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「リージェル!頼むよ起きてくれ!」

 タグロはオオカミになったまま戻らないリージェルの兵服の前を寛げ、熱を保って引かない胸元を撫でながら大きな声をかけ続ける。ぐったりして動かない大きな黒いオオカミは浅い呼吸を繰り返しているだけだ。

「リージェル!起きろ!!」

 タグロは鼻先を叩いた。ビクッと反応を示したリージェルを見て、ホッと大きな息を吐き出す。
 
「タグロ!!!」

 リージェルのナイフ傷に大きめの布を巻き付けていたタグロは突然名前を呼ばれて飛び跳ねた。振り返ると、通路の奥からランタンの光と共によく知る匂いが近づいてくる。タグロは立ち上がり走った。
 カシロとティエルが息を切らせてタグロに合流する。タグロはカシロを抱きしめた。

「リージェルの意識が戻らない。胸元が熱いままだ」
「分かった!水があるから!」

 立ち尽くすタグロとティエルを置いてカシロはリージェルの方へ走り出す。

「ガドは?!」
「…興奮剤が撒かれて、獣化した。あいつ、トラだったの?」
「…うそ…」

 ティエルは血の気が引くのを感じた。指先が冷えて息がうまく出来ない。エルフの自分なんかより、よっぽど狙われる存在だったのだ。今更知っても遅いが、現実はティエルを飲み込む。
 タグロがティエルの肩を揺する。

「仲間を集めて作戦を立てるから。あいつはまともじゃ手に負えないくらい凶暴だ」
「そんな事ない!ガドは優しい…まさかリージェルの怪我もガド?」
「いや、リージェルのはガドじゃ無い。アトロは…前足で潰してたけど。でもさ…強固な鋼鉄のシャンデリアを落とすくらいだぞ」

 さっきの揺れの原因はそれか。と頭の端で思い返しながら、ティエルは理由も分からないのに涙が滲み出すのが止められなかった。追い詰められたガドが想像出来てしまう。傷ついたリージェルも。

「ガドはどうなったの?逃げた?」
「いや、薬で眠らされてる。獣姿だ。動き回られると厄介な強さだし、大きいから小さい檻に入れて身動きを封じるはず」
「やめてくれよ…」
「シュルフェスに会ってくる。リージェルを頼むよ」

 タグロは動揺を隠せていないティエルを励ますように肩を強く叩き、来た道を戻っていく。
 ティエルはなんとか足を前に踏み出し、通路を進み始める。少し行けば通路を塞ぐように黒いオオカミが伏せていた。
 カシロが水筒の水をオオカミの胸元に垂らしている。

「…リージェルなのか?」

 ティエルが声をかけるとオオカミの目が開いた。弱々しく閉じてしまった目蓋に、ティエルは慌てて駆け寄った。

「これ、解熱鎮痛に効く薬草だ。使える?」
「ティエル…ありがとう。人型にならないと量が間に合わない…なんとか自力で人型になってくれないと…リージェル」

 リージェルの側に自分と同じように膝を着いたティエルが薬を差し出すのを見てカシロは切なげに眉を寄せた。ガドを助けられなかった事を責めるでも無く、兄弟の心配をしれくれたことに胸が熱くなった。

「…ガドがトラの獣人だってバレたって。さっきの揺れはガドが鉄製のシャンデリアを落としたからって、タグロが」
「そっか…トラか。初めて聞いた…いるんだな、希少種って本当に」
「狭い檻で身動きさせないだろうってタグロが。俺は一人でも助けに行く。アドバイスある?あ、この葉を潰して直接患部に当てると鈍痛には効くよ…これ!」

 ティエルはありったけの薬草をカシロに押し付け、強い視線を向けた。
 眼差しが、譲らないと伝えてきて、カシロは言葉に迷ったが頷いた。

「俺も行くよ。言っただろ?俺たちが怒ってる理由はもうひとつあるって。彼らも協力してくれる」
「……彼ら……?」

 カシロはティエルに渡された鎮痛作用のあるまだ若い葉を口へ入れ、噛んでから掌に戻してはリージェルの胸に押し当てる。ティエルも同じように繰り返しながら、話を促した。

「呪印は、命と引き換えだって知ってる?誰かに呪印をつけるには誰かの命が要る。俺のは誰のか分かる?街の花屋で働いていたネコ獣人の爺さんだ。人間と獣人の交配なら九割人間が生まれちゃうみたいで、無理な異種繁殖を試してる。オオカミとウサギ…とか。そうすると未完成の赤ん坊も生まれる。…その、小さな命や年寄りの獣人の命で呪印はつけられてる」
「う、そだろ…」
「リージェルが許せないのはそこだよ。例え片耳がなくても、腕がなくても、生きられるはずなのに…同じ日や近い日に生まれた健常児の呪印の代償にされる事が許せないんだ。歳を取った獣人だって家族と最期を迎えたい」
「人間たちは何とも思わないのか?」

 カシロは眉を下げて笑った。

「俺たちは労働力だから。家畜の豚や牛とさほど変わらない」

 ティエルは自分の中の怒りがぐるぐると渦巻く感覚に拳を握った。

「リージェルは正しいって、俺は思うよ」

 ありがとう。とカシロは泣きそうになるのをなんとか堪え、リージェルの身体を抱いた。

「頼むよ。リージェル。しっかりしろよ。俺たち間違ってないって言ってくれるヤツがいるよ」

 伏せて動かないリージェルの尾が微かに揺れた。






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