34





 星の明かりが少し薄まった頃、ガドはゆっくりとベッドを抜け出した。
 ティエルに押し倒され、必死に抱き付いてくる彼から不安を忘れようとしているのが伝わり、ガドも強く抱きしめ返した。不安を抱えていても、自分にそれを共有してくれる事がガドには嬉しい事だった。
 時折目蓋が開き、安眠しているとは言い難いティエルの額に鼻先を着けてから静かに部屋を出た。
 
「……よし」

 ガドはまだ夜明け前で静かな表通りを抜け、裏通りに入った。路上で寝ている人間や、まだ活動している者もいたが人気は少ない。目的の売春宿まで、屋根を移動する事に決めてガドは軽く跳躍した。
 くんっと匂いを嗅ぎ、独特の香りを辿る。すぐに目的の場所は見つかり、ガドは身を低くして近付いた。二階の窓辺には、昨日と変わらずイリカラの姿が見える。彼は通りに視線を向けたまま、動かない。時折瞬きをしては小さなため息がこぼれ落ちていた。
 ガドは屋根を伝って、そっと下を覗いた。窓に向かって小さな声で尋ねた。

「イリカラ。今、ひとり?」
「っ!?」

 イリカラは突然呼ばれた名前にビクッと肩を震わせた。下ばかり見ていたイリカラは声が降ってきた上へ身を乗り出すように鉄格子に顔を押し付けた。

「…ひとりだよ。誰?」
「俺、ガド。ティエルと一緒に居る」
「ティエル…!さっきの、背の高い人だね」
「イリカラは好きでここにいるの?」

 小さな囁きに、イリカラは心が震えた。きっと、ティエルが心配してくれたに違いない。ガドと名乗った青年も、同じように己の身を思ってくれたと察して涙が滲んできた。

「捕まってる…ずっと客を取らされて…これからも、きっとそう。でも、ティエルの顔を見て嬉しかった。元気そうだった。…ガドくん、彼をよろしくね。俺の事は忘れて、早く行って。ここの主人は俺が不老のエルフだと知って、閉じ込めてる」

 イリカラは鉄格子に顔を押し付けたまま肩まである美しい髪を耳にかける仕草をした。
 そこに人間より長いはずの耳は無く、傷のようになっていた。
 屋根から覗き込んでいたガドは息を飲んで『大丈夫なの?』と声を荒げた。

「エルフを捕まえている事が王族たちにバレたり、賞金稼ぎに知られないためにここまでする。ティエルたちが追われるのを見たから…心配だったけど、無事なんだね」
「ティエルは宿にいるよ」
「ありがとう。ガドくん、ティエルを大切にしてあげてね。早く行って!」
「…ダメだ。置いていけない。ティエルが『イリカラが残る事を望んでいないなら助ける』って」

 ガドの声が感情的になった事を感じて、イリカラは胸がぎゅっと痛んだ。己を案ずる言葉を、長年聞いた事がなかったイリカラは鼻の奥が痛み、目元が熱を帯びるのを感じた。しかし、息を止めると睨むようにガドを見た。

「無理だよ。用心棒が五人、下の階にいるはず。危険だからすぐ行って!お願い…ティエルによろしく伝えて」

 上を見上げていたイリカラはだんだんと俯いていく。最後には涙が溢れてしまい、窓から離れた。しかし、イリカラは次の瞬間驚きで涙も止まった。
 フッと窓辺が暗くなり顔を上げると、ガドと思われる黒髪の青年が窓の鉄格子に降りて来た。

「え?!」
「離れてて。…っ!!!」

 声は潜めたまま、ガドは思い切り力を込めて鉄格子を引き剥がした。メキメキと木製の枠が軋んで割れ、鉄格子を片手に窓から侵入してきた長身の男にイリカラは目も口も開いたまま固まった。

