一ヶ月後。



「ニヴァンス、6番のチーズバーガーはまだー?」
「はいはい!」

 ニヴァンス。ソイル・ニヴァンスという名前を与えられたソイルは裏通りの小さなハンバーガーレストランでキッチン業務に勤しんでいた。チーズバーガーとポテト、飾りのようなサラダに特製ドレッシングをかけてホールで待つウェイトレスに皿を出す。

「ニヴァンス、そろそろ上がっていいぞ。遅くまでありがとうな」

 ソイルは中年で感じのいい店長に頭を下げて帽子とエプロンを取りながら裏口から店を出た。夜の10時を過ぎているが、町は夜通し明るい。都会の匂いにソイルはうんざりしながら髪を後ろで結っていたゴムを外した。パーカーのフードを被って足早に帰宅の道を歩く。
 あの森でギロアに連れて行かれたソイルは組織の所有する病院へ連れて行かれた。
 ソイルは三週間入院して治療を受けていた。点滴は一週間、一週間は注射による投薬と検査。残りの一週間は様子を見るようなものだった。初めはいつ発作が起こるかと怯えていたソイルも、1日、2日と経つにつれて少しずつ恐怖という重たいものが消えていった。なにより、殆ど毎日ギロアは面会に訪れて顔を見せに現れた。別段何があるわけでもなかったが、ソイルはそれに励まされ、1日を終えていた。今もお守り程度に痛み止めに薬を処方されているが、退院後はまだ一度も飲んでいない。
 他人と深く付き合うことのなかったソイルの中に、繋がりが生まれていくのは早い。損得無しで、腹を探らなくてもいい繋がりをギロアに見出していた。
 さっさと歩きながら不意に店のショーウインドウに反射した自分の姿をソイルは確認した。髪をストレートにし、コンタクトで黒目に変えている。ギロアに話していないが、この街にはソイルを知る者が多かった。それはつまり、一般人ではない。情報屋、偽造屋、窃盗グループ、闇バイヤー、ろくでもない連中しか知っていないソイルは目立たぬようにと気を使って、それでもギロアの家に居座っている。
 窓に映る自分の姿の後ろ、通りの向こうで金持ちそうなコートの男が女性に声を掛けている。乗り気ではない女性に無理矢理言い寄るような様子にソイルは舌打ちをした。40代くらいの強引に言い寄るような男はソイルにとって嫌悪の対象で、特に権力者や強引なタイプは最も精神を苛立たせる。街灯や照明、まばらに歩く人々に混じってソイルは通りを横切り、未だにああだこうだと言って女性に絡む男の脇を通った。

「だっせ」

 ソイルは歩きながら男からスった財布を覗いた。よくあるブランドものだ。カードばかりで現金は200ドルと硬貨が少々。なんの感覚もなく、いつものように現金だけに手を着けようとしたソイルに声が掛けられた。

「おい」

 ソイルはびくっとして振り返り、自然な動きで隣を通った女性のコートへ財布を入れた。何もなかったように笑顔で手を拭る。

「どうしたの、まさか迎えに来てくれたとか?」

 ついでにな、と近くの店のロゴがプリントされている紙袋をギロアは揺すった。野菜が少し顔を出している。

「仕事は?」
「調子いいよ。俺、意外となんでも出来るみたい」
「部屋は探してるか?」

 事務的な質問にソイルはギロアの隣を歩きながらわざとらしく大きな溜め息を吐き出した。

「ないない。それにさぁ、あんたの家からあの店近いし、立地もいいもん。俺あんたの部屋が気に入ってる」
「いつまでお前のお守りすればいいんだよ。先生も大丈夫だっつってたろ」
「…いいじゃん、どうせ独りだろ?一緒に飯食ってやってんの」

 今夜はなに?と袋を覗くソイルにそれを押し付けてギロアはやれやれと首を振った。

「悪さするなよ。さっきの見たぞ」
「……ごめん。あいつにムカついて…もうしない」
「はぁ…」

 ソイルは俯いて紙袋を持ち直した。呆れたような溜め息とは逆に、ギロアは優しくソイルの背中へ手を当てて帰宅を促した。

「さっさと帰るぞ」

 ソイルが歩きながらギロアを盗み見ても相手は全くソイルを見ない。あまり感情の浮かばない表情で通りの信号機へ視線が向いていた。
 ソイルは自分の方に視線が来ないことに少しの寂しさを感じて目を伏せた。もっと近付きたい。でも近付くのは怖い。ソイルは己のことをどんな風に思っているか、全く触れてこないギロアに常にそわそわしてしまう。恐らくはソイルがトバルコファミリーに属していたことも、どんな仕事をしていたかも知っている。けれど、それについても、薬についても退院後は一度も話してこない。仕事はどうだ?住処は見つけたか?そればかりだった。
 何を考えているか分からない。それがまた良い意味でも悪い意味でもソイルを惹き付けていた。何かを求められることはないし、期待もされない。それは少し寂しいことではないかとも取れるが、利用する、されるの環境で常に裏を意識しながら生きていたソイルにはどこか心地よかった。

「今日、ポトフの仕込みした。帰ったらやってやろっか?食べる?」
「へえ、そりゃ楽しみだ」

 大した反応を期待していなかったソイルは、向けられた微かな笑みに胸がぎゅっとなった。それは痛い訳でもないのにギロアの部屋に着くまで、鈍くソイルの胸に残った。






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