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 ガドは自分の隣、少し前を歩くティエルの帽子を見つめた。ガドが使っていた大きめのキャメル色のキャスケット帽。色んな服屋や防具屋を見たが、『気に入った』とティエルは使い続けている。
 ガドはその頭にそっと顔を近づけた。最近、ティエルからいい匂いが止まらない。いつも嗅いでいたいと思う。特に、ティエルが照れたように視線を外す時は匂いが強い。噛み付いて、舐めまわして、離したくない。他の生き物からは感じた事のない感覚にガド自身戸惑っていたが、いい匂いなのでなくなってしまったら嫌だ…というのが本音だった。

「ティエル…いい匂い…」

 無意識に顔を寄せていたが、ティエルが急に立ち止まりガドはぶつかった。慌ててティエルの肩を支えて謝る。
 ティエルは裏通りの細道を塞ぐように立つ三人の兵服の男たちを前に立ち止まったようだ。

「すみません。少しお話、いいですか?」

 ひとりの黒耳が控え目にティエルとガドに声をかけた。黒耳の脇には茶耳がふたり。揃いの色の尻尾がふさふさと揺れている。
 ティエルは警戒するようにガドに身体を寄せた。

「何か?」

 静かに短く聞くティエルの横で、ガドは教会の鐘にレンガを投げつけた事がバレ、怒られるのだろうかと不安気にティエルへ視線を向ける。
 ティエルは『大丈夫』と言うようにガドの腰を撫でた。

「そちらの、大きな彼の方ですが獣人とお見受けします」

 ガドは驚いて目を見開いた。この国の城下街に入ってからは一度も獣化していない。それなのに。

「大丈夫です。危害を加えたい訳ではありません。失礼とは承知していますが、本当なら急いで門から出したいところです」
「…俺たちも同じです。すぐに出たい」

 獣人の兵の言葉にティエルが同意すると、黒耳は頷いた。

「私はリージェルと申します。王の獣人兵の指揮を担当しています。今すぐにでも国を出て欲しいのですが、門は開く事が出来ません。そして問題なのは彼を参謀のシュルフェスに連れて来いと命令されている事です」

 申し訳なさそうに黒耳を垂れるリージェルが目を伏せると、両脇のふたりも俯いた。それから、急かすようにリージェルの背中をひとりが叩く。

「とりあえず連れて行こう。逆らえない。リージェル…頼むから逆らわないで」
「目の届かないところなら問題ありません」

 リージェルに諭すように言われた茶耳にダークブラウンの髪をしたつり目は大きなため息を吐き出した。隣の茶耳はブロンドで、可愛らしい顔をしてティエルとガドを観察している。
 ティエルとガドはどうやって三人のオオカミの獣人逃げようか、お互いに考えていた。
 慣れない場所。相手はオオカミ。しかも兵士。
 黙ったまま、緊張を解かないティエルとガドに、リージェルは優しく目尻を下げた。

「大きな彼、何の獣人ですか?人型から見てウサギやヒツジではないし、オオカミかネコ?」
「え…どういうこと?」
「どっちか答えて下さい」

 謎の二択を迫るリージェルに戸惑い、ガドが答えに迷っていると、ティエルが答えた。

「どちらかと言えば彼はネコだ」
「ネコ。分かりました。そう伝えます」

 リージェルは三歩でティエルとガドのそばに歩むと、声を潜めて続けた。

「東門の石垣に沿って北の方へ進むと修繕中の箇所があります。足場を組んであるので大きな彼の方なら簡単に越えられるはず。夜になったら出て下さい」

 ふたりに助言するように言うリージェルに、ガドは『ありがとう』と同じように声を潜めて言った。けれどティエルは疑うような眼差しを向けた。

「連れて来いって言われたんだろ?どうして…」
「連れて行きたい訳ではありません。シュルフェスは良い獣人ではありません。大きな彼の方は希少種でしょう?俺は国で一番鼻が利くので分かってしまいます。連れて行けば彼は一生種雄にされます。なので、ネコでした…と報告させてもらいます」

 ガドはティエルとリージェルの会話を聞くが、よく分からないと言う顔をティエルに向ける。強張った表情を見れば、良くないことは分かった。
 ふたりのやりとりが大事だと察して大人しくしていたが、リージェルたちの柔らかいオオカミの匂いに混じり、別の匂いが強くなっていることにガドは気を張って背後へ視線を向けた。
 同じタイミングでリージェルの視線が鋭くなり、ガドと同じ方を睨む。リージェルの仲間が声を抑えて彼を呼んだ。

「俺たち以外にも来たのか…リージェル!」
「まずいな…。タグロ、カシロ…お前たちは帽子の彼を連れて安全な所へ行け」
「おい!ガドを連れて行く気か?!ダメだ!早く逃げよう、ガド!」
「俺たちは追尾のプロです。ここまで来たら門を出ても追い掛けます。あなたも一緒に連れて行かれると、逃す手間が2倍になるので大人しくタグロとカシロと行って下さい」
「ティエル?!だめだ!俺たちは離れない!」
「帽子のあなたも捕まったら私はふたりとも助けられない。でもキミだけなら可能かも。一度城へ連行させて下さい」
 今、会ったばかりの獣人の言葉を信用したくないのに、一番それが良い策のようにしか思えない。しかし、許可を得るようにこちらに主導権を差し出すオオカミ獣人の真剣な眼差しに悪意を感じる事が出来ない。ティエルは迷ってガドへ不安な視線を向けた。
 『離れたくない』『怖い』
 そんな匂いがガドの鼻腔を抜け、ガドは悔しさから奥歯を噛み締めた。不安そうなティエルの手を握る。

「ーーー!ティエル。俺、この人の言うこと信じて逃げてくるから。心配しないで、ティエル。オオカミさん!ティエルを絶対守ってね!」

 タグロとカシロと呼ばれていた茶耳のオオカミ獣人がガドの声に振り返った。ガドの声は悲しそうでは無く、しっかりとタグロとカシロに向けられた強いものだった。ふたりは無意識に頷き、ティエルを引き連れて走り出す。少し離れると薄青色の粉を撒いた。
 一瞬色が見えたが、すぐに霧散して消えた。匂いが薄まり、ガドは驚いた。

「一時的に匂いを薄める花の粉です。ガドの連れ…ティエルの匂いだけでも誤魔化さないと。複数で執拗に追われたら、いずれバレます。それだけ凄いのがオオカミです。その前に城へ」
「ティエルは大丈夫だよな」
「今のところは平気でしょう。しかし…不思議な匂いの人間だった…」
「…!!も、森での生活が長かったから、動物っぽいのかも…」

 鼻の利くリージェルを誤魔化しながら、ガドは彼の手を握った。今は彼と行くしかないのだと言い聞かせる。
 リージェルは驚き、思わず手を払った。

「?!」
「あっ…!ごめん…」

 ガドは振り払われた事でティエルと初めて手を繋いだ時も同じように手を繋ぐ事に驚いていた姿が甦り、眉を下げた。
 リージェルは振り払ってしまった事を謝りながら、ガドの背中に促すように触れた。

「こどもじゃないでしょう?」

 ガドは子供じみた行動だったと自覚して、小さく頷くとリージェルと歩き出した。

 




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