警備の仕事を終えてケイナン・ギロアフラムが三階建ての自宅アパートに帰宅したのは20:00を回った頃だった。少し古めかしい作りのそこにエレベーターなどは無く、三階までコンクリートの階段を登って行く。現役で戦地を駆け回っていた頃に比べると明らかに運動不足な自分には無くてはならない運動だとギロアは思っていた。

「めっちゃいい匂い!絶対美味しく焼けたよ!」

 階段を上り切る前に聞き慣れた声が明るく興奮気味に響いた。同じ階の向かいに住む老夫人の部屋から聞こえた恋人の声にギロアは呆れた様な笑みが溢れた。

「でけぇ声だな」

 ギロアが自分の部屋の鍵とドアを開けると、帰宅を聞きつけたソイルがバタバタとシュカナー夫人の部屋のドアを勢いよく開け、現れた。

「ケイナン、おかえり!」
「ただいま」
「あらあら、おかえりなさい。ケイナン」
「シュカナーさん、うちのが煩くて申し訳ない」

 ギロアが心底申し訳なさそうに軽く頭を下げると、ソイルは『うちの!だって』と嬉しそうに笑った。シュカナーもくすくすと皺皺の顔に更に皺を深めて楽しそうな笑顔でやりとりを見ている。

「ソイルが上手にマフィンを焼いたのよ。センスあるわ」
「へぇ。やるな」
「俺、天才肌だからさ。シュカナーさんもハンバーガー覚えたよな」

 ね!と仲良し全開のふたりに、ギロアは思わず声を抑えきれずに笑った。

「ははっ、仲良し親子みてぇだな」

 普段大笑いしないギロアのその様子に、ソイルもシュカナーもほんのりと頬を染めて嬉しそうに頷き合った。

「焼きたてのマフィンを包むわ。お仕事疲れたでしょう?」
「俺、片付けしたら帰る。あ、ビール冷やしといた」

 シュカナー夫人の部屋へと戻るふたりに頷いて、ギロアは自宅へのドアを再び開いた。





 ギロアは届いていた手紙類に目を通しながらソイルが冷やしてあったビールを手に取った。大した事ない手紙の中に、友人の葉書を見つける。幼い頃からの悪友の葉書には『ギロアへ』とだけマジックで書かれた写真葉書だった。ワシントンD.C.の何の変哲もない景色。悪い事をした代償に、24時間365日足枷と見張りを付けられ、連邦捜査の仕事を手伝わされている男だ。D.C.から離れず、いい子にしているとでも言いたいのだろうかと、少し鈍感なギロアは意味を汲み取りかねて首を傾げながら写真を眺めた。

「ただいまー」
「遅かったな」
「お菓子作るのって片付けが大変だった。大雑把なアンタには向いてなさそう」

 クスッと笑いながらソイルはテーブルにマフィンが乗った皿を置いた。そして両手をギロアの首へ回し、ぱっちりとした深いブルーの双眸で見つめた。少しウェーブがかった黒髪が目元でふわりと揺れる。

「キスだろ。なに見つめて固まってんの」
「…ああ、そうか」

 ソイルがギロアに絡むのはいつもと事で、勝手にさせておこうと見つめたままでいたギロアは、言われてそっと触れる様に唇を重ねた。

「もっとか?」
「わかるだろ?」

 ニコッと笑みを作ったソイルが甘える様に首元に顔を擦り付ける。少し背伸びをしていたソイルの腰にギロアの手が伸び、ひょいと抱え上げた。 

「ベッドだろ?」
「やぁらしい!」
「…違うのか?」
「違わなーい」

 面倒くさい…とくだらないやり取りにため息を吐いたギロアにソイルは笑う。抱っこされたまま運ばれるのを待っていたソイルは、ふとテーブルに置かれた写真葉書に目が留まった。

「…ギロアって呼ばれてるのか?」
「うん?」
「ハガキに名前。ギロアフラムのギロア?」
「ああ、そうだ。昔の友達はそう呼ぶ奴が多い」
「へー…俺も呼びたい」
「…………なんでもいい」

 なんでだ?と問おうとしたギロアだが、止めた。四十歳に近い自分と二十歳そこそこの若者とでは感覚が違う。恐らく、『恋人なんだから特別な呼び方がいい〜』とか言うのでは?と先に考えた為だ。
 しかし、そのギロアの思考を察してソイルは頬に唇を当てた。

「なんでって聞いてよ」
「面倒だ」
「出た!アンタの面倒くさがり。オッサンぽい」
「…あー…なんでだ?」
「新鮮じゃん!俺の知らないアンタをもっと知りたいんだもん。全然昔の話とかしてくれないしさー。ギロアー、なんでギロア?なんかカワイイかも」

 自分の腕の中で何度も名前を呼びながら、最終的に『かわいい』などと言い出したソイルへギロアは呆れた様な目を向けた。

「前に、未婚で妊娠しちまって途方に暮れてた女友達と籍を入れた話したろ。ガキの頃からの付き合いだったんだが、同じ名前だったんだよ。ケイナン。女子を優先して俺はギロアって呼ばれただけだ」

 思い出もなく淡々と説明をするギロアだが、ソイルは興味津々と言った様子で話に耳を傾けた。
 









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