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ふたりで森を抜け、一番近くの町で必要な物を揃えた。ガドは小屋に残っていたベーコンやハムをいつもの店に売りながら挨拶を済ませた。店の主人は日持ちのする干し肉やナッツ類をたくさん持たせて、『いつでも戻っておいでね』と笑顔で別れを告げた。衣類や道具を揃える程度に買い物を済ませ、人目を避けながらしばらく歩いた。
森を出た事がほとんどなかったガドは全てが新鮮で、いつもの町より遠くに来た事に目を輝かせた。野宿はいつも林や森の中を選ぶ。森は、匂いも音もどれも違って、ガドは嬉しそうにティエルと火を囲んだ。
東へ進んで10日程が過ぎた。地図が無いため、次の町では探してみようとティエルが提案していた。
「………」
まだ、かなり早い朝。ポツポツと降り出した雨の音と匂いに、ティエルは薄っすらと目を開けた。抱き着いていた筈のガド身体が無く、けれど隣の気配に視線を動かした。
人型になり、自分の外套を頭から被ってティエルの身体も包むように雨宿りしている。
ふと、ティエルは他の気配に視線だけで下を見た。一羽の小鳥と二匹のりすもガドの元で雨宿りをしている。
ふわりとした優しい空気に、ティエルは自然と笑みが漏れた。
「あ、ティエル。起きた?」
「うん。おはよう。雨除けしてくれたのか?ありがとう」
お互いに視線が合い、にこっと笑った。ティエルはガドが広げてくれている外套の片端を持って彼の負担を減らす。
「小雨だけど、寝てたから起こさない方がいいかなって思って…出発する?」
「…もう少しこうしてたい。ガドが行きたいなら行くよ。どうする?」
ティエルはガドに身体を寄せて体重を預けた。獣型の時とはまた少し違う安心感でティエルは目を閉じた。
ガドも自分の肩に寄り掛かるティエルに小さく笑って頭を寄せた。
「ゆっくりしてからでいいよ。俺、雨好きなんだ」
「ふふっ、あのふわふわが湿って重くなりそうだ」
「だね。でも、獣型でも雨や水浴びは好きだよ。体毛がない分、人型の肌はすごく便利って思う。指も使えるし」
ガドは言いながら、足ものとリスに人差し指を差し出した。1匹のリスがその指に顔を擦り付け始める。
ティエルはその様子に人の姿に似ていても、人間ではない自分たちにチクリと胸が痛んだ。どうして違うものを見る目で見るのか。獲物を見るような目で見るのか。理由は分かっても、心理が理解出来ない。
ティエルの眉が微かに寄せられている事に気が付いたガドは、そっと鼻先をティエルの頭へ擦り付けた。
「元気ない?」
ガドの声は優しい。低く、響く。
ティエルはまるで髪に唇で触れられているような感覚に胸が甘く鳴った。これは、特別な感情だ…と目をきつく瞑った。
エルフは長生きのため、番が一生同じと言う訳ではない。もちろん、半数以上はふたりを別つのは死、という番が多い。しかし、繁殖力も低い為、多くの相手と繁殖を試して子を成そうとする家系も少数いた。
ティエルは平均寿命の三分の一ほどの経験の中で誰かを好きになった事は無かった。しかし、仲間の恋や愛の話には、必ず胸の痛み、甘い幸せ、ずっとそばに居たい、それらの言葉を聞いた。この胸の痛みや感情は間違いなく『それ』だろう。
しかし、今共に居るのはお互いに仲間を探すため、エルフや獣人が平和に暮らせる場所を探すため。決してずっと一緒にいるためではない。
エルフと獣人では寿命も半分以上違う。一緒にはいられないだろう。
ティエルは沈みそうになる気持ちにハッとして、心配そうなガドの顔を見つめた。
「少しお腹空いただけだよ。元気」
ティエルは微かに笑みを作ると、鞄からナッツをひと粒取り出した。
「ガドも食べる?」
「俺はなんでも食べられるから、それはティエルの食事にして。ティエル、肉も魚もダメだろ?」
ガドのにこりとした笑顔はいつも八重歯が覗く。そして優しさが滲む。つられて笑顔を返してしまう…そんな笑み。
ティエルは実のところ言うほど腹は減っていなかったが、ひと粒のナッツを口へ運んだ。
「ありがと」
ガドは大きく頷いて顔色が明るくなったティエルに安心したように身体を寄せ直した。体温や匂いが感じられる近さ。ガドもまた、ティエルに初めての感情を抱いていた。
そっと髪に鼻先を寄せ、擦り付ける。ゴシゴシという風ではなく、微かに甘えるような仕草だ。無意識に自分の匂いを相手に着けながら、対象の匂いも嗅ぐ。本能的にティエルの側を離れたくないというガドの気持ちの表れだった。
「ティエルは森の匂いがする。いい匂い」
「やめろよ。恥ずかしいって」
お互いに小さく笑い、新しくやってくる小動物の雨宿りに貢献する。ティエルはエルフの生活の話をし、ガドは野菜の美味しい食べ方を話していた。小雨が止む頃には陽が昇り、昼時を告げていた。
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