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 突然の告白と色気もない口付けにギロアは呼吸を忘れて呆然とソイルを見つめた。しかし、それも数秒。ギロアはソイルの肩を優しく掴んで押し離した。

「…どうかしてるぞ」

 ギロアは立ち上がり、落ちたマフィンをテーブルへ置いて未だに膝を着いているソイルへ視線をやった。ソイルは膝立ちしたまま、床を見つめている。

「…おい」
「奥さんのことまだ好きだから?男だからか?俺が…犯罪者だから…?」
「いや…」

 結婚したことを話しては居なかったギロアはご近所さんの話でも聞いたかと溜息を飲み込んだ。腕を組み、未だに難しい顔をしているソイルを見下ろしていたが、ギロアは襟足を掻いて小さく息を吐いた。

「お前はチャンスを掴んだんだぞ。今まで折れずに頑張ってただろう?アロンゾからも、トバルコからも、普通の奴じゃ逃げられない。お前だから出来たんだ。こんな所に居たらその頑張りも無駄になるぞ」
「無駄ってなんだよ?!俺の、意思だからいいだろ!」

 ソイルは諭すようなギロアの言葉に怒鳴り返した。自分の感情を誤魔化され、上手く捨てられるような感覚に目頭が熱くなってきた。受け入れられなくてもいいと思っていたが、正直辛い。

「好きか嫌いか、ハッキリ言えよ!」
「…嫌いだ」

 特に嫌悪も、拒絶もも伺えないのに受け入れられない、やる気のないギロアの瞳をソイルは見つめた。嫌い、その言葉に胸の辺りが重くなり、ソイルはそっと目を伏せた。以外と傷付いた、と自嘲して立ち上がる。

「だよな。考えてみりゃあんたの部下を吹き飛ばしたし、チンピラの奴隷だったし、マフィアの犬だったし、…じゃあっ、なんで助けたんだよ!哀れだったからだよな!」

 ソイルは椅子に掛けてあったパーカーを掴んで部屋のドアへ向かった。強固になった鍵に手を伸ばすと、ギロアが腕を掴んで止めさせる。ソイルはギロアの腕を振り払って頬を殴った。骨のぶつかる音と、強烈な痛みにソイルは拳を庇うように手のひらで押さえてギロアを盗み見た。ギロアの頬も赤くなってはいるが、大した驚きもなくソイルを見ている。

「今は行くな。まだアロンゾの手下がうろついているかも知れん」
「捕まるようなヘマするかよ!もう、いいっ。あんたの言うとおり出てくって言ってんだからほっとけよ!」
「頼む、危ない真似するな」

 掴んでいた手を離そうとすれば逆に掴んでくるギロアに、ソイルは怒りが爆発した。好きだと言えば嫌いだと言われ、出て行くと言えば行くなという。ソイルはギロアのシャツの襟を強く掴んで引き寄せた。少し上体を屈めたギロアの近付いた顔を睨み付けながらソイルは反対の手でギロアの下腹部を弄った。

「セックスしてくれんなら今は行かないでやってもいーよ。どーする?」

 ソイルは薄笑いを浮かべて硬いデニム越しにペニスを意識しながら撫でた。男相手に勃たないかもしれないとは思っていたが、その気にさせる自信はあった。電気を消して、ソイル自身が上手く動けば身体の恥ずかしい部分も誤魔化せるだろうと。しかし、ソイルの中でギロアなら、すべてを晒してもいいとさえ思っていたのに、こんな行動をしてから心臓は益々加速していた。

「なあ、どーすんの?」
「俺は勃たない。だから無理だ」

 ソイルは思わぬ告白に唇を動かしたが、声にはならなかった。どういうこと?と思っていたが可愛い言葉より先に罵る言葉が漏れていた。

「っは、だから奥さんに捨てられたんだ」

 ギロアは何も言わず、ソイルから身体を離した。しかし手はノブを握り、ソイルを出す気は無いと強く視線を突き刺す。お互い無言で睨み合っていたが、ソイルは子供じみた己の行動や言動全てを冷静に思い出して俯いた。ドン、と強くギロアの身体を押しのけてシャワーを浴びるために浴室へ逃げ込んだ。
 ギロアはソイルが浴室へ消えたのを音で確認し、片手で顔を覆った。大きな溜め息が口元から零れる。

「あれはヤバいだろう…」

 感情的に内にあった気持ちを吐き出したソイルを思い出してギロアは二度目の大きな溜め息を吐き、冷蔵庫からビールを取り出す。気配や人の様子に敏感なギロアはソイルの視線がやたら背中に向けられていることを感じていた。それは警戒心だと疑わなかったが、冗談にしても好意を示されるとは思わず調子を狂わされた。ここに居座るのも、先程のような侵入者が居てもギロアなら返り討ちに出来ると踏んでいるのではないかと決めていた。
 相手が男だという事実より、なぜ自分に惹かれたのか、ギロアにはソイルの感覚が分からない。
  ビールを飲み終え、ギロアはソファに深く座って目を閉じた。ソイルは近々出て行くだろう。上司への言い訳をどうするか思案しながら、泣きそうになりながら泣かず、逆に怒り出すソイルが浮かんで微かに口端を上げた。話したくないこともあっただろうが、断片的な話でもなんとなく状況は把握できる。それでも話したソイルは覚悟がいっただろう。そしてさらにはマフィアを敵に回すことになっても協力すると言い出した。側にいたいと言われたギロアは、瞬間的に守ってやると内心応えていた。ソイルがギロアの側に安心を感じているならば、と。しかし、ギロアはソイルを情報元として協力させたくはない。自ら自由の扉を閉めようとするソイルに不安になっていた。恋だ、愛だなどに振り回されて破滅する者は多い。そうはなって欲しくないと思っていた。
 
「…あんたも使えば」
「俺の家だよ」

 シャワーを終えたソイルがソファで眠りそうなギロアへ声を掛けた。さっきの熱はどこへやら。普段の声音のソイルにギロアは微かに笑った。ソイルは強い。最悪の環境からも逃げ出せる青年は、この瞬間、一時の気持ちなどすぐに忘れられるだろうと、思案するのを止めて目を開けた。
 ギロアが立ち上がるとすでにソイルの姿は無く、寝室のドアが静かに閉まる音が小さく響いた。いつもならバタンと無神経に閉めるのに、今はその音が寂しそうな、いじけているような色を含んでいるように感じる。ギロアは心の何処かで、可愛いところもあるんだよな、とシャワーへ向かった。






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