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「…はぁ、はぁ…っ、なに、これ…」

 ガドは激しく揺れ動きながら走るタグロに必死に掴まりながら、発情の苦しさに乱れた呼吸を落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。
 タグロは獣化していて答えられないが、薬で無理矢理引き起こされた発情が重たいものだと知っている手前、とにかく水にでも放り入れてやりたい気分だった。

「タグロー!!!」
「ワ"ンッ!!」

 城から離れるように走っていたタグロを呼び止めたのはカシロの声だった。タグロは慌てて方向を変えると返事をして声の方へ走った。すぐにカシロとティエルが見えた。

「やっぱりタグロだ。匂いしたんだ」

 タグロは二人に近づくと背中のガドを示すように首を振った。
 ティエルは駆け寄り、タグロの背中にうつ伏せたままのガドの身体を抱き締めた。

「ガド…!!タグロ、カシロ…ありがとう…!」
「…ぅ、ティエル…?ティエルの匂いする」

 ぐったりしていたガドは自分の背中を包む細い腕と、寄せた身体、香りに薄く目を開いた。微かに口元に笑みを浮かべ、細い涙が頬を伝った。

「ティエルだ…」

 ガドは身体の熱さに朦朧としながらタグロの背中から上体を起こし、ティエルの頭を引き寄せた。くんくんとティエルの胸元や首、顔へ鼻先を寄せて匂いを嗅ぐと訳も分からずティエルの頬をベロリと舐め上げた。

「ぅ、わ?!ビックリした…大丈夫、ここにいるよ。おかえり。頑張ったな」

 大きく舐めてから、控えめに唇や鼻先をティエルの首や頬に擦り付けポロポロと涙を零すガドに、ティエルは何度も『大丈夫』と頭を撫でた。
 カシロもガドの背中を優しく撫でる。

「そこ、石壁が影になってて人目につきにくいから下そう」
 
 カシロに促されて、ティエルはタグロの背中からガドを下ろし、城の中庭の隅に座らせた。目は閉じそうで、呼吸も荒く体温も高い。不安そうにティエルはガドの首に手を触れた。
 人型に変わったタグロがティエルの肩に手を置いた。

「興奮剤を吸わされたし、無理矢理薬で発情期を起こされてる。それに肩も鎮静薬のナイフを刺されてたり、身体が忙しいんだと思う。いつも発情期はどうしてる?」
「俺といる間に発情期らしき時期は無かった」
「そっか。ふたりって付き合ってるのか?」

 タグロの率直な質問にティエルは咽せそうになりながら眉を寄せた。

「なんで?」
「ガドが…発情フェロモンぶちまけながらティエルの名前を何度も呼んでたから…普通なら飛び付く状態なのに発情させられた雌ネコたちを嫌そうに振り払ってたし、よっぽどティエルの事が好きなんだなって」

 タグロの真剣な様子にティエルは頬を染めた。震える唇から言葉は出なかったが、ティエルの内心は目の前の温もりが自分を求めてくれた事にどこかホッとしていた。静かに目を閉じると、ガドが自分の名前を呼ぶ姿が思い浮かぶ。

「ホント、可愛いな」

 こんなにデカいのに…と、ティエルは潤む瞳を隠すように目を閉じたままガドの頬に唇を寄せた。
 ティエルの温もりを感じたガドは安心したように目を瞑った。
 触れた頬は熱く、辛そうだ。だが、触れた場所から自分にもその熱が伝染しそうになり、ティエルは立ち上がった。

「…俺は、リージェルとの約束を果たす」
「タグロ、ガドを連れて地下の人たちを開放して。仲間が何人かそっち向かってて、もう進めてる。俺はティエルを連れて行くから」
「は?どこにだよ」

 タグロはガドを連れ出す事しか考えていなかったため、せっかく会えたのに行こうとするティエルとカシロを見つめた。
 カシロは人間兵が使う弓をティエルに渡しながらタグロに真剣な眼差しを返す。

「ティエルが王様を殺す」

 カシロの凛とした声が恐ろしいことを告げ、タグロは目を見開いた。耳がピンと立ち、尾の毛が逆立つ。

「呪われてる俺たちには出来ないけど、ティエルなら出来るから。リージェルと話して決めた」
「弓なんて使えるのか?」
「仲間といた森では一番の射手だったけど?」

 ティエルは姿勢を正すと矢筒から矢を抜き一も二もなく流れるような動作で矢を放った。
 ヒュッと風を裂いて、矢は石壁の上で等間隔に並ぶ、はためく正方形の旗の中心を射抜いた。羽が引っかかりぶら下がって止まった。
 タグロはティエルの腕前に微かに頷いたが、すぐに首を横に振った。

「ティエルがやる必要ないだろ?ガドはどうする?早く国を出ろよ」
「リージェルはガドを助ける約束を全力で果たそうとしてくれた。だから借りを返す。タグロはリージェルが死んでもいいのか?」
「は?!違う…!」
「呪印の事聞いたよ」
「こ、殺すんだぞ?ティエル…本気か?」
「俺は人間なんて嫌いだから」

 低く、静かに発せられたティエルの冷たい声にタグロは黙った。悔しげに眉根を寄せてガドを見つめるティエルの目が、リージェルのものと重なる。タグロは大きく息を吐き出すと二度ほど頷いた。

「人間なんて…俺たちを家畜としか思ってないけど、ティエルも獣人?ガドみたいな希少種なのか?」
「俺は獣人じゃない。…人間でもない」

 じゃあ何?と口にしようとしまタグロに、それ以上追求する暇を与えないためにカシロはティエルの肩を叩いてオオカミに獣化した。
 ひょいとその背中跨がり、弓を背にしたティエルがタグロを見た。

「ガドをよろしく」
「も、もちろん!早く戻れよ」

 互いに頷いて視線を外す。
 カシロは地を蹴って飛ぶように走り始め、タグロはガドの様子を見るためにしゃがんで首に触れた。ぽつりと呟いた言葉に、ガドが朦朧としながら微かに目蓋を開いた。

「ティエル、相当怒ってるな」
「…う…?」
「お、ガド。起きた?また俺の背中に乗れそう?」

 ガドは小さく頷くが、立ち上がれない。タグロは肩を貸してガドを立たせ、石壁にうつからせると背中でガドを支えたまま獣化した。
 そのまま倒れ込むようにガドはタグロの背にうつ伏せた。襟元から溢れる温かい毛並みにガドは『ありがとう』と囁くように声を絞り出す。
 タグロは笑うように目を細めて、短く吠えると早歩きで地下を目指した。








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