「お、おじゃまします…。これ、ここに置いていいかな?」

 ガドは眉を下げて鉄格子を床に静かに置いた。

「人間じゃない…獣人…?」

 ガドは頷いて、怖がっているイリカラにぎこちない笑みを向けた。イリカラを連れ出そうと手を差し出した時、店の少し離れた方からいい争う声が聞こえてガドは身を屈めた。イリカラも身を低くし、壊れた窓から覗いた。

「売春街ではよく揉め事あるから…」

 ガドとイリカラは静かに視線を外へ向けると男たちに拘束されたティエルが連れられてくるのが見えた。ふたりは同じように息を呑み、ガドがティエルを呼ぼうとしたのを察してイリカラは慌てて枕をガドの顔に押し付けた。

「ま、待って!ティエル、担がれてるから気を失ってるんじゃないかな?大人しく運ばれるようなタイプじゃなかったけど…」
 
 イリカラは負けん気のあるティエルの様子を言い当て、ガドはふたりの仲を感じた。また飛び出して暴れて…ではいけないと言い聞かせ、再び様子を知るために耳を済ませる。
 男たちの会話は『宿に押し入り怪我人が出てしまった』『しらばっくれるしかない』『捕まえたのは自分』などという会話で、ガドは自然と険しい表情になる。
 イリカラは今にも飛び出して行きそうなガドが、堪えているのを見てそっと肩に手を添えた。

「あいつら、執念深いよ。宿に押し入るなんて…。俺が窓から飛び降りて気を引くから、すぐにティエルを奪って逃げて。ガドくんの身軽さならいけるはずだよ」
「…ねぇ、ここにいたくないんだよね?」
「…そ、そうだけど…ティエルが同じように捕まるくらいなら、ここにいる」

 イリカラが強い視線をガドに向けた。それに頷いたガドはイリカラの上から下までを見定めて聞いた。

「二階から飛び降りて、着地できる?」
「え…?あぁ…このくらいの高さなら、鈍っていても森に住んでたエルフだよ?平気さ」
「イリカラが飛び降りて、怖い顔の人たちがビックリしたところで俺がティエルを取り返すから、イリカラもすぐに俺にしがみ付いてくれる?」

 ガドの申し出にイリカラはハテナ?と首を傾げた。

「俺が獣化して全力で走るから、ティエルが落ちないようにしっかり捕まってて欲しい」
「二人、乗せる気?オオカミとか?」
「俺は大きいネコだよ」

 イリカラは不安しかない表情だが、ティエルはもうすぐそこだ。意を決して飛び降りた。

「う、わぁあ!」

 まるで窓から落ちたように声を上げた。ティエルを担いだ男ふたりは驚いて窓の方を見た。

「イリカラ!?」
「お前逃げようとしたのか!窓が壊れてるじゃねぇか!」

 男たちが落ちたイリカラに駆け寄ろうとしたとき、ティエルを担ぐ男が膝を着いた。
 ガドは屋根から遠くへ飛び、男たちの背後に回ってティエルを担ぐ男の膝裏を蹴った。崩れる男からティエルを奪う。
 前には落ちたイリカラ。後ろにも何か起きて、男ふたりが慌てふためく。
 そんな二人の横をイリカラが駆けてきた。
 ガドは一瞬目をつむり獣化し、吠えた。大きなトラはパツパツに伸びた服を身にまとい、牙を剥く。
 男たちは威圧されて尻餅を着き、震える身体で助けを叫ぶ。

「ぅわああああ!馬鹿デカいトラだ!!!」

 イリカラは初めて見るトラに鼓動が早まるのを感じながら、ティエルを支えてガドの背に捕まった。

「いいよ!ガドくん!」

 ガドが背中の二人を確認した時、気圧されたふたりの助けを聞きつけてきた用心棒仲間が苦し紛れに小さな布袋をぶつけてきた。ガドの左前足に当たり、中身が飛び散る。匂いで可燃油だと分かったが、次の瞬間火矢も飛んできて慌ててガドは跳んだ。二発、三発と飛んできた三発目が前足をかすめて火が燃え上がる。

「ガドくん…!」








text top

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -