17
借り物のタクシーの中で、古谷はヘッドホンを着けながらハンバーガーにかじりついた。
もういい歳だと思いながらも、長年のインスタト食品やファーストフードは止められない。
古谷は耳を澄ませて時折メモを取る。
聞いているのは、春海と関西系ヤクザ、袖川組の若頭とのやりとりだ。
袖川組は、庵楼会という関西最大の組織の傘下で、それなりに力のある組だった。あまり関西方面に接点のない警察官当時の古谷でさえ、幹部クラスのことは頭に入れなければならない組織だ。
そして噂は最悪。暴力的で、危険。親である庵楼会をも狙っていると周知のことだった。
「……今時のヤクザは大変だなあ……」
会話の内容としては、情報屋を周り、青樹組が隠していると思われる何か、薬の資料を捜しているようだ。
古谷は興味があまり持てないヤクザ同士の裏の掻き合いに、ペンを回しながら耳を傾けていた。
ふいに、『有沢製薬』の名前が袖川組若頭から漏れ、古谷はペンを落としそうになる。
春海はこの街、領域を好いており、関西側に協力する気はない。だが、敵の事を知るために接触を試みていた。
あれやこれやと甘い誘惑を持ち出す袖川組に、春海の大きな溜め息が聞こえる。
「なんで、春海さん……もっと聞いて!」
相手には聞こえないと分かっていながら、古谷は思わずペンを握り締めて眉をつり上げた。
有沢製薬?と首を傾げる。何年も前に吸収されて消えたのだ。有沢想の親族が作った会社だ。父親が社長をしていた頃、死亡事件が起きて会社はどこかに吸収されている。
袖川組若頭は、何でもいいから情報が手に入ったら連絡を……と残して、ニューハーフバーを出て行った。
タクシーを降りた古谷は袖川組若頭と入れ替わりに店に入る振りをしながら彼にぶつかった。
「っ!おめぇなにしとんじゃ!」
「あっ!どうもすみませんっ」
古谷は俯いたままさっさと店内に逃げ込む。
袖川組若頭も、表立って揉めない所を見るとやはり単独。
親ヤクザの庵楼会には黙って動いていそうだと、古谷は読んだ。知っているとしても極わずかの上の人間。
店に入って直ぐ、トイレに向かった。耳にイヤホンをはめる。ぶつぶつと文句を言いながら車に乗り込む袖川組若頭の声はバッチリだ。
「半径十キロじゃ知れてるけどな。……有沢、あいつ……関わってねえだろうな、クソッ」
古谷は音質のチェックをしてから春海に連絡を入れた。
「こっちは完璧。春海さんも上手くいきました?そっか。分かりました。今行きます」
古谷はトイレから出ると、店の奥にある春海のオフィスへ向かった。
店内はニューハーフとは思えない美人たちが客を持て成し、とても雰囲気がいい。
古谷は客を盗み見ながらドアを開け、中に入るとすぐに閉めた。
「袖川組のやつら、野放しに出来ませんよね」
「……それはアタシたちの仕事じゃないわよ。けど、平和なこの街を荒らすような真似させたくないわね。ムカつく」
袖川組若頭のものと思しき名刺を握り潰した春海は机を睨み付けた。
「こっちから歩み寄って、もっと情報を聞き出すわ。それを青樹組に渡す。あんなよそ者、さっさと希綿組長先生に片付けて貰わないと。みんな警戒し始めてるわ。金が動かなくなるのは耐えられないもの」
春海はタバコに火をつけて一度深く吸い込み、ゆっくりと紫煙を吐いた。そのまま少し思案した後、春海が顔を上げる。
「袖川組はこの辺に詳しい人間を探してる。士郎、あんた行けるわね」
「もちろん」
「アタシは希綿組長先生に会ってくるわ。袖川組の本気ぷりはヤバそうよ。今は皆口を閉ざしていても、ヤクザ相手にいつまで強気を保てるか分からないもの。店を潰されたら堪らないわ。情報共有の速さが奴らを締め出す鍵ね」
「希綿と会う?!」
古谷はぐしゃぐしゃにされた名刺を広げながら僅かに首を傾げて春海へ視線を上げた。
「アタシのパトロンは大物よ。まかせなさい」
つけまつ毛とマスカラで盛られた目元を器用にウインクさせた春海の自信たっぷりな一言に、古谷は只頷いて名刺を揺らした。
「まさか春海さんが希綿の知り合いだなんて……んじゃ、まあ……俺は袖川組の人間を調べに行きます」
「アタシと会うとマズいかもしれないから、連絡はシマコを通すこと。あと、使い捨ての携帯電話で連絡して。いいわね」
古谷はニューハーフの一人、シマコを思う浮かべた。一見綺麗で若く、古谷より少し年下の女性だが、春海と同じ様に金の亡者で恐ろしく肉食系。
男に気のない一般男子もシマコにかかれば新しい世界への扉が大きく開けてしまうという伝説もあるほどだ。
「シマコさんか……苦手なんだよね。俺は追われるより追いたい質だし」
「私生活でも仕事でもまさにそういうのが現れてるわね……警察官て、そういう男が多いのかしら」
春海は古谷が想に執着している事を知っていた。呆れて笑うことも出来ず、不憫な視線を古谷へやった。
← →
text top