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「ワンッ!」
「分かった!」

 カシロのひと鳴き毎に、ティエルは三本目の火を着けた矢を旗へと飛ばした。少し走り、煙を見て王女が通る筈の中庭の渡り廊下が見える生垣に身を潜めた。ティエルが背中から降りると、カシロは人型になって兵服を整えた。

「ふぅ…ティエル。ここから狙える?」
「充分」

 地下から解放された老獣人たちが暴れて、人間の兵が騒いでいる音が聞こえる。ティエルは人の叫びや物が壊れる音にそっと目を閉じた。
 音は、人間でも獣人でもエルフでも変わらない。恐らくは絶滅したとされるドワーフや竜人も。思い出される焼ける森の匂いさえ甦り、ティエルは鼓動を落ち着けるために胸に手を当てた。

「ティエルは射手だったって言ってたろ?兵士だったの?」

 カシロが耳をぴくぴくさせて気配を探りながらティエルに小さな声をかけた。
 ティエルは首を横に振った。

「俺たちの仲間は全員が弓を鍛錬する。その中で俺は特に優秀だっただけ」
「ははっ、ティエルって意外と自惚れ屋?」
「さぁ、どうかな。事実だから自惚れとはちがうよ」
「……エルフなの?」

 ふざけていたが少し間を置いて、カシロは気になっていたことを口にした。聞くか迷ったが、思い切ってしまえば答えを聞くのが不安になって俯いた。
 ティエルは答えず、目蓋を閉じた。日陰に差し込む陽が長い睫毛に入り込み魅力的な雰囲気を滲ませた。

「エルフの血が万能薬だとか、髪や骨が厄除だとか、デタラメだから」

 カシロは顔を上げ、ティエルの言葉に『うん』と短く答えた。俯いたままのティエルはカシロの返事にそのまま小さく頷いた。

「…自由とか平和とか、それが現実ならいい」
「兵士として働かされてて思うけど、単純な事なのにすごく難しいよね」
「リージェルならきっと、少しでも『平等』に出来るんじゃないか?」
「ああ!出来る。王様の補佐の人間の中にも理解してくれる人はいるから」
「俺、長生きだからちゃんと見てるからな。怠けて国を滅ぼすなよ?」

 俯いていたティエルが顔を上げ、冗談交じりにカシロを激励するように肩を叩いた。
 カシロが頷いた時、彼の耳が大きく動いた。尾がぴくっと固まる。

「王様が来る…!」

 カシロの声に続いて、身なりのいい男たちが人間の兵と共に渡り廊下に出てきた。
 ティエルは茂みに片膝を着いて弓を構え、深く息を吐き出す。自然と不安や焦りは無く、『的』が通るのを無感情に待った。
 ここでする事は間違っているかもしれない。この国にとって王は大きな存在だ。それを殺すために弓を構えている。ティエルは間違いなく大悪だろう。だが、王に虐げられ、罪もない命が呪いに利用され、その呪いに苦しめられる者がいる。
 ティエルは以前、故郷の森が焼き払われた時に抵抗して戦い、奪った人間の姿が思い浮かんだ。そしてこれから自分の負うべき罪を覚悟し、己に言い聞かせる為に小さく呟いた。

「俺は仲間が傷付けられたら許さない。でも、自分が人間に殺されても恨まない」

 小さな声だったが、オオカミの耳を持つカシロには良く聞こえた。無意識に同じ気持ちだと頷く。
 ほんの数秒遅れて、赤いドレスの女王が現れた。慌ただしく人間の兵に囲まれて髪を揺らして速足で。
 カシロは女王を見つめたまま、息を止めていた。隣のティエルが少し息を吸ったと同時にヒュッと空を裂く音がカシロの耳に深く残った。

 



 ガドは熱い沼にはまり、目も開けられず息も出来ない感覚に暴れていたが、ふと足元が軽くなってゆっくりと目蓋を開いた。

「………??」

 芝生に寝転がっていると気づき、身体を起こすと見覚えのある兵服が掛けられていた。微かに感じたのはタグロの匂い。

「…ティエルは…」

 微熱の残る身体を叱咤し、ガドはふらつきながら立ち上がった。辺りを見回し、息が止まる。
 所々煙が立ち上り、騒がしい声が聞こえる。煙の匂いに混じり、微かに血の匂いも。
 ガドが一歩踏み出すと、小さな子供の背中が見えた。きょろきょろと周囲を見回すその子にはオオカミの耳と尾がワンピースから覗いていた。

「ねえ、大丈夫?」

 ガドが小さく声をかけると女の子は振り返った。その子は目蓋を閉じたままガドの声の方へ駆け寄ってくる。ガドは生垣の中に隠されるように寝かされていた為、慌てて止めようとしたがその子は生垣をひょいとジャンプしてガドに飛び付いた。
 ガドは咄嗟にその子を抱きとめた。

「目、瞑ってるのにすごい!」
「目は見えないけど匂いで分かるよ」

 ガドは驚いて、もう一度『すごい!』と笑みを向けた。
 少女は視力が無かったが、ガドの声や匂いで笑っていると分かって笑みを返した。

「匂いがぐちゃぐちゃで迷っちゃった。お兄ちゃん、みんなを探してくれる?」
「え?あ…うん。俺も迷子なんだけど…探せるかな」

 ごめん…と謝るガドに、少女は小さく笑った。

「リージェルを知ってる?その人の所がいいの」
「リージェル…」

 腕に抱えた少女からリージェルの名を聞き、ガドは苦しむ彼の姿が鮮明に思い浮かび、息を呑んだ。探さないと。ティエルも。
 ガドがそう思って少女を抱え直した時、優しい声がふたりにかけられた。

「ガド。大丈夫ですか?」

 その声にガドが振り返ると、リージェルが弾む呼吸を整えながら微かに口元に笑みを浮かべていた。
 少女はガドの腕から飛び降り、跳ねるようにリージェルへ走って飛びついた。

「リージェル!」

 ガドも飛び付きたい衝動に駆られたが、少女の姿を見てその行動を押し留めた。

「リージェル!よかった…!」
「ガドこそ。よく逃げられましたね」

 優しく細められた眼差しに、ガドは『ありがとう』と溢れそうになる涙を耐えて頷いた。







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