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ソイルがクラークと別れて家に帰ると、丁度向かいのドアからシュカナーが現れる。どこかいつも甘い焼き菓子の香りのする老人だが、お洒落をして週末は決まって夜に出掛ける。
「あ…こんばんは…」
「あら、ボク。今日はキチンとしてるのね。素敵だわ」
言われて、ソイルはスーツを来ていることを思い出す。いつもはジーンズにシャツ、パーカーやジャケットと大概決まっていた。身なりを褒められ、どうも、と照れながら返すと小さな四角いバスケットを差し出される。
「ドーナツよ。ケイナンは遅いのかしら。ボクに会えて良かったわ」
「あ、ありがとう。いつも…」
「いいのよ。どうせ独りだから食べてもらえて嬉しいの」
ふふ、と笑い手を振るシュカナーにソイルは慌てて声を掛けた。
「あ!下まで一緒に行く?」
シュカナーは振り返り、シワの中に埋れそうな目をパチクリさせてから少しして微笑んだ。古いこの建物にエレベーターは無く、階段のみ。いつもギロアはシュカナーを見かければこうして声を掛けていた。ソイルもそんな姿を尊敬し始めていた。
「ケイナンみたい。優しいのね」
甘えちゃおうかしら、とシュカナーが手を差し出した。ソイルは笑みを返してその手を取り、小さなバッグを持ってやる。
「シュカナーさんはいつも夜にどこに行くの?危ないよ」
「映画を見に行くのよ。もう50年くらいの習慣なの」
「ひとりで?」
「主人が死んでからはひとりね」
そうなんだ、とソイルがしゅんとしたことにシュカナーは笑う。
「毎週見に行ってたの。結婚する前からよ。映画好きな人でねえ…若い頃は貴方に似てた」
「え?!俺?!」
「可愛くてね、頑張り屋さんなのよ。だけど、頑張りすぎちゃって…」
愛しいおバカさん、と呆れた様子を見せるシュカナーにソイルは眉を寄せた。それに気が付いたシュカナーは階段の最後の一段を降りてソイルからバッグを受け取りながら目を細めた。
「さみしくないわ。こうして映画を見に行くのも、彼を感じたいからよ。目を閉じるとしいつもそばに居る気がする。だから笑ってたいわ」
ひらひらと手を振り、呼んであったタクシーに乗り込むシュカナーを見送り、ソイルはふっと目を閉じた。シュカナーの笑顔は本当に寂しさなど感じさせない爽やかなものだ。ソイルはシュカナーを少し羨ましいと感じながら、ギロアを思い浮かべた。しかし、すぐに目を開く。
「死んでねえし」
苦笑いを漏らして階段へ戻ろうと踵を返した時、ソイルをギロアが呼んだ。
「お前、何してる」
「あ!お帰り」
「なんでスーツなんぞ着てるんだ」
「クラークとデートだよ」
あぁ帽子の、と頷いたギロアには嫉妬の色など全く無い。ソイルは少しガッカリして階段へ進むギロアを追った。近くの銀行で警備の仕事を始めたギロアは似合わない制服の上にジャンパーを羽織っており、脇に挟んでいた帽子をソイルの頭へ乗せた。
「デートって聞いたら少しは変な顔したら?」
「どうしてだ」
「浮気してもいいのかよ」
「浮気してるのか」
「してねえよ!いや、そうじゃなくて…もし!も、し、の話」
「してないなら問題無いだろ」
しれっと言い捨て、ずんずん階段を上がるギロアの背をソイルは睨み付けながら後に続いた。
部屋に着き、着替えをしているギロアは相変わらずで、ソイルは小さくため息を吐きながら夕食を作った。
あまり会話は無いが、美味しいと言ってギロアはすぐに平らげ、後片付けをしながらビールを開けた。ソイルはギロアの隣に立ち、ビールを飲みながらジロジロと視線を向けた。いい加減面倒になったギロアが眉を顰める。洗い物を終えて水に濡れている指をソイルへ向けて弾いた。
「なんだ。うっとおしいぞ」
「つめたっ!」
前髪と顔を濡らし、立ち尽くすソイルを置いてギロアは手を拭くとさっさとソファへ移った。ソイルはギリっと歯を食いしばり、前髪を掻き上げた。
ソファに深く座り、新聞を広げてビール瓶を傾けるギロアの前に来ると、無理矢理その手から新聞を奪い取り、投げ捨てた。ギロアの足元に跪き、ジッパーを下げながら顔を下腹部へ押し付け、ソイルは自分のパンツの前を寛げる。
「…ソイル」
「したい」
「だからあんな顔で見てたのか」
「ちが…もう、なんでもいいよ」
どうせ分かってくれないし、多分伝えきれない。ソイルはぐっと込み上げるものを押し込めた。同じだけ気持ちを向け合えるなんて思わない。けれどソイルは自分の気持ちをぶつけずには居られなかった。昼間見たクラークと女のように気持ちの無い関係とは違うと感じたい。
「俺、上手いよ」
だって調教されたし、男相手しかしたこと無いし、と心の中で自嘲した。ソイルはペロリと唇を舐め、口端を上げてギロアを見上げる。
「気持ち良くなって」
ソイルは下着からギロアのペニスを取り出し唇を寄せた。軽く手で揉むようにしながら玉を舌でねっとりと舐める。僅かに肩を震わせたギロアが、慌ててソイルの頭をやんわりと離した。
「ここじゃ狭いだろ」
「どこでもいいじゃん」
ソイルは答えながらもギロアの手を振り払い、立ち上がり始めたペニスへ舌を這わせ先端を舐めまわした後、はむっと咥えてくるくると舌を絡めた。
ソイルの頭上でギロアの大きな溜め息が聞こえる。恐る恐る顔を上げたソイルの頬をギロアの熱い手が撫でた。
「ベッドに行くか」
「ここでいい」
「触りにくいだろうが」
何を、と言う前にソイルの唇を塞いで、ギロアは跪く身体を抱き上げた。
「しゃぶる技術に自信はねえけど」
ギロアは横抱きにしたソイルの肩をに唇を寄せた。自分に触りたいと言っているギロアに身体も心も一気に熱くなり、ぐるぐると考えていた事が馬鹿に思える。ソイルは短く立つギロアの髪を撫で、甘えるように抱きしめた。
「大好き」
「…恥ずかしいこと言うな」
そう言うギロアの声は嫌がっているものではなく、どこか優しさを含む色だった。
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