32



 膝を抱え、行き詰まった己の状況をぼんやりと考えていたソイルの元にリーセルがやって来た。手には足を繋ぐ手錠の鍵と大きめの布。

「ボスがシャワーを浴びさせろって」
「……」

 トバルコに売られたか、と頷いて足を伸ばし、ソイルはリーセルが鍵を外しやすいようにしてやる。リーセルは擦り切れて出血し、腫れ上がる足首を見て眉を寄せた。手首と首のベルトも外され、歩きにくそうなソイルの腕を肩に回してリーセルが立ち上がる。ソイルは久しぶりに立ち上がり、よろめく足元を叱咤しながらリーセルに掴まった。

「ゆっくりでいいからな。10メートルくらいだから。ひとりで入れるか?」

 ソイルは頷き、足を踏ん張ってよたよたとリーセルを頼りながら静かな廊下を進んだ。

「…一応、中で見てるぞ」
「心配ない」
「何かあっちゃ困るっつーの」
「あっそ」

 ソイルは絡まっている程度で裂けたり破けたりしていたゾウのパジャマを脱ぎ捨て、シャワーを頭から被った。毎日、1日の終わりにはシャワーを浴びさせられていたソイルだが、自分の手で自由に浴びるのは監禁されてから初めてだった。1日の終わりには屈辱的にアナルを洗浄され、世話当番が最悪の場合はそのまま犯されたこともあった。それを思い出して、現在の状況も忘れてソイルは笑みを浮かべた。

「これでシャンプーが安物じゃなかったら最高」

 ソイルの呟きはシャワーの音で消されたが、リーセルは笑顔のソイルを少し不気味に感じた。自分の置かれた状況が分かってないのか?と同情の視線を向ける。自ら命を絶ってしまうのではと心配していたリーセルは拍子抜けしながらソイルを眺めた。

「死にたくならねえの?」

 リーセルの問いかけにソイルは頷いた。幼い頃からソイルの選択肢に、自らの手で選ぶ死は無い。直ぐに売られ、好事家に買われた姉はあっという間に死んでしまったと聞いた。幼い頃は、姉の分も生きていつか両親の元へと誓い、一度はアロンゾから逃げ出せた。トバルコの協力で両親の死を知った時も、家族は自分が生きていればそれを喜んでくれると信じて生きてきた。恐らくこれから、トバルコの部下に情報を漏らしていないか尋問され、真実を言おうが黙って言おうが始末される。そんな今でさえも死は選べなかった。

「…何度も助けてくれたおっさんが、諦めるなって言ってた」

 ソイルは言いながら自嘲する。諦めるな?抗えない事もあるだろ、と。

「お前さ…なんでそんなに強えの?」

 リーセルはソイルを見つめた。驚愕の中に僅かな悔しさのようなものを感じてソイルは視線をそらした。別に何も強くない、とぶっきらぼうに答えた。

「別に何にも…ねぇ…。俺も、頑張らねえと」

 素っ気ないソイルの言葉にリーセルが笑い、雰囲気が微かに柔らかくなる。ソイルはリーセルも金、金と言いながら家族のためにやりたくもない仕事をしているという話を思い返した。 
 シャワーを止め、リーセルから受け取ったタオルで体を拭きながらソイルはリーセルの上着からペンを抜き取り彼の手に数字を書き始めた。その様子を見つめるリーセルの視線にソイルは顔を上げて笑って見せる。

「こんな仕事やめろって。金はやる。…だから今すぐここを出て、例のお願い聞いてくれ」
「…伝言か?」

 ソイルはすぐに頷いた。

「墓には花よりワインを、って」
「…おい、今さっき諦めないっつったろ…」
「諦めない。けど、今回ばかりは逃げられるか分からないからな。…さよならって…なんかすげえダサいから。冗談ぽく伝えてくれたら完璧だ」

 あくまで軽い言い方で告げながら、ソイルは用意されていた新しいシャツと安物のデニムを身に付けた。リーセルは何か言いたげだったが、ソイルが先立って部屋に戻るため慌てて後ろを追った。

「…逃がしてやる」

 壁伝いに歩くソイルの足が止まった。リーセルは大物マフィアの来客で慌てている今なら出来るかもしれないと、生唾を飲み込んだ。言葉にしてから、何故そんな事を言ってしまったのかと困惑に眉を寄せた。いつの間にか先を歩いていたはずのソイルがリーセルを見ていて、微かに口端を上げている。

「やっぱお前さ、こういう仕事には向いてないんじゃない?」
「は?!」
「だーかーらぁ、同情や良心があるなら、早めにこんな仕事っ」

 こんな仕事辞めろ、そう言おうとしたが、突然の騒音にソイルもリーセルも黙った。銃声だ。お互い見つめ合ったまま様々な推測が脳内を駆け巡る。一瞬は止まった騒音が連続して鳴り響き始めた。

「う、撃ち合い?!」
「なんで?!」

 リーセルはソイルに肩を貸すと、取り敢えず部屋に逃げ込もうと足を動かした。しかし、部屋に戻る途中ひとつのドアが開き子供が顔を覗かせた。ハッと息を飲んだソイルとは逆にリーセルは怒鳴った。

「部屋から出るな!隠れてろ!」

 子供はビクッと驚いてから言われるままに部屋に戻ってドアを閉めた。

「あ、あの子たち大丈夫なのか?!」
「人の心配してる場合か!取り敢えず部屋へ。様子を見てくるから!」

 進もうとするリーセルとは逆に振り返るソイルを強引に引き摺り、元居た部屋へ向かう。後ろ髪を引かれる様子のソイルだが、仕方なく彼に従って向きを変えようとリーセルの肩に頼ろうとしたが、何故か彼は崩れ落ちるように座ってしまった。

「おい?!」
「に…げ…」

 ソイルが傍らに座り肩を揺するが、リーセルは動かない。頼りなくソイルを見つめる視線が逃げろと告げるが、リーセルの腹部から出血を確認して慌てて押さえた。

「しっかりしろ!なんで?!」

 突然の出来事に狼狽するソイルの傍らでリーセルの瞳から光が消えた。ソイルがしつこくリーセルの肩を揺すっていると、少し遠くから名前を呼ぶ声がする。ソイルが動揺を消しきれないまま声の方へ向くと、トバルコが消音器の付いた銃を胸元でゆらゆらと揺らして見せていた。







text top

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -