を駆け回れる喜びを感じて、身体の奥から溢れ出る特別なものを思い出していた。
懐かしい、緑の匂いと音、光。全てがここにある。
ケリーは長い舌をチラつかせて、にやりと笑った。
「歓迎するよ。好きなだけ居たらいい。その代わり私やエリの話し相手をしてるかねぇ?」
「ほどほどでお願いします」
イリカラの安全が保証されたように思えて、ティエルは優しく目を細めた。
「よかったな、イリカラ。あの女主人、呪いでもかけてたらって心配してたから」
「何度か呪印を付けるって話を聞いたけど、代償も価格も高いから…」
「術師もこの辺りじゃあウエストハード王国の王サマの所にしかいないよねぇ。エリの呪印は代償も報酬も生贄の為に支払われた訳だねぇ」
「エリさんが呪印を…ウエストハードか…」
会話の中にティエルは気になる単語を拾い上げた。ウエストハード王国で力になってくれたカシロとのやり取りが記憶から溢れる。
『王は術師を呪印で従えている』と。
「その…術師が死んだとしたらエリさんの呪印は効果を失う?」
「どうかねぇ。しかし可能性はあるだろうか」
「ウエストハードの王様を殺した。術師は『王と共に』の呪いを付けられていたから…もしかして呪いは無効になったりするんじゃないか?」
「なるほどねぇ…。…え?」
「え?」
「…なに?」
ティエルはケリーに続いてイリカラまでもがポカンとした顔を向けてくる事に首を傾げた。大きな瞳が何度か瞬き、眉を潜める。
「エリさんの呪いの話だよ」
「分かってるよ。私もイリカラも。驚いたのはティエルが王サマを殺したってところだ」
「ウエストハードは呪いが頻繁に行われていて、苦しむ人が大勢いた。ガドの事も…希少種だと言って捕らえて、酷い扱いをするような王だった。ガドを助けるために、反王派の手伝いをしたんだ」
ケリーは思わず口笛を鳴らし、そわそわと指先を動かした。
「ティエル。キミって見かけによらず豪傑かなぁ?」
「ガドがいなかったら、そこまで出来なかったと思う…。できたら、彼には言わないで欲しい。俺が女王を射抜いた事…」
「…分かったよ。ティエルもガドくんの事、大切なんだね!ふふ、ガドくんはティエル大好きっていつも体現してるから。可愛くて」
イリカラの言葉にティエルは弱々しい笑みを向けたで頷いた。大きいのに素直で真っ直ぐに遠慮なく好意を表現する、愛しいトラの獣人だ。守りたい。
ただ、今回の火傷の怪我を見て思うこともある。一緒にいるのは正しいのか…と。
「ケリー先生ぇ!夕食できたよ」
「早くー!すごく美味しそうだよー!」
会話の隙間に暗い気持ちが生まれてきたティエルだったが、エリの声がダイニングから弾むように聞こえた。続いて聞こえたガドの声に、三人は笑った。
ケリーはティエルを支えて食事の席に移動した。
← →
text top