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 エリが赤茶色のポニーテールを揺らしながら紅茶のカップを片付け始め、ガドが手伝おうと腰を上げると、イリカラはそれを止めた。

「ガドくん怪我してるから、座ってて」
「大丈夫だよ。そんなに心配しなくても」
「いいや。安静が大事だねぇ」

 ティエルの脈を取りながらケリーはくすくすと笑った。
 『ほら!』とイリカラがガドの肩を叩いてエリの後に続いた。人見知りをしない明るいエリはすぐにみんなと打ち解け、久しぶりのケリー以外の話せる生き物達によく喋った。
 獣人でもエルフでも関係ない。エリは全く気にもしていないようだった。5歳ほどで森へ放り込まれて以来、アリアナとケリーしか見ていないエリにとって外見の違いや種族差別の感情も知識もないのだ。
 洗い物の前にクッキーを頬張るエリを見てイリカラは小さく笑った。

「エリはウルテリアの街から来たの?」
「うん。ママは靴屋だった気がするわ。よく覚えてないけどね。…元気かしら…」
「俺もウルテリアの街に居たんだ」
「そうなんだ!イリカラは美人だから富裕層なのかな。私は貧困層が暮らす裏通りで母とふたりだった。偉い人が『選ばれた』って家に来たのをなんとなく覚えてるわ」
「…帰りたいよね。気持ち、分かるよ」
「ママ、泣いてた。それだけはよく覚えてるわ。帰りたいけど…ウエストハードって国からわざわざ呼び寄せた呪術師?に逃げないように呪いを付けられてるから…いくらケリー先生がいい人で生贄なんて要らないって言っても、この森から出られないの。アリアナが教えてくれたわ。その前の人も、ずっと。一度ケリー先生がウルテリアの街に生贄は不要だって伝えに行ったら、大きなヘビの獣人にビビって沢山の食糧や高級な布を持たされて帰ってきた事があるの。笑っちゃうでしょ?」

 冗談まじりに笑うエリは食器を洗って水を切り、椅子に座って目を閉じるアリアナをちらりと見た。

「…アリアナもきっと帰りたかったと思う。もう、私の名前もケリー先生の名前も思い出せないくらいお婆さんになっちゃってるけど、亡くなったら…寂しいな」
「……彼女もきっと、エリさんがいてくれて寂しいなんて思わなかっただろうね。ケリーは…変な人だけど」
「イリカラって優しいわね。…友達の具合が良くなっても、ここに居たらいいんじゃないかしら?ケリー先生のウンチクとか面倒だけど森は静かで良いカンジよ!」

 イリカラは窓から見える森を見つめて頷いた。青く茂る木々と鳥の声。花は少ないが様々な草が成長を続けている。木々から聞こえる声は若く、この森で死ぬ事を選んだエルフの気持ちは確かに反映されているようだった。かつてはケリーの父親によって死にかけていた森をエルフとケリーが生き返らせたのだろう。
 森の声を聞けるイリカラは、胸が温かくなった。故郷の森は、焼き払われ死んだ。仲間と共に。随分遠くに来てしまったが、新しい住処を見つけられたらどんなにいいだろうかと考える。
 微かにエリに笑みを向けた。

「この森に暮らせたら幸せだろうね」
「!!!!」

 エリは優しい笑みで言ったイリカラに抱き付いた。

「じゃあ暮らそう!ふたりは退屈なんだもん!ケリー先生も喜ぶから!あの人のお喋りホント苦痛なの!共有してよぉー」
「あははっエリってばケリーを俺に押し付けるつもりなんでしょ」

 エリはイリカラを見上げ、ひょうきんな顔で明後日の方へ視線を飛ばした。

「そ…そんなこと思ってないもん」
「ははっ、バレバレだよ」

 楽しそうな声を聞いて水を差すのも悪いと思ったケリーは紅茶のカップをテーブルにそっと置き、診療室に戻った。
 ベッドに横になっていたティエルが床に座って手を握っているガドと会話をしていた。こちらも無事に回復しそうだ。ケリーはホッと詰まっていたいきを吐き出してから二人に声を掛けた。診察をしておく為に。

「眠り姫はお目覚めかなぁ?」
「ケリー!ティエルが…!」

 起き上がろうとするティエルを制してケリーは様子を見るために手首に触れ、瞳孔を観察し、いくつか問診を終えて笑みを向けた。

「今は大丈夫そうだねぇ。丸一日安静にして様子を見たら、大丈夫」
「よかった。ティエルが大丈夫!」

 ケリーはティエルの額を撫でてから目を細め、白湯を持って来ると告げてもう一度部屋を出た。
 ガドは横になっているティエルの頬に鼻先を擦り付け、唇を当てた。くんくんと耳元の匂いを嗅ぎ、飛び付きたい衝動を抑えて何度も名前を呼んだ。
 ティエルは怠い身体を横向きに変え、ガドの頭を撫でた。

「イリカラの声が聞こえる。ありがと、ガド」

 辛そうだが、微笑むティエルにガドは触れるキスをした。

「一人にしてごめん。一緒に行くべきだった」
「ガド。分かってる。守ろうとしてくれた事。だから謝る必要は無い。俺が油断して、迷惑かけた」
「迷惑なんて思ってないよ」
「ふふ、だろうな。ガドのそういうところ、憧れる…」

 『キスして』とティエルは目を閉じた。すぐに愛しい温もりが唇に触れ、じゃれるようにお互い少しついばむ。
 ガドがくすぐったそうに笑ってほんのりと染まるティエルの頬に手を添えた。
 その手には広範囲、腕にまで巻かれた包帯が存在を主張している。それに気が付いたティエルは目を見開いて一瞬、言葉に詰まった。

「…ガド、…怪我したのか?」
「ん?あ…うん。ちょっと逃げる時に可燃油を投げつけられて…火傷だけど薬草を塗ってもらったから痛みもちょっとだけ」

 ティエルは青くなり、眉を寄せた。おそらく正直なガドは強がって『痛くない』と言ったりしない。痛ければ『痛い』と言う。『ちょっとだけ』と言ったのは、恐らく自分の気持ちを考えてのとこだろう…とティエルは察した。
 包帯が指先にまで巻かれているガドの手にティエルは触れたまま目を閉じた。眉を寄せて顔を歪め、耐えるように息を詰める。
 ガドは慌てて膝立ちになり、ティエルの髪に触れ、顔を寄せて唇や鼻を擦り付ける。

「大丈夫なんだよ!ホントに!」
「大丈夫なわけ無いだろ…」
「このくらい平気だよ。腕が無くなったわけじゃ無いし、普通に使えるんだから」

 震えるティエルの手はガドの手を強く握った。その手を握り返し、ガドはゆっくりと溢れ出て白い肌を伝う涙に唇を当てる。『大丈夫』と囁くガド声が小さな診療室に静かに繰り返された。
 






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