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 山奥の崩れそうな山小屋の入り口付近で、顔色の悪いガリガリに痩せた若者は膝をついたまま呆然と身体をを震わせた。

「う、うゔ…お゙ぇええ!!」

 視界に広がる小屋の悲惨な様子を眼前に嘔吐する。若者がまだ、目隠しされていたときに聞こえていた呻き声の持ち主は、今や肉塊だ。
 小屋は血まみれで、立花全が幾つかの部位に分かれて部屋の中央に山になっていた。
 がくがくと身体を震わせ、涙をこぼしながら呟き続けいる。

「ご、ごめんなさい……やりました……ごめんなさぃいい!あ、あ、俺がやりました……やりました……く、く、くすりが、ほしくて……!たちばな、ぜんを……!やりました!」
「はい、これが凶器。しっかり持て。あの塊は立花全。はい、約束の薬(モノ)です。古谷哲郎くん」

 涙していた男は希綿により小屋の外に置かれた覚醒剤に飛びついた。もう、それのことしか考えられない哀れな生き物に、希綿が侮蔑の視線を向ける。
 ヤクザの下っ端で、女が逃げないように薬漬けにする側だったはずが今では間抜けにも男が堕ちている。涎撒き散らしながら震え、涙と鼻水も垂れ流しだ。口元の笑みが、気持ち悪い。

「自業自得ですよ」

 男は小屋の前にうずくまる。手には斧を持っていたが、持たされたジッポを見つめる。

「投げろ」

 希綿の低い声に、男は震えてそれを投げた。小屋にまかれた多量のガソリンに引火し、あっという間に燃え上がった。
 全焼も数分で完了するだろう。
 中毒で頭も空の男は燃え盛る小屋を身動き一つせず見つめた。ごうごうと燃える小屋の熱さに微かに目を細めていた。
 希綿は足跡を誤魔化すように山道を歩き、道路に出た。少し離れた場所に見える二人の姿に希綿は手を振った。
 若林が軽く手を挙げ、想は頭を下げる。

「はー……山火事が殺人事件とは、警察も驚きくだろうな」
「うん」

 若林が真剣な顔で言い、想は短く答えた。
 若林は実の父親とはいえ、心から憎んでいた立花全を始末出来たことにすっきりしていた。
 だが、手を下したいと言う想の押しに負けて、やらせたことを後悔していた。想に弱い自分が情けないと、若林は深い溜め息を長く吐いた。

「俺、子どもを持った事ねぇから分かんねぇけど……絶対姉貴と義兄貴には殺される自信ある」

 ぽつりと、真剣な表情で遠くへ視線を向けたまま若林は続けた。
 立花全に生きたまま斧を振り下ろす想の姿が甦る。

「きっと、『普通の人』は大好きな人が誰かを殺すなんて許さない。それを止めてこそ、本当の愛だとか……正義だって……言うんだろうな。大好きな人のためにこそ、『そんなことしちゃいけない』って、言う。ドラマみたいにさ」

 若林はきつく拳を握り、肩を震わせた。
 隣で見ていた想は何も言えず、ただ、泣くのを耐えるような若林の歪んだ顔を見つめた。こんな顔、させたくないのに……と、鼻の奥が痛んだ。

「そう考えたら、俺はやっぱ立花全の息子で、汚ねぇヤクザなんだろうな……」
「…………俺も、同じ気持ちだよ。……普通って、なに?止めて欲しくなんてない。くだらない偽善なんていらないよ。それが正しいとしても、 乗り越え方は人それぞれじゃん。……そばにいて、同じ方を見てくれてたら、それでいいのに」

 若林は、泣くのを隠すように想を抱き寄せた。いつの間にか、すっかり強くなってしまった。いい意味でも、悪い意味でも。
 腕に包み、ぎゅっと力を込める。

「……俺たち、家族を殺された……母さんだって許してくれる……父さんは、すごく怒ると思うけど」
「ああ。想像できる」

 想はゆっくりと言いながら若林の背中を撫でた。いつも強くて怖いもの知らずの優しく、大きな背中が震えている。
 若林は母、姉、義兄、姪に心の中で謝った。そしてこれからも想の隣にいて、同じ方を見る事を誓う。それが違ったら、そっと方向を変えられるようになりたい。出来れば、明るい方を。

