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 新堂の部屋を出て雑居ビルやオフィスが並ぶ職場まで電車で移動し、小さなオフィスビルに入って、想は受付にいた男に頭を下げる。
 名前は塩田といい、昔に若林と共に想を助けたことのある、大柄で強面の中年男。あちらはにこりとして軽く手を上げてから、広げた新聞に再び向き合った。
 階段で二階にあがり、安っぽいドアを開くと中にはいつもの二人が仕事をしたいた。
 この小さなオフィスで岡崎組に流れてくる金の殆どを管理をしている酒井は、北川に信用されていたが、若頭の若林を慕う派閥のひとりだった。
 想も手にした成功報酬を酒井へ渡している。
 そして、想がこの職場に配属されたのは、若林の腹心塩田と、若林を慕う酒井がいる為。直接は無理でも、若林の手が届く場所に置きたかったからだ。

「おはよう、有沢!」
「おはよございます」

 顧客ファイルを見ていた一番歳の近い上嶋と挨拶を交わす。
 上嶋は真面目そうな好青年で人当たりがよく、営業向きな男だった。
 もう一人、30代後半の酒井。
 この少ない人数が想の働くオフィスの同僚だ。

「お疲れさん。昨日は急かされて大変だったか?若林さんが心配していた」
「大丈夫です。いつもと変わりありません」

 想がパソコンを開いて立ち上げ、株価をチェックしていると、傍に来た酒井が心配そうに声を抑えて言った。

「有沢、裏の仕事辞めるって?北川組長には気付かれないように姿を消せ。……入院してる双子は若林さんが見てくれるだろ。若林さんはお前の事ばっか気にしてる。お前、相当ヘビーな所まで頭どころか全身突っ込んでるんだから、そう簡単に手離したら余所の組に色々と渡る危険な存在だ。あの人のためにも、自然に消えろ」
「わかってます」
「ならいいんだ。一番はこのまま変わらずに仕事を続けて欲しいがな」

 やれやれと首を振ってデスクに戻る酒井は若林が想を息子の様に思って心配していることを知っている。若林を慕う彼が、若林に迷惑をかけて欲しくないと思う気持ちは伝わっている。想の存在イコール若林のお荷物、だろう。

「有沢、俺これから外に行くから電話、任せる」

 上嶋がスーツの上着を着て出て行く。
 彼は言葉巧みに今日も顧客を増やすだろう。この会社は証券、不動産関係の詐欺をしている。もちろん、ほんの一握りは『まとも』にやっているが、あくまで無許可の偽商売。なにかあればすぐにトぶ。それ故にこんな小さなオフィスビルの一部で仕事をしているのだ。

「さて、そろそろ売りに出したいお客様もいるだろうから……もう少し引き伸ばしてジャンジャン投資させろ」
「はい」

 想はマニュアル通りに電話対応し、データ入力と保存をテキパキとこなしていった。







 月曜から金曜まで、まさにサラリーマン。そんな1日を終えると想も普通の男になった気がした。嘘の会社で人を騙していても、1日デスクワークをすればそんな錯覚も起きる。
 締まりそうな花屋でピンクと白でお薦めを頼んで花束を購入し、一駅離れた大きな付属病院に向かう。ここは青樹組の息がかかっており、上層部の人間はこちら側の人間にへこへことしている。金がモノを言う、というのは事実だと実感する。
 受付を素通りし、いつものように特別病棟に向かう。

「あ、有沢さんこんばんは。わーッ可愛い花束!」
「こんばんは。いつもお世話になってます」

 顔見知りの可愛らしい看護士に花束を渡し、春の部屋へ行く。静かに中に入ると、様々な機械と春が一緒にいた。
 あの頃とは随分変わって想とは逆に小さくなったように感じる。眠っているように見えて、触れてみようと思うが自分の手が汚れている感覚が消えない想は触れずに部屋を出た。
 廊下で先程の看護士が春の花瓶に花を生けて来て、想を見て声を掛けた。

「もうお帰りですか?」

 想は軽く頭を下げて病院を後にした。
 帰り道、想は『先』を考えた。
 じきに借金は終わるが、春はきっと目覚めない。新堂も言っていたが、回復の見込みはないのだ。
 そして、春が存在していると自分が消えたときにどうなるか分からない。とても自分で春の延命措置を止める勇気など想にはなかった。他人にそれをされるのはもっと許し難い。
 こんな状態の自分には、春を守れない上、父親との約束も果たせそうにない。夢はもうないし持ちたくもないと思っていた。
 拾ったタクシーの車窓から、想はぼんやりと夜道を照らす街灯が視界を通り過ぎて行った。
 自宅に着き、想は鍵を開けた。小さな安アパートで1DKだが、寝るために帰るには十分な広さだった。テレビもパソコンもなく、家具もベッドだけで少し大きめの備え付けのクローゼツトにはスーツと冬用のジャケット、必要な下着類だけ。
 今まで無理矢理背中を押され、腕を引かれて走ってきたが、『不自由な自由』によりそれもなくなる。想はキーもガソリンも無くし、エンジンが壊れてどこにも行けず、どこに行けばいいかも分からない廃車同然だった。
 ネクタイとスラックスを上着と共にハンガーに掛けてワイシャツを洗濯機に放り、ベッドから毛布を引きずってクローゼツトの隅に丸まって目を閉じる。狭くて暗いお気に入りの場所だった。まだ暑さの残る9月、再来月くらいまでなら此処で寝れるかな、と想は考えながら眠りに就いた。








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