13


 

 日付が変わりそうだが、外はまだネオンが煌めく時間帯。
 ガラス張りの窓際席で青樹組組長、希綿悠造はワインを飲んでいた。テーブルには一人だが、向かいの席にもコース用の一式が用意されており、テーブルの中央には可愛らしい花がバスケットに活けられている。

「こんばんは。遅れてすみません」
「突然呼んだのは俺だから気にしないでいいさ。丁度表通りで事故があったから遅れるんじゃないかと思っていたんだ。有沢くんは何を飲む?」

 お水で……と控え目に告げると、希綿が笑った。
 想は希綿に促されて向かいに座る。

「耳まで赤くなってる。コートは?」
「すみません、職場から慌てて着替えてきたので…忘れました」
「ふふ、そんなに急いで会いに来てくれたと思うと嬉しいねぇ。あ、遠慮しないでなんでも頼んでよ。シャンパンは?女の子を呼ぼうか?」

 想は微笑んで緩く首を振った。
 希綿相手に遠慮しない人間などいない。彼は今や国内でも力のある暴力団組織の頂点だ。
 それでも想は希綿の誘いを断る、数少ない人間の一人だ。
 想が畏縮せずにいられるのは希綿の思いやりからだろう。年齢を重ねている割に気さくに話す口調と、言葉づかいに加え、想に対して穏やかに、友人のように接していた。

「調子はどう?俺はね、最近関西の奴らがうろついていてね、こっちはギスギスしてるんだ。毎日、毎日、本当に嫌になる」
「お店は順調です。希綿さんは……疲れてるように見えます。もっとだらけて、部下に仕事を押しつけたらいいと思いますよ」

 運ばれてきたお酒に、想は一口だけ口を付けて微笑んだ。
 希綿は楽しそうに笑い、料理を運ぶように指示を出した。

「なかなかね、働き慣れている人間て言うのは上に立っても働いていないと落ち着かないんだよ。困ったもんだろう?」

 目尻を下げて優しく笑う希綿の言葉に、想は胸がぎゅっとなり誤魔化すように口端を上げた。
 いつだったか、新堂も同じ様なことを言っていた。
 希綿も、今の地位に着くまで地を這いずり回っていた側の人間かもしれないと、想は優しい笑顔をこっそりと見た。
 その視線に希綿が思い出したように上着の内ポケットから小さな封筒を取り出して想へ渡した。
 想はなんだろうかと思いながら受け取る。封筒の中身を見ると、小さな鍵だった。

「……これ、父のだ……」

 希綿は即答した想に笑顔で頷いた。
 二人の会話中だが、静かに料理が運ばれてくる。
 次々と運ばれ、テーブルは一杯だ。希綿は順序よく出された物を食べるより、好きな物を好きなように食べる男だった。何度か食事をした想も、それを分かっていた。

「でも、なんの鍵かは知らないんです。いつも首に下げていたので、覚えているけど……」
「ふふ、ロッカーの鍵だ。駅職員の専用。どこの鍵が調べてある」

 場所を告げ、メインの仔牛肉にナイフを入れた希綿がソースを絡めて口へ運んでいく。

「そんなところの鍵?預かればいいんでしょうか」
「中身は大体察しがつく。それを袖川組が探し回っているんだ。確認くらいするだろ?もしくは捨てても良い」

 想は身体を固くして鍵を見つめた。
 この鍵の中身は恐らくあの日の夜にも狙われていた物だろう。
 『俺を殺すんだ、想』という父親の言葉が脳裏に蘇り、想は静かに目を閉じた。

「立花全の後始末をしていて、たまたま出てきたんだけど……有沢くん宛ての手紙と一緒にその鍵がね。俺も、部下も中身は見ていないから何の保証もないんだ。もしかしたら、開けたら爆発するかも」

 想が眉を寄せて固まっていたため、希綿は冗談混じりに言った。
 それでも、想は俯いたまま手のひらの鍵を見ている。
 父親を撃ったあの日から、想の新しい毎日が始まった。あの時、自分が死んでいれば、もしくは、どこぞの金持ちに売られていれば、身体や心は雑巾のように汚れ、捨てられても、この手は綺麗だっただろうかとテーブルの下で指先を擦る。

「……開けた方がいいんでしょうか」
「好きにしていいさ。お父様の残した物だから……喜ぶかと思ったけど、余計なことだったかな?」

 どこか悲しげな希綿の表情に、想は慌ててお礼を言った。こんなちっぽけな男のために、わざわざ時間を取った希綿に頭を下げた。

「ありがとうございます。時間を作って開けに行きます。報告はした方がいいでしょうか」

 希綿はテーブルの花をひとつ取り、想に見せた。そしてそれを広いテーブルに置く。

「これ有沢くん。こっちの花たちは俺の部下。分かるかな?有沢くんは部下じゃない。自由にしていいんだよ。これは友人として渡したものだからね。遠慮も、見返りもいらない。袖川組の連中は鍵のことも、君のことも知らないから。見つからなければ諦めて帰るさ」

 希綿が強い視線でそう言い、想は一瞬言葉に詰まった。『はい』と声を絞り出す。

「俺にも何か役に立てることがありましたら、声をかけてください」
「声はいつもかけたいんだけど、ヤクザの仕事させたら新堂くんから只じゃ置かないって脅かされてるんだよねぇ。目が怖かったよ……ま、それを押し付けさせて貰うよ」

 希綿の、真剣だがあまり重さを感じさせない声に、想は微かに微笑む。
 『いただきます』と小さく声にしてから、スモークサーモンのサラダにフォークを向けた。

「遠慮しないで下さいね。漣が何を言ったって俺は俺です。言う事を聞く子供じゃない」
「ふふ……怖い誘惑だね。噂は色々聞いてるから、すごく甘い誘惑だ」

 希綿はペロリと唇に付いたソースを舐めた。









 真夜中を過ぎた、暗く静かな公園の滑り台の終わり部分に座り、砂を革靴で擦った。
 手にはハードカバーの資料ケースを持ったまま、想は真っ暗な空を見上げた。
 共に食事を済ませて別れた後、希綿に渡された鍵を開けるためにタクシーで終電の終わった静かな駅前に訪れた。手紙にあった電話番号に連絡をすると、職員のロッカーへ案内された。
 手の中には父親の製薬資料が入っていた。
 この新薬お陰で命を失ったのに、奪われるべきだったものはしっかりと残っていることに想は落胆する。副社長だった男も、これを隠されていては取引相手の悪い連中と上手く行かない部分があったに違いない。吸収合併されて有沢製薬が無くなったこと考えると、納得だった。

「こんな、まだ研究段階にも入ってない資料、さっさと渡せばよかったのに……」
「義兄さんは守りたかったんだろ。それで助かる人がいるなら、製薬会社に売り込めばいいだろう。いくらでもし紹介してやるよ?」

 滑り台のてっぺんから、若林が優しい声で言った。

「こんなもの守ったって、家族は守れないだろ」

 想はファイルをぎゅっと握り、靴の先を睨み付けて呟いた。






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