マーリが保護された交番では困った様子で警察官が話し合っていた。
 雪はまだ降らないが、冬にもかかわらず裸足で、デニムパンツと白いロングTシャツのみ。見た目は外国人だが、持ち物は何もない。

「日本語、分かりますか?お名前は?」
「わかる。名前はマーリ」
「マーリ…、マーリ、なに?」
「なに?」
「ファーストネーム?」

 マーリは首を傾げて不安そうな顔を見せた。マーリ以外、名前は無い。
 住所や年齢を聞いても分からない様子を見て警察官は困った顔で上司を見た。幾分か年上の真面目そうな男はおもむろに携帯電話を手に、カメラで写真を撮った。

「え?!」
「黙ってろ。こういうヤバそうなのは任せればいいから」

 そして写真を送信した。それから温かいお茶を汲み、マーリに手渡すと丁度、電話がかかって来た。
 マーリは温かいお茶にふぅふぅと息をかけて冷ましている。優しく緩む顔は先ほどの不安そうな顔ではなくなっていた。まるで迷子か何かだ。
 年上の警察官は一言二言交わすと、若い警察官に靴と靴下を貸す事を頼んだ。

「…どうなったんです?」
「知った顔だから迎えに来るそうだ。ヤクザ関係だってさ」

 若い警察官は引きつった顔で頷き、そんな風には見えないマーリへ視線をやった。誰が見ても美形と答えるであろうモデルのような風貌だ。ウェーブがかった金髪に少し垂れた青い目。ヤクザとは思えないが、裸足で彷徨っていた事も考えて、何か危ないことに巻き込まれているのだろうかと頭を捻った。
 しかし、年上の警察官は対して気にもせず、マーリへ自分用のお菓子を差し出し、迎えが来るのを待つと言う。そして眉を下げて少し困ったように笑った。

「突っ込まないほうがいい事ってのもあるんだよ」

 若い警察官は曖昧に頷いた。
 二十分ほどして、交番の前に黒塗りのセダンがやってきた。中からメガネのスーツの男がひとり。警察官に軽く頭を下げた。
 年上の警察官はマーリを示し、スーツが頷いた。交番に入ってくる。

「ご連絡いただき助かります」
「こちらこそ、お手を煩わせます」

 まるで会社員の挨拶のようなやりとりの後、スーツはマーリの前に立ち、来るように命じた。有無を言わさぬ圧力に、若い警察官はヒヤッとしていたが、マーリは呑気に笑みを浮かべながら立ち上がり頷いた。

「霧丘…?」
「違います」

 マーリはキッパリと否定され、しゅんと肩を落とした。眉が下がり、俯く。

「お前次第ですよ」

 スーツは警察官たちに頭を下げると、マーリの背中を押して車へ促した。
 迷子の男を乗せて去っていく車を見送り、交番にはいつもの静けさが訪れた。





 小さな事務所を構えるビルの三階。日常ではありえない騒音が響いていた。ガシャーンとガラスの割れる音。ガゴンと鈍くぶつかるソファ。一分にも満たない時間だが、それが止んだ後には荒い息遣いだけが静寂の中に繰り返された。

「はぁっ…、はぁ…っざけんなぁっ!!!」

 霧丘は転がっていた高級そうな置き時計を蹴り飛ばした。ガシャッ!!と壁にぶつかり、無残な塊へとなった。

「…兄貴、失礼しますよ。大丈夫すか」
「入ってくるんじゃねぇ!!」

 霧丘は声をかけて来た弟分にドスの聞いた怒りをぶつけた。こんなみっともない姿を誰にも見られたくはない。プライドがある。
 マーリが消えて3日。霧丘は今まで使用した事のなかった薬を経験し、気が荒れていた。禁断症状とまではいかないが、マーリの事が頭の隅を離れない。
 両親を覚醒剤が原因で亡くしている霧丘は、薬は人生を狂わせる事をよく知っていた。ヤクザになってからも、そう言う人間を多く見て来た。だからこそ、霧丘は薬は売っても使わない。しかし、マーリに犯された際に粘膜から摂取してしまった。深く、深く。
 ーーアレが欲しいーー
 霧丘は薬だけでは満足できないだろうと確信していた。薬を塗り込む、あの、人間のものとは思えないグロテスクな装飾のマーリのペニスが頭から離れない。それに蹂躙される己も。

「あンの、クソ犬がぁあああ!!!」

 霧丘はコンクリート造りの部屋の壁を殴りつけた。拳が鈍い音を立てる。皮膚が裂ける。骨が砕ける。それを感じて霧丘はやっと止まった。
 壁を睨みつけたまま、乱れた呼吸を落ち着けるために立ち尽くす。拳からゆっくりと血液が床に落ちた。

「…おい佐野。部屋を片付けたいから業者へ連絡してくれ」

 霧丘はドアの前で己を待っているであろう男に声をかけた。
 佐野は短い返事をするとすぐに業者を探して電話をかけ始める。部屋から出てきた霧丘を見て、驚いた顔で固まった。

「血ぃででますよ!」
「いいから仕事しろ」

 霧丘はトイレの側に設置されている水道で適当に血を流し、しまってあるタオルをぐるっと巻いて終わらせた。
 電話を終わらせた佐野がやってきて、救急箱を見せた。坊主頭にトライバルの剃り込みを入れた若い男が、眉を寄せて救急箱を差し出す様は面白い。

「お前ぇはお袋か」
「違いますけど…兄貴が心配なんす!」
「…どっか行け。組が嫌か?なんなら他の組でも紹介してやる」
「何言ってるんすか?!確かに…これから上海に行く事は知ってます。他の奴は若頭がそれぞれ割り振ってましたけど、俺ぐらい、兄貴の手伝いに残してくれたんじゃ無いんですか?」
「片付け事を押し付ける奴が欲しかっただけだ」
「っ…ま、まぁそう言う所も兄貴らしいっすけど。…マーリですか?アイツが居なくなってから様子が…」

 マーリ。その名を口にした途端、霧丘のまとう空気が一気に冷えた。佐野は背筋にぞくっとしたものを感じて足が下がりそうになる。けれど、歯を食いしばり拳を握った。

「信用して下さい!俺は兄貴のそばに居たからマーリの事もよく知ってます。アイツが居なくなるわけない。兄貴がアイツを切ったって、足に縋りついてでも離れるはずない!」
「…はぁ、もういい。マーリはお荷物だったから、捨てたんだ。本人にもハッキリ言ってやった。今ごろどっかで死んでるよ」

 低く、冷たく言い切った霧丘に、佐野は悔しい思いで言葉を飲み込んだ。そして、頭を下げると救急箱を霧丘に押しつけ、事務所を出て行く。
 マーリにも佐野くらい常識を教えてやればよかったな、と霧丘はらしくない事を考えていることに驚いた。

「…片付けがいつ来るかぐらい言って行けよ…」

 霧丘のため息が静かになった事務所に消えた。







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