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「新堂、お前から酒に誘われるとは思わなかった。機嫌直ったのか?」
「直るも何も。想に怒られたからな。お前に優しくしろって」
「なんて事だ…新堂を手懐けるなんて、さすが俺の想」
「は?俺のだから」

 アルシエロのカウンターの端で、若林とウィスキーのボトルを前に新堂は大きなため息をわざとらしく吐いて見せた。
 そんなふたりの前に想がやって来て、眉を寄せながらロック用の氷を入れた新しいグラスをコースターへそっと置いた。

「そう言う話、やめてもらえない?変な噂とか立つし、お客さんにからかわれるし…」
「どんな風に言われんだよ」
「…ヤクザの愛人とか…」

 想はいじけたように言ったが、ふたりは笑った。
 閉店まであと1時間ほどという事もあり、従業員は想ひとり。他の客は常連の3人組サラリーマンだけ。店内はゆったりとしている。

「俺は清乃ひと筋だぞ」

 若林が誇らしげに言い切ると、店の扉が開いてベルが鳴った。
 
「いらっしゃいませ。閉店前ですけど…て、古谷さんか」
「おー、俺が頼んでた物?」
「そーですよ。若林さんにお届け物です。なんで俺に頼むんです?若林さんのお使い係じゃねぇし。げ…新堂漣がいるじゃねぇの」

 古谷は若林に届け物に来たようだ。手にした封筒が目につく。
 若林の隣に座る新堂を見て、嫌そうに顔を歪める古谷に呆れながらも、想が何か飲むか尋ねる。

「そうだな。生ビール。今日も有沢は笑顔が接客モードだなぁオイ。あ、茶髪。髪の色が黒じゃなくなってる」
「やっといつも通りの俺って感じですよ。あと、難しい事言わないでください。接客中ですし、笑顔は笑顔でしょ」
「あ!それ、そっちの顔のが好き。髪も黒の方が可愛かったなー」
「やめて下さい」

 そんなやりとりを聞いていた新堂は口許に笑みを浮かべて静かに席を立った。

「邪魔したら悪いから行く。ごゆっくり」

 新堂は若林に会計を任せて、席を空けた。
 想はあわてて後を追うようにカウンターから出て、新堂へ預かっていたスプリングコートを手渡す。

「モテる男は辛いな」

 小さく笑い、からかうような言い方をする新堂に想は背中を叩いて反抗した。

「またそういう事言う…」
「部屋で待ってる」

 本格的に怒りそうな想を見て、新堂はそっと顔を寄せて額に唇をつけた。
 想は頬を染め、人前だからと俯いた。店の扉を開けて、微笑みながら控え目に手を振る。
 新堂は表通りに迎えを呼びながら、若林と古谷に遊ばれるであろう想を思い浮かべて一度目を閉じた。
 『日常』『均衡』『善悪』いつでも存在している日々。それを意識している者達ほど、その重要性を知っている。
 それを理解している新堂は、仕方ないが今まで通りその一部でいる事を決めた。消える事を受け入れてくれた想の隣で彼の日常を感じる。それだけで充分だ、と。
 新堂が表通りに出ると、すでに部下が路肩に車を停めてハザードランプを焚いていた。

「このまま自宅で。この間落とした小型機の件はどうなった?」
「言われた通りに処理しました。プライベートジェットの着陸費も色を付けておきました」
「ありがとう。助かる」
「言われた事をしたまでです。…アラビアのシャアバーン・ラムジが出国したいそうです。出来れば身を隠したいと」
「…ラムジか…。持ち物は無し、ひとりだけ、場所は選べなくてもいい、その条件ならクリーンな移動と住居を用意してもいい。それが嫌ならトム・グレゴリーあたりを紹介してやれ。貨物船の地下で密航するよりいいだろう」
「はい。ラムジの件はそのように進めます」

 新堂は頷いて、後部座席に背中を埋めた。何もせず目を閉じて、帰路の道のりは時間を浪費する。こんな風に、考える事をやめるのもいい。早足を止めて、愛する人の背中を見ていたい。その背中が落ち込んだ時はすぐ手を差し出せるように、ずっとそばに。
 
「はぁ…」

 早く想を抱きしめたい。新堂はその言葉は飲み込んだが、深いため息を耐える事はしなかった。


 




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