12
ギロアが2日の訓練を終えて帰宅したのは日付が変わる頃で、少し古い外観のマンションを通りから見上げると、三階にある自分の部屋に電気が点いている。ギロアはどこかホッとして部屋から視線を外して部屋へ向かった。
部屋に入り、中を確認すると入ってすぐのリビングでソイルが寝ている。普段ソファで寝ているのはギロアで、ソイルが居候している間はベッドを譲っていた。まだソイルが居候を始めて一週間が過ぎた程だが、自然に定着していた。ギロアは掛け物もせずに寝ているソイルへブランケットを適当に掛ける。静かにキッチンで手を洗いながら、コンロに置いてある鍋を覗くとギロアの好きなシチューが作られていた。野菜が大きい方がいい、と漏らした時は散々反論されたが、鍋のシチューは大きめの野菜とベーコンがゴロゴロと伺える。ギロアは微かに口元に笑みを浮かべて蓋を戻した。
鍋を見つめて思考を巡らせる。ギロアはソイルがこのままどこかで違う生き方を始めればいいと思っているが、そばにいて見守りたいとも思っていた。少し目を離すとスリをするし、正体がバレれば危険も付きまとう可能性がある。たまたまとは言えソイルを助けた手前、中途半端ではいられないと思う。トバルコは危険な人間だ。そしてファミリーもソイルが生きていると分かれば始末しに来る。情報とは恐ろしく価値があり、破滅を導く。
「…まあ…」
本人次第か、とギロアは一度考えることを止めてソファへ視線を向けた。よく寝ている。ギロアは食事をするときに使っているテーブルへつき、職場では見ることを戸惑ったソイルの資料をノートパソコンに表示する。スノーから郵送されたUSBを指先で触り、ギロアは読み込みを待った。
エアロ・クロフト(15)、ソイル・クロフト(8)姉弟が誘拐。両親死亡。そんな新聞記事から始まり、ギロアはタバコに火をつけた。資産家の父、有名なフラワーアレンジメントを手掛ける母、仲のいい家族のようだ。
資料ではトバルコファミリーが糸を引く犯罪でソイルが関わっていそうな事件は誘拐の八年後から始まる。ほとんどが絵画など美術品の窃盗、売買であり詐欺への関与もあるが、確かな証拠がない所が流石トバルコと言える。ギロアは主に殺人や強盗等の捜査をしていたため、直接トバルコファミリー絡みと思われる事件に触れたことはなかった。利口なトバルコは他国では慎重だった。
なにより、ソイルは始めからトバルコに誘拐されたとは言えない。トバルコの商売に子供の誘拐はかった。特に先進国での誘拐はリスキーだ。ソイルはアメリカ出身となっている。どこかてトバルコに買われたか、拾われたか。
ギロアはまだ捜査官に成り立ての頃に誘拐されたであろうソイルの捜査報告書を開く。スノー様々、と感謝しながら、少ない資料を見た。捜査は行き詰まり未解決となっていた。子供の誘拐は時間との勝負。被害者失踪のままファイルは終わっていた。
ギロアが小さな溜め息を吐くと、ソファのソイルが目を覚まし起き上がった。そっとパソコンの電源を落としてギロアが立ち上がる。
「ベッドで寝ろよ」
「…あんたが疲れてると思って」
「気を使わせて悪いな」
ギロアが寝室に行こうとする背中へソイルは迷いながら声を掛けた。
「た…食べた?それ」
コンロの鍋を指差す姿にギロアは優しく笑って首を振った。こうして見れば、とても犯罪に手を染めた若者には見えない。可哀想だと思うより、よく生きてきたな、と感心していた。
「明日食べる。美味そうだった」
「…あっそ」
ソイルはソファへ身体を戻してブランケットを被った。味を誉められたら訳でもないのに、少し嬉しいと思った自分に驚いていた。クラークが言ったように、ソイルはギロアに惹かれていると自覚する。時折目蓋にチラつく姿が離れない。けれど、どう消化すればいいのか分からずブランケットの中で丸まった。
ギロアはその姿を見て、ソファの上の固まりに苦笑いした。
「…早めにここを出ろよ。俺の上司がお前から情報を得たがってる。今すぐ無理矢理どうこうなる訳じゃないが、自然に道が減るぞ。頑張ってきた事を無駄にして欲しくない」
ギロアの真剣な声に、ソイルは僅かに顔を覗かせて姿を見た。真剣で怖い顔をしていると思って顔上げたソイルだが、優しい眼差しを向けられて胸がキリリと痛んだ。
好きだ等という気持ちを伝える事も、分かってもらうこともなくていいから、そばに居れたらいいのに。そう思って、口から『協力する』と漏れそうになる。厄介者を抱え込むのはギロアだ。負担になることもソイルは嫌だった。気持ちの整理が着かず、ソイルは答えずに再びブランケットを被った。
ギロアはおやすみ、と残して部屋の電気を消し、久しぶりのベッドへと身を沈ませた。
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