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「今日は泊まってって。今はいないけど寝室は奥さん使ってるから、ソファーか愛美の隣なんだけど」
「ううん……俺、明日も登校日だから帰る。週末、会えるよね?」
暗い表情の泰助を慶吾は心配そうに見つめるが、だんだんと俯いていく。
「じゃあ、明後日。お昼過ぎに迎えに行くよ。バイト休み取れてよかった」
「うん。……慶吾、キスしてくれる?」
泰助は頷き、別れ際に慶吾にキスをねだった。
慶吾は微笑んで触れるだけのキスをして、マンションのロビーまで一緒に降りる。
「ここで大丈夫。愛美ちゃんのそばにいてあげないと。きっと離婚とか分からなくても不安だよ」
『がんばってね』と全力の笑顔で手を振ってマンションを出た。
2月の夜は寒さが酷い。
慶吾の部屋辺りを見上げてもいくつもの窓があり、灯が漏れている。
泰助にはどこが彼の部屋なのか分からず、視線を下げた。
**
週末、やはり一度も母親は帰ってこなかった。
しかたなく、泰助は約束の時間までに洗濯と掃除を済ませてシャワーを浴びた。
あれからも就職できそうな場所を探したが進展もなく、就職担当の教師もあまりやる気もないようで困り果てていた。
できたら、料理がしたいと思うようになり、そちら方面の仕事を探し始めた。
ふと鏡の前で自分を見る。どこにでもいそうな18歳の男がいた。
別段イケてるわけでもないが、何度か女の子から告白されたこともある。けれど女は母親のイメージが強すぎてどうしても付き合えなかった。
恋愛なんて今しなくても、などと思っていた時に慶吾と出会った。
よく店に来ていた。独りだったり、同僚らしき人達と一緒だったり様々だったが、いつも優しく親しげに話してくれる彼に惹かれていった。
ひとりコンビニで弁当を買う泰助と、たまたま会った慶吾が、食事に誘った事がきっかだった。
何度か食事をして、お互いの話をした。弱っている心の、苦しいところに、寄り添ってくれる温かさを感じて、次第にこの関係になったことを泰助は覚えいる。
「……厳しいな……」
今日が最後かと思って泰助はうなだれる。
たとえ頻繁に会えなくても、関係を続けてもらいたい。愛や温かさに飢えた泰助は、その価値を知って失うことが何より怖かった。
慶吾のように自分を愛してくれる人など、二度と現れないと感じていた。
*
慶吾が迎えに来て、ブランドもののスーツを見ている間も、どこか上の空にあった泰助が現実に引き戻されたのは、食前酒の代わりに出されたノンアルコールのシャンパンに口を付けたときだった。
「……え?」
「嫌だった……?今日は一日中どこか様子がおかしかったから、あんまり乗り気じゃないかな……」
「ご、ごめん、そんなんじゃないよ!もう、一回……言って」
「一緒に暮らしてほしいって?」
無邪気に笑う慶吾に対して泰助は唇が震えた。
何も言わない泰助に、相変わらず笑みを向けて子供がイタズラを提案するように言った。
「泰助が卒業したら、きっと仕事して俺なんて相手にされなくなると思うんだ。だから、離れられないように一緒に暮らしたい。愛美もあれから『たいちゃんは?』ってしつこいんだよ」
ふふっと笑って、愛美の様子を話す慶吾に泰助は胸が甘く、重く痛んだ。
彼の愛を一身に受ける可愛い子。そんな子が、自分も求めてくれていること。
「泰助が嫌じゃなかったら、是非考えてみて」
返事がなかなか出来ないでいる泰助を、真剣な眼差しが見つめた。
泰助は唇が震え、喉が渇いたように言葉が出ない。
慶吾がゆっくりと薬指のリングを外してテーブルに置いた。
「俺は一生父親だけど、ひとりの恋する男なんだ。もし受け入れてくれるなら泰助に捨ててほしい」
口元を手の甲で隠し、俯いた泰助は涙が零れた。
求めてもらえたことが嬉しかった。小さい頃はずっと母親の背中に声をかけ続けたが、振り向いてもらえなくなり、諦めた。
今日は諦めたくなくて、捨てないでと縋りつきたい欲望と、重荷になりたくないという理性の狭間で気がおかしくなりそうだったのだ。
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