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 トバルコは偉そうな雰囲気は無く、ただの白いTシャツと黒い細身のパンツスタイルで、ほんのりと黒い肌に黒い髪は後頭部まで編み込まれ後ろは肩に着くほどのドレッドになっていた。ソイルと出会った頃よりは老けたが、変わらず長い手足と細身の鍛えられた身体が伺える。とてもロシア人とは思えない風貌のトバルコは笑みもなくソイルを手招きした。

「火を付けるぞ。早く来い。手を煩わせるな」
「…な、なんで…」

 トバルコはチラリとソイルを見ただけで、あまり興味が無いのか小さなため息の後もう一度呼んだ。有無を言わせぬ威圧感に、震える足を叱咤してソイルは壁を使って立ち上がり、リーセルの亡骸を見て目を伏せた。振り払うようにトバルコの方へ歩む。トバルコは怪我をしているソイルを面倒くさそうに一瞥してから無線で部下と思しき人間を呼びつけた。

「ブツが動けん。早く運べ」

 トバルコはそれだけ言うとソイルに背を向けてさっさと先へ行ってしまう。ソイルは状況が飲み込めず、ただ呆然とトバルコの後ろ姿を見つめた。
 今に振り返って銃を撃つかも。そう考えてしまうソイルは動くことが出来なかった。
 完全にトバルコの姿が廊下から消え、代わりに見たことのあるファミリーの黒人がドカドカとソイルの元にも駆けて来た。身構えるソイルを見て鼻で笑った男はソイルを肩に担ぐと来た道を急ぎ足で戻る。

「元気そうじゃねえの」
「あの、どういう…?」
「は、知る必要はねえよ。ボスの気紛れさ。どうせあと28時間でお前は殺される」
「28時間…?」
「精々満喫することだな」

 話が分からないソイルが問い詰めようとしたが、階段を降り始めてハッと身を固くした。既に火が放たれ、広い広間の絨毯が燃えている。そこにはアロンゾと手下が血を流して倒れていた。

「ま、待って!二階に子どもが!」

 ソイルが肩で暴れると、男はバシッとソイルの尻を叩いてそれを制した。

「馬鹿か?ボスにとっちゃどうでもいい事なんだ。俺にとっても。今必要なのはお前さんだけ」

 そんな…、と言葉を失くしたソイルが振り返る。燃え広がる炎の熱を感じながらソイルは居た堪れずに瞼をきつく閉じた。じわじわと涙が滲む。
 あの子たちは自分だ。何も出来ず、何も変えられない。己はぐちゃぐちゃに変えられてしまっているのに。自分が何者かも分からない、生死も支配者の手の中。ただ、自分とは違いあの子供たちは自分が何なのか知ろうとする意思さえ芽生えること無く狭い部屋に閉じ籠っている。

「…真実を知った方が…悲しいかもな…」

 抗うのは疲れた、と言うソイルの独白に男は一度目を伏せてソイルの身体を担ぎ直した。

「そりゃ弱い人間の逃げの言葉だ」

 ソイルは微かに鼻で笑うだけで静かに肩の上から炎に包まれる広間を見つめた。




 連れ出されたソイルは大型のSUVに乗せられ、大きなホテルへと入った。スイートへ押し込まれ、トバルコも部下の男も出て行く。部屋にひとり残されたが、ソイルは逃げようなどと考えることはなかった。

「…腹減ったな」

 ソイルはルームサービスから遠慮もなく高級ワインと軽食を選んだ。リーセルの血液で汚れた手を洗うためにレストルームへ入り、ついでに生乾きだった髪を乾かす。鏡に映る自分の姿はいつの間にかソイル・ニヴァンス以前のソイル・フロストのものだった。ストレートにしたはずの髪は緩くウェーブして跳ね、青い瞳がガラス玉のようにふたつ並ぶ。
 結局は戻ってきたのか、と他人事のように思いながらソイルは鏡から視線を逸らして無駄に広い部屋をゆっくりと歩いて回った。一流の装飾に飾られている。豪華な額に入った名画も。それに近づいてよくよく見たソイルは微かに笑った。

「ホンモノな訳無いか…レプリカだよな」

 自分のレプリカもあればいいのに、と空想しながらバカに大きいソファに身体を沈めた。ルームサービスを待っていたはずのソイルだが、緊張の糸は晒され続けたストレスと不安からブチんと切れた。
 部屋に戻ってきたトバルコの部下はソファにソイルの姿を見つけて呆れた視線を向けた。

「図太い奴…」

 開き直った様な行動に関心しながら、男はイビキでもかきそうなほど爆睡しているソイルを見張るために向かいのソファに座った。一息ついた彼だが、すぐにやってきたルームサービスに大きくため息を零した。

「かーっ!どんだけ図太いんだ!」

 そこら辺に置いておけ!と指示を飛ばしてソイルが眠るソファを蹴飛ばした。

「もっと危機感のある行動が取れねぇのか!」

 それでも眠たそうに欠伸するソイルに怒りを露わにする男の背後に声が掛かる。

「うるさいぞ」

 ボスのひと声に男は黙り、ソファに落ち着く。ソイルはもうトバルコに恐怖心など無くなっていた。状況を把握すればする程、もう流れに逆らうのは止めようと決めた。無理矢理起こされ、ソイルは仕方なくルームサービスのワインを開ける。コルクの香り、ワインを開けた瞬間の香りを楽しみ、デカンタを手に取りソムリエと同じく器用に移し替える様を見たトバルコが関心を示した。

「へぇ、驚いた。一杯くれ」

 ソイルは退屈そうに欠伸を繰り返したトバルコに突然要求され、少し驚きながらもグラスをそっと差し出した。

「あの…俺、どうなるんでしょうか。どうして…」
「すぐに殺されないか?なぜアロンゾを殺したか?」

 トバルコはどこか楽しそうにソイルの言葉を予測しながらグラスを傾けた。

「お前に興味などないし、死のうが生きようが俺はどうでもいい。なぜウチのクスリから抜け出せたかはもう調べが付いているしな」

 ならば、尚更始末されない自分にソイルは戸惑いの視線をトバルコへ向けた。だが、トバルコは視線を交わしながらもアロンゾの話へ変えた。

「あいつは胸糞悪いオヤジだったからな。お前を返せと言ったらガキを見繕えと来た。だから撃ち殺した。部下もまとめて消すのが一番だからな」

 余所に散らばるアロンゾの仲間たちも殺されるのは時間の問題だろうと考えて背筋がゾクっと震えた。情けも容赦もないトバルコの説明にソイルは反論もせず、ただただゆっくりと何度も頷いてトバルコの空のグラスへワインを注ぐ。

「どうして、俺を…?あいつの元に飼われていても死んだも同然なのに」

 トバルコは全く予想もしていなかったとでも言いたげなソイルに微かに口端を上げ、頭の先から足の先まで順に視線を滑らせてから鼻で笑った。 

「随分いい男をたらしこんだもんだな。お前はそんなにいい身体か?」

 言葉とは逆にトバルコからの視線には全く興味など感じ取れずソイルは言葉の意図を理解しきれずに僅かに首を傾げた。

 




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