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 日を跨いだ頃にふたり連れのサラリーマンは、機嫌よく店を出た。
 想は本日最後の客であるふたりを外まで見送り、通りを眺める。
 ちらほらと人は見えるが、いつもの様子とはかけ離れている。こんな時間でさえ、夜も眠らないほど輝く街に程近い、この通りはそれなりに人も通る。
 今は寂しさを感じるほど人気がない。
 想が小さく息を吐くと、外の寒さに白く現れて消えた。店に戻ろうとした想と入れ代わるように島津が出てくる。

「ん?島津帰るの?漣と飲んでいけばいいのに」
「帰るわ。邪魔しちゃ悪いしな」

 くくっと笑う島津に、想は呆れた顔を向ける。
 既に帰り支度を済ませ、アウターを着込んでバイクのキーをポケットの中でチャラチャラと鳴らしている。

「……また人、戻るよね……」
「当たり前だ。噂なんてすぐに消えんじゃねえの。明日は他の話で持ちきりだろ。そんな街だ」
「うん」
「しばらくは蔵元と三人交代シフトでいく。俺から皆に連絡しといてやるから、風邪っぴきは三番手な。すっこんでな」

 なにそれ……と想は笑い、島津の肩を叩いて店に戻った。
 島津は『open』の札を『close』に変えて封鎖されて物置になっている裏口へ回る。
 程なくして裏口の方から島津のバイクのエンジンが響いてきた。想はそれを聞きながらカウンターで長い間ゆっくりと酒を楽しんでいた新堂の隣に座った。

「こんな風で店は大丈夫なのか?」
「うん。いつもはもっと賑やかですよ。可愛い店員さんもいるし、常連さんも多いです」

 からかうような新堂の声に想も笑った。
 もう、何杯目になるか分からないグラスをゆっくりと回す新堂に想は寄りかかるように身を寄せた。

「外、寒い」
「たしかに、冷たいな」
「……キスしてくれる?」
「いつでもしたいよ」

 優しく紡がれた新堂の言葉に、想は瞼を閉じて口付けを待った。
 頬に触れた冷たい指先が新堂のものだと分かる。
 唇に触れた感触が新堂のものだと感じる。
 ゆっくりと口腔に差し込まれる舌が、アルコールの匂いとともに想の舌を追う。絡まる舌と唾液に、想は腰が甘く疼くのを感じた。
 それを分かっている新堂の手が、想の腰を撫でる。
 想は完全に新堂に身体を預け、今にもカウンターのハイチェアから落ちそうだ。

「エロい顔して、誘ってんのか?」
「……寒かっただけだし」

 新堂は頬を染めてふいっと視線を逸らす想に笑った。
 それからウィスキーグラスを想に差し出す。

「飲めば温まる」

 想は言われるがまま、ロックのそれに口を付けた。ふわりとした香りのあとに、喉に灼けるような感覚が通過する。
 想は目も唇も閉じてその感覚をやり過ごす。隣の新堂から、微かに笑い声が漏れた。

「どうして飲んだ。ウィスキーは好きじゃないだろ?」
「……寒かったし……漣がくれたから、飲んでみようかなって」

 新堂は頷いて残りを飲み干した。
 想がお代わりを持とうと立ち上がったが、腰を引かれて席に戻される。
 新堂がタバコを差し出したが、想は戸惑って首を横に振った。

「……選択肢の中から選ぶのはそれぞれだろう?想は酒は飲んだのにタバコは断った。確かに何らかの要因で選択肢は減るが、自分の選択を誰かの所為にはしたくない」
「……?」
「俺は想のせいで3年を無駄にしたわけじゃない。分かってくれるか?想には辛い思いをさせて申し訳なかった」
「漣……大丈夫です。帰ってきてくれただけで、俺は……」
「自分を責めるな。俺の指も、汚い組織での仕事も、俺が選んだ事だ。それに想を巻き込んだ」
「違います。俺、……おれ、何も役に立たなくて……漣の力に、なりたい……のに」

 想は言葉が詰まり、口ごもる。
 自分を責めている想を見て、新堂は低く囁いた。

「そうか。そんなにお前が責任を感じているなら、きっちり果たしてもらう」

 トン、とカウンターに置かれた左手を見た想は、ゆっくりと震える右手でその手を包むように重ねた。
 白城会を潰し、勝手に日本を離れるケジメに切り離された薬指と小指。

「死ぬまで俺の面倒を見ろ。もし想が先に死んだら墓には入れてやらない。防腐処理をとことんまでして、ずっと部屋に置くからな」

 新堂はが冷たく言い切ると、想は『はい……』と答えた。
 思ってもいなかった責任の取り方を告げられ、想が瞬きをして呆けた顔でいると、新堂が灰皿へタバコを押しつけて消した。
 力の籠もる指先を見て、想は新堂の感情を探るがあまり感じたことのない様子だ。
 新堂は感情を表に出すことも隠すことも簡単に出来る。
 想に対しては特に怒りは見せない。
 想は少しの不安から、寄せた身体を更にくっつけるようにして座り直した。

「毎日……武器ばかりで、どこの酒も薄いしタバコは臭い。明日切り刻むかも知れない子供が次々誘拐されてくる。売れ残りはテロリストに売られて爆弾を抱えさせられる。助けられたのはほんの一握り。結局組織は崩せず終い。俺の所為か?」
「……ちがう」
「誰かに責任を押し付けられたら楽だろう。自分を責めるのもまた一つの手だが」

 不意に、優しい雰囲気を纏って顔を寄せる新堂に、想は目を閉じた。額に触れた温もりに、想は自身の手の中にある新堂の手を強く握った。

「精一杯、その瞬間を生き抜く事しか俺たちには出来ないんだ。後悔ばかりするな」

 新堂の言葉に、想は胸がぎゅっと痛んだ。怖いと思いながら、後悔ばかりなのは、前を向ききれていないからなのかもしれないと、目を開く。

「俺……がんばるよ。だから側にいたい」

 どこか陰りが消えた真っ直ぐだが、不安げに揺れる瞳に、新堂は同じ様に真っ直ぐな強い視線で応えた。

「俺の唯一だ。想がいるだけでいい。愛されていると思えると、幸せだ」

 新堂は想の頬を両手で覆い、真っ直ぐに相貌を見つめて告げた。
 潤み始めた想の、黒い瞳が揺れる。整理しきれない心の中が、新堂の言葉に更に掻き乱された。

「……俺は自分が上手く立ち回れないから、納得できないことばっかりだから、……ただ、漣を待つことしか出来なくて、ごめんなさい……もっと支えてあげたいし……力になれる人間になりたいよ……」

 想の瞳から涙が溢れた。
 想が口にした思いは、なかなか実現しないかもしれない。
 新堂は謎ばかり。たくさんの裏仕事をこなしている。力になれるか問われれば、分からなかった。
 それでも、愛する相手に必要とされたい思いは強い。

「俺は想が思っている以上に支えられているよ。離れていても、ただ、想を思えばクソみたいな場所でも生きられた」

 『ありがとう』。
 そう言った新堂の目元が優しく細まる。
 想は涙に濡れた顔で、それでも少し晴れやかな気持ちで微笑んだ。
 





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