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リージェルは一度大きな咆哮を上げると床を蹴り跳ねるように駆け出した。ガドは後を追い走る。シュルフェスがアトロたちに指示を出すのが視界の端に映り、ガドが警戒するのとリージェルが扉に飛び掛かるのは同時ほどだった。ダン…!!と言う大きな音と共に木製の扉に亀裂が入り、リージェルが二度目の体当たりをしようと跳躍した時、シュルフェスの声が響いた。
「『王の為』!!!」
リージェルは大きく唸るように鳴くと力なく扉にぶつかった。そのままズルズルと床に転がる。そしてアトロが遠くからリージェルに短いナイフを投げた。鎮静薬の塗られたそれは空を切りリージェルの足に刺さるが、その痛みを凌駕する胸の熱痛にオオカミ姿のリージェルはのたうち回る。
「リージェル!!」
ガドは『王の為』と言われた彼が苦しむのを何度か見てその言葉が行けないのだと察した。仲間のアトロ達もリージェルに容赦が無い。ガドの中で怒りが爆発した。
「このっ…!ひどいヤツ!!」
ガドは口を覆うリージェルの手袋を投げ捨て、床を蹴って飛ぶように走った。シュルフェス目掛けて低い姿勢で距離を一瞬で詰める。
シュルフェスは驚きに声も出せ無かったが、このままではまずいと獣化した。だが、それは遅くガドの拳がシュルフェスの喉を殴り潰した。オオカミに変わったシュルフェスは殴り飛ばされ、動かなくなる。
ガドは興奮剤を吸い込み、視界がぐらぐらと揺れ始めるのを感じながら顔をアトロへ向けた。金の瞳が獲物を捕らえる。
アトロはゾッとしたモノが背中を伝うのを感じ、慌てて鎮静薬を塗ってあるナイフをガドへ向けて投げた。興奮状態のガドは頭が働かない。それを避ける事は思い至らずにガドの左肩に命中した。だが、ガドは一歩、一歩、アトロに近づく。
「やばい…!逃げるぞ!」
アトロともう一人がリージェルのいる扉に走る。ガドはその背中目掛けて飛んだ。手を伸ばすと、身体が獣化していく。ガドはそれを止められず、太く、鋭い爪がアトロの背中に食い込んだ。
「ぎゃああぁ!!背中が…!!」
ダン!!と大きな音と共にアトロは床に押し潰された。ぐっと前脚に体重をかけるとミシミシとアトロの身体が鳴る。バキッと背骨と肋骨が押し潰された音が鈍く鳴った。
アトロは動けなくなり、だんだんと意識が遠のいて行く。
アトロの相棒は腰が抜け、床に座り込んでしまった。震える身体で見つめる先にいるのは大きなトラ。上着は破け、大きな頭と上体がキラキラと輝く。
ガドは大きく吠えた。怒りに任せた興奮状態のその声は空気を揺らし、アトロの相棒は気を飛ばして倒れた。
吠えたガドが天を仰ぐと天井でキラキラと揺れるシャンデリアが目に入った。
『ティエルの目が、光に当たるとあんな感じにキラキラ見えるんだ』
自分の中の声にガドは壁に飛びつくと爪を立てて壁を蹴り、シャンデリアに飛び乗った。鉄製のそれを揺らして、揺らして、ぐんぐん重心を乱して落とそうと暴れる。
なかなか落ちないシャンデリアに興奮状態のガドは吠えまくり暴れた。滑車で吊り上げられているのを視界に捉えたガドは、滑車部を何度も爪を立てて殴った。皮膚が裂けても止めず、一際大きく吠えると渾身の一撃が天井にヒビを入れた。
一層ぐらつき始めたシャンデリアを、気が付いたシュルフェスは見ていた。ゆっくりと這いずり、落ちてくるであろうそれから逃げる。
『あいつは何としても手に入れる』
喉を潰され、声の出ないシュルフェスが鎮静薬を部屋に撒いた。暴れる大きな獣に対する充分な量は不明だが、ゆっくりと部屋に広がり始めた頃、シャンデリアが天井を離れた。
爆発のような衝撃と同時に部屋中に土煙のようなものが舞う。それに混じって鎮静薬も。
ガドは身軽にシャンデリアを使って遠くへ飛び、着地した。途端、ふわふわした興奮状態から、次第に身体が重たくなっていく。鎮静薬がゆっくりとガドの身体を支配し始める。獣型のまま、ガドは床に伏せるように動かなくなった。
「嘘だろ…ネコって…トラなのかよ!」
タグロは部屋からリージェルを引きずり出しながら、事の一部始終を目撃した。ぐったりとしている大きな黒オオカミは人型の倍は重い。
落下したシャンデリアのせいで砲撃を受けたような音と衝撃に城中の者が集まり出す。タグロは必死で引きずるようにリージェルを隠し通路へ押し込んだ。
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