51
もう嫌だと言う程、薬でイかされ、弄ばれ続けた後とは全く持って違う疲労感に、ソイルは顔が緩むのを止められない。ソイルの身体を拭いているギロアが眉を顰めた。
「何にやにやしてんだ」
「気持ち良かったー」
恥ずかし気も無く、語尾にハートでも付きそうなソイルの言い方にギロアは呆れた様に肩を落とした。
「あんたも、気持ち良かった?」
「お前がいやらし過ぎてどうにかなりそうだった」
真顔での答えにソイルは吹き出した。一気に顔が赤くなるのを自覚してソイルは唇を尖らせる。
「誰のせいだよっ」
知るか、と言って笑うギロアの姿にソイルはきゅんとなり、見入った。シャツを拾ったギロアを慌てて止める。
「あーっ! ダメダメ! 裸でくっついて寝たい!」
「あ"ぁ?」
「はーやーくー、さ〜む〜い〜」
ソイルの駄々にギロアはやる気の無い薄目で耳を塞ぐ仕草をしてみせた。ソイルが眉を吊り上げて枕をギロアへ投げ付る。その枕をキャッチしてギロアはやれやれと小さくため息を吐いた。
「俺は寝相悪いぞ。潰しても知らん」
「いいよ、早くきて」
結局はソイルの言うことを聞き、ギロアがベッドへ乗り上げる。ソイルは彼の上に乗っかると寝そべった。
「これなら潰されねぇ」
「アホか。寝れないだろうが」
満足気なソイルをころりと横へ転がし、ギロアは腕の中に抱き込むとがっちりホールドした。
「勝手に出て行くなよ」
「へ?」
「お前はすぐふらふらどっかに行っちまいそうで気が気じゃない」
呆れた様な、拗ねた様な言い方にソイルは反応に迷った。手放したくないと言っているのか。それとも危なっかしくて心配しているのか。
「それは俺も同じじゃん。あんたはお人好し過ぎて頼られたら身体張っちゃうだろ」
「…引退だ。もうただの警備員だろ」
「銀行強盗が気の毒」
おかしそうにソイルが笑うと、その背後でギロアが微かに笑った。
「ありがとう」
突然お礼を言われて、ソイルはキツイ腕の中で回った。なんとかギロアに向き合い、何のお礼?と瞬きを数回。ギロアは目を閉じてソイルの額に唇を寄せた。
「ひたすら、ってのを終わらせるきっかけがお前…ソイルを助けられたことだ。ソイルの力になれたら、終わりにしようと思えた」
「ひたすら?」
「…償い。何年か前、親友が危険な潜入捜査に協力してくれた。そいつは死んじゃいねえが、子供の臓器売買に深く関わらせちまった……。それなのに、FBIはその組織を潰し損ねた」
ギロアは汚く最低な連中の中で、怒りと涙を隠して子どもを切り刻む親友の冷めた目を思い出して胸が痛んだ。
恐らく、金とツテが多い彼が本気を出せばその組織は潰せただろう。だが、FBIは手柄欲しさに『協力』だけさせた。
大切な恋人と離れ離れの3年。ただでさえ辛いのに、地獄のような日々を過ごさせた。
「仕事はなんでもやるし、特に子供の誘拐関係は何が何でもって思って身を投じたからな。同じように怖い思いをして、耐えて来たソイルは正直すげぇ根性あると思った。そんなお前をトバルコからもアロンゾ・デズリィからも切り離せたら、少し…許されたかと」
額に触れか触れないかの距離の唇から、思い掛けない本音を聞いた。ソイルはギロアの頭へ手を伸ばし、よしよしと短い髪を撫でた。
「あんたの親友はすごいな。ケイナンの事、信用してるから援助してくれたんだろ。クラークが資産とか調べたら、ただの男じゃない!って青ざめるくらいにお金持ってたもん」
ソイルは暗くならないように、くすくすと笑って、胸に顔を埋めた。
安心感と、幸せに目を細める。
「あんたは満足したかもだけど、俺はまだまだ足りないから。もっともっと、あんたに力を貸してもらわないと。恋人って、一人じゃできないだろ」
「お前な…俺はお前と違って若くないんだぞ。やすやすと手放せなくなる」
はぁ、と疲れたようなため息を聞いてソイルは得意気に笑った。
「手放さなきゃいいじゃん。必死になってくれたらいいのになぁ」
俺のが必死じゃんか。と笑うソイルはどこか楽し気で、ギロアの腕を弛めて肩へ頭を乗せた。自然にギロアは腕を回して身体を寄せた。
「お互い、なんかすっきりした訳だし。まだまだ人生これからだもん。楽しませてくれるよな?」
ほどほどにな。と優しく囁くギロアに身体を寄せ、ソイルは嬉しそうに目を閉じた。
寂れた貧困層の多く住む地区へギロアの運転でやって来たソイルは、車から降りてスーツを正した。その姿を後ろから見守るギロアを振り返り、ソイルは大きく深呼吸して一軒の家をノックした。
「はい。どなた」
「こんにちは! ソイル・ニヴァンスと言います。リーセルの友人で、彼から預かっているものを届けに来ました」
ドア越しだった女性が慌てて扉を開けた。迫る勢いで飛びつかれ、ソイルは肩を揺さぶられる。
玄関の奥からは元気な子供の声が忙しなく聞こえてきた。リーセルは家族がバラバラだと言っていたが、そんなことないよ、と心の中でソイルはホッとする。
「リーセルは今どこなの?!」
「…お母様?」
そうよ、息子はどこ?と尋ねる母親にソイルは何度も頭の中で整理した言葉を冷静に伝える。
「それが、突然僕の前からもいなくなってしまって…その数日前に荷物を預かりました」
ソイルはボストンバッグに詰まった札束を玄関に置いた。あまりの重さに、ふぅ、と息が漏れる。それからスーツの内ポケットから封筒を取り出した。
「ここは治安があまり良く無いですよね。新しく、弟さんや妹さんたちの学校に近い場所に家を買っていました」
これが書類で、家具家電も設置済みだと伝える。母親は震える手で封筒を握ったままそれを見つめていた。
ソイルは今にも泣き出しそうな母親を見つめ、嬉しくなかったのだろうかと不安になった。
「…り、リーセルは…元気なのかしら…?私も父親も殆ど働きに出て居て…気付けば居なくて…」
こんな大金、危ないことしていに違いない。と母親は震える声で呟いた。母の勘はスゴイと思いながら、ソイルはその震える身体を見ては真実を言えなくなる。息が詰まりそうになりながら、僅かに笑みを作るのが精一杯だった。
← →
text top