18




 2日後には部屋の中が片付き、本当にギロアがこの部屋を出て行くのだと理解させられ、ソイルは短い間しか過ごしていないにも関わらず寂しく感じていた。
 クラークの提案に明日答えようと決め、買ってきたばかりのビールを冷蔵庫へ詰める。ソイルはワインが好きだったが、ビールしか飲まないギロアに触発されて、二人で色々と話した日から仲良く晩酌をしていた。
 あの日からは一度も誰かにつけられることも、狙われることもなく変わらぬ1日を過ごしていた。それでもソイルは少しずつ、理想に感じていた平凡な生活は自分には無理なのかも知れないと察し始めた。またギロアに迷惑をかけ、親切なご近所さんに被害がでるのも嫌だ。自然と、この場所を離れるのが自分のためにもいいのだと言い聞かせ、納得させていた。
 夕食の為に豆の缶詰めとホールトマトを取り出し、予め煮込んであった豚肉と合わせながら時計を確認する。特に連絡手段も持たないし、ソイルは文明について行けていない訳でもないのにアナログになってる、と漏らした。ギロアとはメモを残し合っているし、クラークには己の勘で現れそうな場所に立つ。大概あちらからソイルを見つけてくれるのだ。
 ギロアの帰りはいつだろうか、そんな風に思い少しばかり胸がふわっとしてソイルは目を伏せた。ふられてしまったが、ギロアは上手く接してくれる。なんら接点のない不思議な関係も終わるのだと思うと気が沈みそうになり、ソイルはふるふると首を振った。




 日付が変わってもギロアは帰らず、ソイルはもしかして別れも言わずに出て行ったのではと、まとめられているギロアの荷物を横目に見てソファにうずくまった。いつもソファで寝ているギロアの毛布にくるまり、時計を見ている。シンとした部屋に、ソイルは小さく溜め息を吐いた。
 カタカタと食器の触れ合う音を感じてソイルは目を開けた。うとうとしていた、と目を擦りキッチンを見ればギロアが鍋のスープを温めながらビールを飲んでいた。ソイルは静かにその背中を眺め、己に問い掛ける。普通の、特に羽振りが言い訳でもモデルのようでもない男の魅力とは。答えは出なかったが、好きに理由もないのだろうと口端をあげる。ソイルはこちらへ来そうな気配を察しって寝たふりをした。驚かしてやろうと。スープをよそってソファへやってきたギロアは、狸寝入りをしているソイルの隣へ静かに腰を下ろしてビールをテーブルへ置いた。ちらっとソイルを見たが、寝ているのだろうと思ったギロアは声をかけずスプーンをスープへ付けた。一口飲んだ後、微かに笑みを浮かべ、うまいと小さく呟いた。

「あんたの胃袋は掴めたかな」

 ソイルの突然の声にギロアはちらっと声の方へ視線をやり、頷いてビールをソイルへ差し出した。受け取るために伸ばされた手が、ギロアの手首を音がするほど勢い良く強く掴んだ。ソイルは力で適うとは端から思っておらず、身を起こして抱きついた。ぼすっと鈍い音と共にソファへビールの瓶が転がった。

「明日、仕事先の人が送別会してくれるって。ほんの短い間なのに、馴染んでたみたい」
「真面目に働くのもいいもんだって分かったろ?」

 まあね、と頷いたソイルは、此処に居たい、と思ったが言葉を飲み込んでそっと唇を重ねた。ギロアは抵抗しなかったが、反応も無い。ソイルは触れるだけのキスに目を閉じ、ゆっくりと離れて俯いた。

「…今日は、飲まないで寝る」

 おやすみ、と小さく残してソイルは早足で寝室へ逃げ込んだ。そのままベッドへ飛び込み、キツくシーツを握り締める。たかがキスひとつに、痛いほど胸が締め付けられた。相手から返されないキスはギロアが初めてで、それが欲しくて涙が出るのも初めてだった。
 ソイルは嗚咽を耐えて顔を枕に埋め、暫くそのまま落ち着くのを待った。ゆっくりと目を開き、己の指先で唇に触れる。

「…忘れたくない…」

 これからどうなるか先は見えない。ソイルは何もしたくないと思い、ため息を吐いた。ギロアはそんなことを望んでいないだろう。それでもソイルはこれからも生きるために罪を犯すかも知れないし、アロンゾの手下のように追っ手が来れば逃げなければならない。今までとは違うが、やはり本質は変えられないのだ。

「…絵、売れるかな…」

 まずはクラークたちに協力して金を作る。それだ、とソイルは諦めたように目を閉じた。





 ソイルが目を覚ますと、既に家は静かでギロアは仕事に行ったのかと目元を擦りながらキッチンへ向かった。そこでソイルは言葉を失った。
 纏められていた荷物は既に無く、ソファにテーブル、少ない食器類は昨晩と変わらず水切りラックに伏せられている。ドキドキと嫌な心拍音と戦いながらソイルはテーブルのメモに飛び付いた。

「『借りは返せたか?命を救われた』…あの森での…?だって、あれは…俺の所為…」

 確かに応急処置はしたが、元はソイルの爆弾で負った怪我だ。自分を助けたのは『借り』を返すためだっただけ。
 視線を変えて一緒に置いてある紙袋を持った。中には現金が驚く程入っており、ソイルは思わず床に落とした。それから薄いファイルにはアロンゾの近況がまとめられ、先日やってきた部下のIDがクリップで止められていた。僅かに血がこびり付いているそれは、始末したと匂わせる。

「…ちくしょうっ!俺は借りを返してない!」

 ソイルは強くテーブルを殴りつけ、紙袋を蹴飛ばした。中身の紙幣が散らばり、殺風景な床を散らかす。ソイルはふらふらとソファへ座り、膝を抱えて怒りと戦った。挨拶もしないで、その程度の関係だったかと思えば、何度も守って力を貸す、ギロアの行動は読めないし、何を意図しているのかも理解しきれない。ソイルが鼻を啜ったとき、控え目なノックがドアを叩いた。ハッと顔を上げると、扉を開けて鍵を指先で回すクラークが立っている。

「…なんで…?」
「迎えに来た。あのオッサン侮れないね」

 クラークは微かに笑みを浮かべたまま、扉の横で散らかった床を横目に溜め息を零した。

「アロンゾ・デズリィがお前を捜してるって。お気に入りだったソイルがトバルコっていう大物から逃げ仰せたら、アロンゾは大慌てでハイエナするつもりみたいだぞ」
「…お気に入りって…何年前だよ。俺はもう大人の男だし」
「ずっと成長を見られてたみたいだな…酷い執着心だ」

 クラークは紙幣と共に床に散らばっているアロンゾのファイルに挟まっていた写真の数枚を大切そうに拾って呆れたように鼻で笑った。写真はトバルコの元で窃盗や詐欺を始めた15、6の頃のソイルから、アロンゾの手下がやってきたつい先日の昼間にレストランに入るソイルの姿まで。

「早く逃げよう。追っ手が殺されたことにデズリィもすぐ気が付くだろうし、もしかしたらトバルコにもバレるぞ。絵はまた…機会を見て売りに出そう。な?」

 クラークがしゃがんで紙幣を集め始め、ソイルも仕方なくそれを手伝った。

「…俺といないほうがいいんじゃねぇの」
「バカ言うな。友達だろ」

 逃げるの得意だしね、とウィンクしてみせるクラークに、ソイルは苦笑いを浮かべて小さく頷いた。もう納得出来なくても進むしかない。駄々をこねている時間は無かった。

 



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