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 深夜の静まり返った部屋で白い短い毛並みの耳が、敏感に音を、気配を察知してぴくぴくと動き、伏せていた身体を起こすと玄関へ向かった。開錠の音に尻尾を振り回し、お座りしているため尻尾がフローリングの廊下を叩いた。

「ただいま」

 想は小さな声でそう言い、撫でて欲しい視線に謝ってバスルームへ直行した。もち太は想の後ろを追い、耳を垂れて廊下で待った。
 頭から熱いシャワーを被り、想は目を閉じる。流れ続けるシャワーの音が鼓膜に残るほど大きく感じる。復讐したいと思ったが、してみて分かったことは一つ。たいして満足感もなければ、後悔もなく、ただの作業だった。それでもどこかすっきりしている自分自身を最低だと思って想は笑った。

「俺はアイツと変わらないな…」

 立花全は古谷哲郎という薬物中毒者によって殺されたことになる。自分の罪を他人に被せたのは初めてだった。今までは人知れず処分されてきた帰らぬ人々だが、立花全はさすがに大物だ。行方不明では済まされない。

「…もち太、お腹空いてるはず」

 想はシャワーを止めて適当に水気を取り、シャツと下着でキッチンへ向かった。足元のもち太を撫でながら。

「遅くなってごめん」

 もち太のお皿に食事を出し、隣に水を置く。待て、と指示し、しっかり背筋を伸ばすもち太に微笑む。許可を出せば、あっという間に餌皿は空になった。

「…食いしん坊…」

 新堂かいつももち太に言っていた。本当にそうだと思いながら、もち太が食べ終わるのを見届けて、皿を片付け少し構う。もっともっとと言うもち太を抱き締めて背中を撫でた。 

「明日、朝散歩行こう。これからそう言う感じになるから、習慣付けような」

 店の営業時間は午後6時から午前2時を予定している。想はおやすみの気持ちを込めて耳元をごしごし撫でて、手を洗い寝室へ入った。扉は開けたまま、大きすぎない新堂らしいベッドに倒れるように転がった。質のいいマットレスとベッドは軋む音もしない。静かに目を閉じると、髪を撫でられる感覚が蘇る。何度もここで抱き合った。

「………無理だ」 

 想は静かにベッドから降りて夏用の薄い掛け物を引きずり、クローゼットの扉を引いた。想はクローゼットの下部に掛け物を押し込むと、そこに丸まった。内側から扉を閉めると、真っ暗にる。想は眠れそうになく、じっと暗闇を見つめた。目覚まし代わりの携帯を隅に放ったとき、クローゼットの端に何かを見つけて手に取った。 

「…?」

 想はごく、と喉を鳴らした。飾らない、小さな紙袋の中身を携帯のライトを頼りに確認する。光沢の無い3ミリ幅程の銀の指輪が2つ。それ以外は無く、あまりこういったものにも触れてこなかった想は、なぜ2つ?と首を傾げた。クローゼットに入る癖を知っている新堂が置いたとしても納得できたが、指輪の意味はいまいち分かりかねた。母も父も指輪をしていない環境だった。もしかして、金に困ったら売れと言う事か。そんな高価には見えないが、素人には分からない何かがあるのか。想は考えても持ち主であろう新堂しか分からない事だと諦め、右手の中指と薬指に嵌めた。ぴったりそれを想は少し感動しながら眺めた。時々消える液晶を点けて、しばらくそうする。隣の指にそれぞれ嵌まる指輪が、自分と新堂だったらと思って、大きく溜息をした。 

「はぁ…」

 待ってるから早く帰ってきてよ。
 想は膝に顔を埋めて心の中で呟いた。
 この寂しさと心細さは耐え難く、想はスウェットを着ると寝ているもち太の脇を静かに抜けて外に出た。もち太は起きて、主人の出て行った扉をしばらく見つめた。そして立ち上がり、玄関に行くとそこに伏せて目を閉じた。
 想はひたすら蒸し暑い夜中の道をそれなりの速さで走った。障害物を飛び越え、止まらずに。一時間近く走ると少しずつ空が白くなってきて足を止めた。夏の日の出は早い。想は、くるりと踵を返して来た道を戻る。朝の散歩に丁度いい時間になりそうだった。



[2]へ 続く。



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