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 新人の訓練を終えてオフィスのデスクに戻ったギロアは大きなため息を吐き出した。軍人でもない自分が何故軍事訓練さながらの教育をせねばならぬのかと。この組織での仕事はもっと安全な部分も多い。敢えて危険に身を投じる若者を増やしたくはないのだが、と目頭を押さえた。それでも相手にする組織や人間が犯罪者である以上、100%の安全はない。ギロアはデスクの周りに積んであるダンボールからブランケットを取り出して腹へ乗せると、足を伸ばしてデスクへ置いた。

「新しい家を探さねぇと…休むに休めないな」

 ソイルはあのスーツを着こなした色男と上手く逃げられただろうかと思案し、目閉じる。
 助けを必要とするもの全てを救える訳は無い。それでも、せめて手の届くものは何としてでも助けたい。それがギロアの動力源のようなものだった。両親はアンバランスで、母親は仕事が出来て社会的にも認められていたが、父親は職を無くして薬に溺れていた。母親は父親を捨ててまだ幼かったギロアを連れて家を出たが、追い詰められた父親はある夜、ギロアたちの新居に侵入すると母親を刺していた。ジャンキーさながら、支離滅裂な事を叫びながらも標的を妻とする男の姿に子供だったギロアは恐怖した。自分に飛びかかる父親の手にあるナイフは、母親の血に濡れている。鮮明に記憶に焼き付く赤色。そしてショットガンで吹き飛ぶ父親。飛び散る父親の体液は思ったより温かいが、すぐに冷えていく。床を這いずり子供を抱く母親の手に力は無く、ギロアは呆然と暗い部屋を見ていた。近隣住民の通報でやってきたであろうサイレンの音にギロアは我に返って母親の背中を抱き、助けを叫んだ。
 母親は背中を刺され、下半身に不自由を残したが変わらず仕事と子供に全力を注ぎ、その姿を見ていたギロアは目の前では誰も傷付いて欲しくないと強く思った。傷つけようとするものからは遠ざけ、せめて自分のテリトリーは無傷でいたい。
 捜査官としてもそう思っていたが、職場は完全に後処理が常だ。事が起きてからではなければ動けない。証拠が無ければ何も出来ない。許可がなければ何も。
 そんな歪んだ自己満足のために現在にいたるが、結局実現できているかと言われればそうでもない。いつまでももがき走り続けている。それが生きているということなのだと言われればそれまてだと、ギロア自身折り合いを付けていた。
 デスクに乗せた足を同僚のテリーに叩かれて、うとうとしていたギロアは怠そうに首を傾げた。

「ボスが呼んでる。…つうか…ここに住む気か?」
「新居が見つかるまで」
「ったく、無計画にもほどがあるっつんだよ!」

 デスクの足を蹴り、小冊子を置いて去っていく帰り支度を終えている背中にお礼を告げた。ギロアは貸家の一覧が載る冊子を丸めると、大切に上着のポケットへ押し込み、説教部屋もとい上司の待つ部屋へ上がっていった。

「ケイナン・ギロアフラム入ります…うお…!」

 入った部屋は通信士たちはいるものの、普段は音声や映像で話をするボスが生身の姿で椅子に座っていた。ギロアは驚きの声を発して一歩後ずさった。

「失礼ね」
「…クビですか」

 はは、と乾いた笑いがギロアから漏れた。ボスは厳しい顔をしていたが、ギロアを暫く見つめた後に呆れたように笑ってUSBメモリーを胸元のポケットから取り出してギロアへ手渡した。

「あの若者からの贈り物よ。このオフィスは所在もハッキリさせていないから、入院していた施設へ届けられたわ」
「は…?はぁ…ソイル・フロストですか?」
「彼の知るトバルコの顧客リストと彼が関わった窃盗品の売買ルート、商売敵と彼の銀行口座の番号。トバルコには直接関与する予定はないけれど、とても役に立つ上に信憑性の高い情報だと調べも付いているわ。よくやってくれたじゃない。意外と子供の扱いが上手いのね」

 以上よ、と告げて退室を命じられたギロアは困惑しながら部屋を出る。
 デスクの並ぶ下階へ降りながらギロアは襟足を掻いた。

「アイツめ…」

 協力したいと言っていた姿が鮮明に思い出されてギロアは小さく呟いた。マフィアを売る裏切り行為がバレればただでは済まないし、地獄を見る羽目になる。ソイルは危険を承知で情報を提供した。それを察してギロアは複雑な気持ちでいた。自分を、恋という形で慕っていたソイルにそこまでさせたかと思うと罪悪感がのしかかる。しかし、心のどこかでそれを狂おしいほど可愛いと感じていた。

「ちくしょう」

 ギロアは微妙な距離を保とうとする自分に手を伸ばすソイルの姿が頭から離れず、その夜は眠ることが出来なかった。



 



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