20
「あっ!有沢!」
少し遅れて想が指定された公園に着いたとき、古谷は待っていたのか鼻先から耳までほんのり赤く、寒そうだった。それでも明るい声が弾んだ。
想の姿に気が付いて古谷が歩み寄る。
ちらほらと犬の散歩に出る人や、早い出勤の人間たちの姿が見えた。
「いきなりどうしたんだ?しかも、シマコさんの番号から……」
「こんなとこで話せないので古谷さんの部屋で」
「ああ、俺の?……え、俺の?!」
想は短く告げて歩き出した。
戸惑いながら歩き出す古谷は、想の腕を掴んで反対を示した。
「あ、こ……こっち……。なあ、有沢……どうしたんだよ」
「シマコって誰ですか」
ちらりとも古谷を見ない想は明らかに怒っている様子だ。
古谷は起こされたにも関わらずただただ首を傾げることしか出来ずにいた。
「彼女……彼?は、同じ上司の元で働いてるニューハーフだ。お前こそなんでシマコさんと知り合いなんだ?」
「店に忍び込もうとしてました」
話している間も一度も古谷の方を見ない想の冷えた声に、古谷は歯を食いしばった。
泥棒の携帯電話に自分の番号があったのだ。疑われている事を察して襟足を掻いた。
「……でも、なんでシマコさんが有沢の店に?」
想はそれには答えなかった。古谷の住むアパートの部屋まで来て、玄関で初めて想は古谷を見た。
古谷はいつもと変わらず、しっかりと真っ直ぐに想を見ている。
「古谷さん、袖川組と連んで何してるんですか。俺のこと好きだとか言って、何か企んでたんだろ」
想の冷たい視線が古谷に突き刺さる。
だが、古谷はその視線を見つめ返して真剣に言った。
「何も企んでない。本当に好きだ」
「そんな事どうでもいい!!俺が聞きたいのは袖川組のことだ!」
声を荒げ、怒りを露わにする想に、古谷は一瞬たじろいだ。始めてみる姿にただ事ではないと悟る。
先日の春海と袖川組の若頭の会話がよぎる。『有沢製薬』。繋がっていない筈がない。
「どうしたんだよ。俺は袖川組について調べてるが、奴らに協力する気なんてサラサラねえ」
「信用出来ません。シマコは古谷さんに頻繁に連絡してるみたいですが。俺の居場所……教えたの?なら、あんな泥棒じゃなくて袖川組に言えば良かったのに」
「俺は袖川組とは関係ないって!」
想がシマコの携帯を床に放った。
ゴンと鈍い音がしてそれは床に落ちた。それを視線だけで見た古谷は、本当にシマコが想の前に現れたこと察する。
「どうして……シマコさん、まさか……」
「袖川組と取り引きしてる」
想の一言に古谷は額を押さえた。
これじゃあ情報はだだ漏れだ。
春海は、希綿から調べる事は許されているが、接触は控えろと言われていた。だが、シマコはやたらと積極的だった。そう言う性分なのだと春海は呆れていたが裏切り者だったのか。
古谷は晴海に連絡しなければ、と携帯電話を手にした。
想はその手を止めて、暗い眼差しで古谷を睨んだ。
「……西室と清松が襲われたんです。袖川組は俺がこの街に居ると知って探してる。でも、医療記録も住所も色々と漣が消して行ったから、そんなに簡単には見つからない筈なんです」
「それで俺を疑ってるのか……」
少し落ち着きを取り戻し、俯く想の姿を見ながら古谷は望んでいないのに巻き込まれていく目の前の青年を抱き寄せた。
しかしすぐに想は手を払い玄関の隅へ逃げる。
それを少し悲しく感じながら、古谷は誠意を込めて想を見た。
「俺の上司は春海。青樹組組長の希綿は春海さんのパトロンで、金の代わりに色々と情報提供してる。彼女は希綿を裏切らないし、この街を愛してる。俺もだ」
古谷は部屋へ上がると、何枚かの写真を想へ差し出した。
疑いながら写真を見て想は小さく溜め息を吐いた。
有沢製薬副社長だった八嶋と、ヤクザと思われる男が親しげに車に乗り込んでいる。
想が写真を睨みつけている向かいで、古谷は探っていた内容を簡潔に話しながら、想の気持ちを落ち着かせようと必死で様子を伺う。
「それでな、青樹組の若いのが袖川組の下っ端と揉めて、少しまずい状態だ。関東と、関西。ぶつかったらただ事じゃない。奴らは何かを探しているが、それがハッキリしない。お前を探せって言うのが袖川組の命令だ」
「……若林さんたちもピリピリしてるんです。どうしたら袖川組と青樹組傘下がぶつからずに済むんだろう……」
それは小さな呟きで、古谷に向けたものでは無かった。
想の様子を気にしている古谷にはしっかりと聞こえていた。
「有沢、もし俺が袖川組側だったとしたら、もうお前をあいつらに渡してる。アルシエロの皆だって俺には大切な友人だ。西室たちは可哀想だったがこれで警戒出来るだろ」
『俺を信じてくれ』と低く、真剣に古谷は言った。
想はまだ半信半疑で、素直には頷かない。
「有沢は身を隠してたらどうだ」
「……俺はやられて黙ってるような人間じゃありません。袖川組のほしい物、おそらく俺は持っています」
「マジか……」
想の言葉に古谷は納得と、驚きで大きなため息が漏れた。
「八嶋さんか……」
想の小さな呟きと雰囲気に、古谷は背筋が冷えた。
殺意がふわりと匂い、息が止まる。
「あ、ありさわ……?」
「すみません……かっとなって、押し掛けて……袖川組のこと、色々ありがとうございました」
想は口元に作り笑いを貼り付け、帰ろうとドアノブに手をかけた。
それを阻止して古谷が間合いを詰めるとドアへ想を押し付けた。
「何かやらかすつもりか」
「どうだろう。……俺一人では無理なので……相談します」
ドアと古谷に挟まれ、向き合ったままの近い距離に気まずく感じて想は俯いた。
古谷は島津と蔵元の顔が微かに頭をよぎったが、それを振り払って目の前の想に集中する。
あんな、今にも人を殺しそうな想を見て止められずにはいられない。力になりたい。
古谷は乱暴にならないように、けれど必死に想を抑え込んだ。
「俺も協力するよ」
想の足の間に膝を割り込ませ、右手を左手で押さえつけ、身体で抵抗を抑え込むと古谷は想の首もとに甘く強く噛みついた。
想は大きく息を詰め、一瞬キツく目を閉じた。脚の間にある古谷の太ももが想の下半身を強く抑える。
「ふ、ふる、たに……さんっ?!」
古谷は身体を密着させ、首もとを何度も甘噛みしながら想のパーカーに手を忍び込ませる。シャツの下に潜り込んだ手が、想の素肌を撫でた。
「古谷さんっ!」
想が全身で抵抗すれば、押さえつけていた古谷の身体が少し離れる。
「俺が袖川組の人間かもって思って、怒って来たんだよな」
古谷の微笑みに、想は微かに顔が赤くなるのを感じて、違う!と古谷を押した。
反対に、古谷は更に強い力で想を押さえ込んできた。
ダン!と強くドアへ想を追い詰め、古谷が眉をひそめた。
「俺だって力になれる。……いつまで新堂漣を待ってる?」
古谷の言葉に、想は息が止まった。
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