「けんちゃん。もう、立花全に奪われる事、ないよ」

 若林が頷くのを感じて、想はバシッ!とその背中を叩いた。

「いつまで泣いてんの?背中丸めてさ、おじいちゃんみたいだよ。疲れてるの?」
「ひどい!」

 想の叱咤に、若林はめそめそしたまま顔を上げた。
 その様子に近くまで来た希綿が笑った。

「おつかれさまでした。想くん、キミはすごいね」

 あんな脂肪の塊でも上手く切断できるなんて……と言う褒め言葉は呑み込み、顔をシワを深めて笑顔で手を振った。
 希綿が部下へ連絡を入れると、一分と待たずに迎えがやってくる。

「準備が出来てますよー!幹部連中も、歓迎してますし!あ、若林さんこんにちは!お世話になってます」

 運転席から頭を下げた若者に若林が視線で挨拶を返す。
 ヤクザ絡みに興味のない想は山の方を眺めていたが、若者の視線があまりにも不躾でそちらに視線を向けた。

「なに?」
「あ、ごめんなさいー!随分なイケメンがこんな所にいるなんて……って色々想像しちゃって」
「想、彼は大崎七登(おおさきななと)。希綿さんの何でも屋だ」
「そう……有沢想か。名前は聞いてるっす。よろしく」

 想は相手が自分を知っていることにあまり良い顔はせず、ぺこっと頭を下げるとすぐに背中を向けてしまった。どうせ新堂の愛人だとか、岡崎組の始末屋だとか、嫌な肩書きで自分を見るんだろうな……と。
 大崎は初めにじろじろと見てしまった事に、失敗した……と眉尻を下げた。
 後部座席に乗り込んだ希綿が、そんなやりとりに笑った。
 少し遅れて塩田が想と若林を迎えにやってきた。
 塩田は希綿に頭を下げると、すぐに想と若林を乗せて去って行った。

「ふぅ、ひと段落かな。これから、大仕事か。あんまり畏まって儀式みてぇなあれはちょっとね……伝統だからしかたないか」
「袴も用意してありますんで、ささっと終わらせましょう!」

 ハンドルを握って意気揚々と声を弾ませる大崎。
 
「大崎。想くんと仲良くして欲しいなぁ」
「任せてください。最初失敗しちゃったけど、ちゃんとうまくやりますよ」

 希綿は新堂と約束していた。『俺が半放棄状態になると、彼に手が伸びます。有沢想を守ってくださいね』と。
 しかし、あの青年、有沢想は希綿の手など借りずとも平気な様に思えた。
 先程、立花全に淡々と斧を振り下ろした様は常軌を逸していた。なにより、祖父とは言っても、あの立花全にヤクザ連中の真ん中で刃向かう姿は忘れるのに日が掛かりそうだと、希綿は微かに笑ってゆったりと背中をシートに預けた。
 手袋を外して裏返しに丸め、スーツの内ポケットに押し込む。

「……想くんか。部下にしたいなぁ。……うーん、新堂くんに殺されるかも」
「え?なんですって?」

 希綿の小さな呟きに大崎が運転しながら聞き返した。希綿は緩く首を振る。

「なんでもないよ。ささ、早く儀式を終わらせてふんぞり返らねば」

 青樹組という巨大な組織を任される以上、鬼の顔をした鬼でなくては。しかし、常に補佐と言う立場で影から支えていた希綿は中身の鬼畜さはあっても、鬼の顔というよりは仏の顔だった。穏やかで落ち着いている。試しに足を組んでふんぞり返ってみた。

「ぶはっ!あ……すんません!……いやぁ、希綿さんのそういうところ好きっすよー」

 そう?と苦笑いした希綿はいつものようにきちんと座って細い黒フレームのメガネを外すと、ハンカチでレンズの端に飛んでいた赤い跡を拭き取った。









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